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課長・片桐 廉〔11〕~接近編

 
 
 
 今井さんが淹れてくれたミルクティーを飲みながら、さっきまでの一連の流れをお互いに話しては笑い合った。

 おれが勝手に今井さんを体調不良だと思い込んでいたこと、そのせいで返事が出来ないと思い込んでいたこと、それ以外は全く頭に浮かばなくなっていたこと。

 今となってはアホらしい。苦笑いするおれに、だが、今井さんは決してそのことを笑ったりはしなかった。彼女がおれにくれたのは、携帯電話をバッグに入れっぱなしにしていたことへの謝罪と、心配して駆けつけたことに対する感謝の言葉。

 もう、何もかもがそれだけで充分だった。おれのアホな行動が報われたように思える。

 今井さんは、ほぼ見たことがないおれの私服と前髪が乱れまくった姿に、誰なのか判断が出来ずに固まったと、そのことだけを笑った。声を聞いてようやくわかった、と。

 確かに、知らない男が息を乱して目の前に立ったら、最大級の警戒心が働いて当たり前だ。扉を思い切りぶつけられても文句は言えないだろう。

 ……が、まさか、おれだと認識してもらえないほど、普段の姿と違うとは思わなかった(正直ヘコんだ)。

 ……と、インターフォンが鳴る。

「あ、今度こそ宅急便かしら」

 呟いた今井さんが「課長、ちょっとすみません」と立ち上がり受話器を取る。さっきは受話器からの応答以前に、突然扉が開いたが……おれの連打でよほど慌てさせたらしい。

 玄関の方から「重いので気をつけてください」と声が聞こえたので、人の部屋だと言うことも忘れて、つい、足を向けてしまった。

「運ぼうか?」

 いきなり部屋の奥から姿を現わし、声をかけたおれを認めた配達人がギョッとしたような顔をする。次いで足元に目線を落としたところを見ると、おれの靴が置いてあることに、今、初めて気づいたようだ。

(……こいつ)

 おれはピンと来た。

 恐らくこの配達人、集配で顔を合わせる今井さんを憎からず思っていたに違いない。普段、部屋に男が出入りしているような気配を感じたこともなかったところへ、突然、おれが現われたもんだから焦ったのだろう。

 初対面の男同士、水面下で激しい火花が散っているのを今井さんは……まあ、たぶん気づいてないだろうな……。

 今井さんが何か言おうとする前に、おれは配達人の顔を上から目線で見下ろすようにしながら段ボール箱を担ぎ上げた。おれと配達人を交互に見やった今井さんは、

「ご苦労様でした」

 と配達人に声をかけ、扉を閉めた。おれは彼女が鍵までかけたのを確認し、リビングに足を向ける。油断ならない。敵は北条だけではないことを思い知る。

 ……ところで、いったい何が入ってるんだ、この段ボール。これが意外と重い。

「課長、申し訳ありません」

 今井さんが慌てたように詫びる。

「ん、いや……どこに置く?」

 おれの問いかけに、

「あ、ここに……」

 キッチンの片隅を示したので、そこに降ろす。

「ありがとうございます」

「ここでいいのか?」

「はい、大丈夫です」

 その言葉を受け、おれはリビングに戻った。おれの後ろから来た今井さんが、

「課長。お昼、食べに行きませんか?」

 時計を見ながら切り出した。おれも時計を確認するとちょうど昼過ぎ。

「何か作りたかったんですけど、買い出しに行かないと冷蔵庫が空っぽで……」

 申し訳なさそうな顔に、普段の食べっぷりが脳裏をかすめて顔が緩みそうになる……のを堪えた。おれのその様子を見逃さなかった今井さんが上目遣いで睨んで来る。それすらも、おれにとってはおかしかったのだが……堪えた。何とか。

「そうだな。腹減って来たし……メシ食いに行こう」

 おれがそう答えると、笑顔を浮かべて頷いた今井さんは、マグカップを洗ってからリビングの隣の部屋に引っ込み、小さなバッグを持って戻って来た。

「お待たせしました」

「よし。じゃあ、行くか」

 マンションを出ると、さっきの配達人が近くに停めていたトラックの後ろで荷物の出し入れをしながら、ジッとこっちを見ていることに気づいた。目だけでそれを確認したおれは、威嚇さながら、今井さんの背中側に腕を回してエスコートするように促す。

