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〘お題de神話〙果ての夢

 
 
 
「ここは……?」

 気がつくと男はその場所に立っていた。

 辺りは見渡す限り広がる荒涼たる平野。何もなく、誰もいない。
 視線の先に見える月──恐らく──は、水面に揺れているかのようで、月である確信は持てない。

「案内人がいないと勝手がわからんな。まさかおれは本当に死んだのか……?」

「死んではいませんよ」

 突如聞こえた不思議な声。不意に現れた人影。その姿は声のイメージのまま、男とも女ともつかなかった。

「あんたは? いや、それよりもここは?」
「ここは生と死のはざま……私は死者を導く者」
「おれはまた奈落に戻ったのか……?」
「いいえ。生者せいじゃの国の出口、死者の国の入口です。そもそも、奈落などと言う概念は人が創ったに過ぎません。天国だとか地獄だとか、罪の深さによって行く場所が変わるのではなく、人の心に宿る後ろめたさや傲慢がそれらしい場所を想像し、創り上げただけなのですよ。誰であろうと、死しておもむく場所は同じ冥府……ただし、そこでの扱いに差は出るかも知れませんが」

 一瞬、男はおののいた。

「しかし、あなたは生者……戻らなければ。あれを目印に進みなさい」

 冥府の管理者を名乗った相手が指差す方向には、先ほどの月、らしきものが浮いている。

「あれは月、か?」
「そうです」
「何故月がぼやけているんだ?」
「地面を通して見ているからです。水の中から見ているようなもの、と考えればいい。水面を通す月は揺れて見えるでしょう?」
「なら、地上からもこっちが見えるのでは……」
「いいえ。向こうからはこちらを見る事は出来ません」

 確かに足下あしもとが空洞では、人は恐怖で地面を歩く事すらままならない。

「やはり冥府は地の底なんだな」
「ここはあわい……いまだ冥府ではない。本来、生者はここにすら立ち入ってはならないのです。許されざる行為ではありますが、あなたにはやるべき事があるのでしょう。夢先案内人ウェルギリウスに感謝する事です」

 遠回しの免罪。そして、これまでの旅を全て見透かされていた事実に男は押し黙った。

「私に隠し事は出来ません」
「一体、きみは何者なんだ……?」

 男の目に映った笑みは、背筋が震えるほどに神々しかった。

「皆、思うように私を呼びます。ある者はオシリス、ヘル、スカアハ、イザナミ、またある者はハーデス、と……」

 異界の旅、その経験たん叙事詩神曲としてしたためた男の名をダンテ・アリギエーリと言う。

 だが、最後に訪れたはずの地──彼岸の入口に於ける出来事は、何故かおおやけにされていない。
 
 
 
 
 

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