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魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part11~

 
 
 
「……わっ……!」

 クライヴを迎えたヒューズは、窓に降り立ったのが一人ではないことに驚いた。しかも、一緒にいるのは、恐らくは自分と大して歳の違わぬ絶世の美少女である。

「何をそんなに驚いている、ヒューズ」

 特に他意はないのか、それともヒューズの様子を楽しんでいるのか、クライヴの内心は定かでないが、倭をいつもの様子で横に促した。

「当家執事のヒューズです」

 倭(やまと)が会釈をする。

「し、失礼致しました。お客様がご一緒とは思わず……」

 第一、客が一緒だとしても、入り口ではなく窓から入って来るなどと普通は考えないであろう。

「ヒューズ……こちらが私の探していた護堂倭(ごどうやまと)殿だ」

 突然の探し人発見と、それが少女であったことに、ヒューズは驚きを必死で飲み込んだ。

「……さ、左様でございましたか。どうぞ、こちらへ……」

 居間でいつものように茶の用意をするも、どちらも無言のまま口を開こうとはしない。二人の顔を交互にチラ見しながら、ヒューズは部屋の片隅に直立不動していた。

(……気まずい……)

 思わずソワソワしてしまいそうになる己を必死で抑える。

「……まず、私をお探しでいらした理由をお聞きしたい」

 だが、その時、低く落ち着いた倭の声に、ヒューズはまさに魂を掴まれたように動きを止めた。

(……何だ、この声……こんな不思議な声、初めて聞いた……)

 耳だけでなく脳に、心臓に、魂に、直接届くかのような声に、固唾を飲んで立ち尽くす。

 少し考える様子を見せ、ややしてクライヴが視線を上げた。真っ直ぐに倭に視線を向けると、倭もまた、真っ直ぐに見返し、二人の視線が交える。

「……至高の巫女殿……そなたの持つ唯一無二の力を借りたい」

 クライヴをじっと見つめ、倭も口を開いた。

「……何のために、です?」

「……妻と子を救うために……」

 その答えには逡巡も躊躇いもなく、そして嘘もない。だが、それが全てでもないことを、倭は薄々感じていた。だが、ここで敢えてそこには触れることなく小さく頷く。

「私の力で事足りるものなのか、状況を詳しくお伺いしとうございます」

 今度はクライヴが頷いた。少し前屈みになり、膝の上で指を合わせる。

「今の状況を簡単に言うと、現在、妻は身籠っており、ある事情により、実の父親の元に事実上の軟禁状態となっているのだ」

 クライヴの説明に倭が首を傾げた。言われたことを反芻するように。

「……それは、ご内儀がご自分のお父上の元に……と言うことですか? 普通に考えれば里帰りのように聞こえますが……一体、何故(なにゆえ)そのような……」

「……それは、追って説明を……」

 やや深刻味を帯びたクライヴの表情と声音に、倭は黙ったまま睫毛で促した。

「そもそもの始まりは妻と私の結婚……妻は相思相愛の男の元に嫁いで子も授かり、幸せの絶頂の最中(さなか)、無理やり離縁させられた。私と結婚させんと画策した父親によって……」

 倭の表情に特に変化はなく、ただ黙って説明を聞いている。

「……この時点で詳しい経緯(いきさつ)を明らかにし、断らなかったのは私の責任だ……」

「貴方が何も考えず、言われるままにご内儀との婚儀に踏み切ったとは思えません。そこには、何か思うところがおありだったのでは?」

 倭は坦々と訊ねた。それも確信を持った口調で。クライヴに負けず劣らず、変わらぬ表情のままの倭を、ヒューズも遠目から驚きを以て眺める。

「……確かに、思惑があったことは事実……だが、読み違えたことも、また事実……」

 静かな言葉尻に、倭は声音以上の激しい怒りと自責を感じ取った。そこで初めて、先ほど感じ取ったことを確信する。自分に頼りたい真の理由が、彼にはあることを。

「夫と子を盾にされ、私の子を産むためだけに嫁いで来た妻は、当然のことながら必死だった。私は彼女の父親の目論見を突き止めた後、そのまま前夫の元に返すつもりでいたものの、彼女は話を聞く余裕など持たず……それがまず、私の一番の誤算となった」

 決して共感を得られる話ではないとわかっていた。まして、女の身である倭に、己の行ないがどのように映るかわからぬはずもない。それでも、包み隠さず、出来る限り事実を事実として、そのまま伝わるように話した。どちらにしてもこの巫女には、薄っぺらな偽りなど見透かされてしまうだろう、と確信もしていた。