 ……何をこんなことで張り合っているんだ、おれは。

 いや。だが、油断は禁物。もう、おれは、相手が誰であろうと退くつもりも容赦するつもりもない。北条のことでとことん懲りた。

 そのまま駅前の方に向かって行くと、飲食店も含めてかなり商店街が充実している。生活するにあたっては重要なポイントに違いない。

 昨夜はイタリアンだったから、と和定食の店に入った。休日ランチは平日より割高な分、メニューも充実しているらしい。お互いに違うメニューを選んでみる。

 よくよく考えてみると、休日に、しかも昼間に逢うのも初めてだったことに気づく。今までは、平日の仕事上がりに食事をするだけだった。

 それを言ったら、たまに友人と飲んだりすることはあっても、まあ、後は仕事以外では、おれはもう何年もこんな風に人と食事をした記憶がない。まして女性とは。

 何だか妙に新鮮な気持ちだった。

 今井さんは美味しそうによく食べ、楽しそうに笑い、その姿を見ているだけでおれは充たされた気持ちになれる。

 ……いや、しかし本当によく食べる。気持ちいいくらいに。おれと同じくらいは食べるんじゃないかと思う。

 すると突然、今井さんが「あっ」と言う顔をした。

「どうした?」

「すみません、課長。先日、お借りした服を……昨日、お返しするつもりで忘れてしまって。さっき来て戴いた時にお渡しすれば良かったのに、また忘れてしまいました」

 申し訳なさそうに眉毛をハの字にして言う。

「あぁ……別にそんなのは構わないけど、社に持って来るのも面倒だよな。いいよ、もう一度、取りに戻ろう」

「でも、せっかく駅の近くまで来たのに……」

「大した距離じゃないし……じゃあ、ついでに買い出しもして行けば?たくさん買っても荷物持ちがいるぞ?」

 冗談めかして言いながらおれが立ち上がると、すごい勢いで立ち上がった今井さんが、

「課長!せめて、ここは私に払わせてくださいね!」

 そう言って伝票を掴もうとするより早く、おれが掴んでさっさとレジに向かった。笑いを堪え切れずに肩が震える。後ろで上目遣いになっている今井さんの様子が目に浮かぶようだった。

 店を出ると、案の定、今井さんはプクッとむくれている。昨日、タクシーに乗る時も思ったが、おれはこの様子が可愛くて堪らない。今井さんのこの顔は、社内ではまず見れないかなりレアな状態だ。

「……今日のお詫びと、いつもごちそうになって、しかも送って戴いてるせめてものお礼に、と思ったのに……」

 ブツブツと呟いてるところがさらにツボだ。……それがツボって、おれ、どっかおかしいのか?

「まあ、そう言うなよ。おれの方がいい時間をもらってお礼を言いたいくらいなんだから」

 笑いながら言うと、まだ不満気な顔で上目遣いを向けてくる。いや、もう、本当に可愛くて笑いがとまらない。

「……ごちそうさまでした……」

 諦めたらしく、すごい恨みがましい顔つきでお礼を言われてニヤけてるおれって大丈夫か?とも思う。

 おれは頷いて歩き始めた。ほんの少し後ろについている今井さんを振り返りながら、暑くなって来た商店街を歩いていると、女性との食事が久しぶりなんだから、当然、街を歩く、なんてことも久しぶり過ぎることを思い出す。

 貸した服は別として、おれだって今井さんの私服姿なんてほとんど知らない。まして、今日のようにゆったりした夏用のセーターみたいな服に、ストンとしたロングスカート、サンダル姿なんて初めてで新鮮過ぎる。

 ……こんなことでテンション上がってるなんて、ハッキリ言って中高生以下だ。

 そんなことを考えながら、まだ微妙に表情が硬い今井さんへの話題転換として、さっきの段ボールのことを振ってみる。

「ところで、さっきの箱、結構な重さだったけど何が入ってたんだ?」

 顔を上げておれの顔を見た今井さんは、

「あ、すみませんでした。……あの……野菜と言うか、主に根菜類です」

 ……そりゃあ、重いはずだ。

「知り合いに『食べる?』って訊かれて、『食べる』って言ったらあんなにたくさん……」

「へぇ~。今井さんはどんなもの作るの?」

「ん~……一番、多いのは煮物類ですね。里芋とか好きなので。でも何でも食べますよ」

 オシャレなイタリアンだけじゃなく煮物好きとは。

「里芋の煮物か。うまそうだな」

 ……誓って言うが、この返答には一切の他意はなかった。社交辞令とまでは言わないが、何の気なしに「あ~うまそうだな」と思った本心が口から出ただけのことだったのだ。

 ━が。

 その返事を聞いた今井さんは、おれの顔を見つめてジッと何か考えてる様子だったが、やがて躊躇いがちに切り出した。

「………………あの………………召し上がります?」

「……え?」

 おれは、一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「あの……お口に合うかは保証出来ませんけど……せめてものお礼に……夕食で作りますから……」

 ……何なんだ?この展開は……。おれは、さぞかしポカンとした顔になっていたに違いない。

「……え、いや……いいのか?」

 それしか答えられないくらいの困惑ぶり。

「はい。本当に大したお礼にはなりませんけど……」

 突然の今井さんからの申し出に、喜ぶよりも困惑を隠せなかったおれは、結局、一緒にガッツリ買い出しをすることになった。
 
 
 
 
 
~課長・片桐 廉〔12〕へ続く~
 
 
 
 
 
 
 
 

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