「……やがて、子が出来たことがわかると、父親は彼女を実家に戻そうと強行手段に出た。そうなることがわかっていた私は、事前に父親と私の職務上の関係も、力関係も全て説明しておいたのだが……」

 眉根を寄せ、言い淀む。

「……もしや、ご内儀がご自分から戻られたのですか?」

 見通した言葉にヒューズが息を飲んだ。

「……その通りだ」

 一瞬の間を置き、クライヴは低く答えた。そして、そこで一旦説明は途切れた。

「では、ご内儀の身に何らか……良からぬ何か、が起きたと……そして、その元凶はご内儀のお父上、と言うことなのですね?」

 クライヴもヒューズも、この聡い女性(にょしょう)には隠せることなどないのだ、と思わされていた。だが、逆に、それならそれで気が楽だとも言える。

「ご内儀を取り戻す算段のみであるなら、貴方様の力を以てすれば、何も私の力など必要ないはず。……にも関わらず、貴方様がわざわざ私に会いに来られた、と言うことは、そこには何かがある、と思うても不思議ではありますまい」

 組んだ手を見つめたクライヴが、やがて目線を動かした。その詳しい理由を聞かされていなかったヒューズも、思わず聞き耳を立てる。

「オーソンは……妻の父親だが、己の意識、いや、念と言った方が正確か……それをあたかも肉芽のように、腹の子に植え付けていたのだ」

「……何と……!?」

 倭の驚愕は早かった。

「……まことにそのようなことを……!?」

 ヒューズが理解する前に、クライヴの言葉に反応した倭の声は、辺りの空気を一気に緊張させ、張り詰めさせた。そしてそれは、倭が事の次第を瞬時に理解した、と言う事実に他ならない。

「……そうだ……」

 当然の如く、答えるクライヴの声は暗く重かった。

「……よくも、そのような……神をも恐れぬ所業を……!」

 驚きの中に憤りを含む倭の声が、張り詰めた空気の中を電流のように流れて往く。再び沈黙が訪れる中、クライヴはやはり重い口を開いた。

「今はまだ、子は“母体”に守られている故、オーソンにも完全に介入することは出来ない。だが、その守りがなくなった時……」

「……身も心も、全てが支配下に置かれてしまう……つまり、産まれる前に引き剥がさなければならない……」

「……その通りだ」

 全てを見通した倭の言葉に頷く。

「そして、私にはその力がない。分離させることも、あるべきところに還すことも、どちらも私には出来ぬのだ。私に出来るのは、全て消し去ること……全てを消滅させること、だけであるが故に、私がオーソンを消し去れば……」

 クライヴは言葉を切った。息と共に言葉を洩らす。

「……妻も子も、消してしまうことになる……それも、魂ごと、一切を……」

 そう言って、じっと一点を見つめた。倭は、そのクライヴを静かに見つめる。

 静寂な空気の中、倭の唇が動いた。

「お話はようわかりました」

 クライヴの首がゆっくりと動き、視線が倭に固定される。

「……ご協力致します」

 身体を起こしたクライヴの目が、驚きに見開かれた。

「……まことか……!?」

 まさか、その場で即決を見るなどとは、さすがのクライヴも想像すらしていない。ありえない、とすら考えていた。説得は難航するであろう、と。

 いくら名だけは有名であっても、名乗っただけの異国の男を、この程度の口説明だけで信じてもらえる、などと言うことがあるはずもない、と。

 だからこそ、探すことに急を要すると考えていたのだから。

「はい。今、この場にて、私が貴方様にお約束申し上げます」

 真っ直ぐに言い放った倭を、クライヴが気圧されたように見つめた。信じられない気持ちが、やがて目の前の事実に塗り替えられると、静かに、自然に腰を浮かせる。

「……感謝する……」

 手を胸に当てて目し、最敬礼を以て応えた。目の前にいる、自分より小さな少女から感じる空気に、改めて至高の存在であることを認識しながら。

「どうぞ、お手をお上げください、伯爵」

 倭も立ち上がった。

「貴方と共に貴国を訪なうに当たり、少しお時間を戴きとうございます。早急に準備させます故……」

「……それは、もちろん……」

 むしろ、そのまま自分と共に来るつもりであることに驚きを隠せない。もちろん、願ってもないことではあるが。

「……ヒューズ。我々もいつでも発てるように心積もりを、な……」

「……は、はい……!」

 突然、話を振られたヒューズがオタオタと返事をすると、倭は彼に向き直り、小さく、だが丁寧に会釈した。

「宜しゅう、お願い申し上げます」

「……は、あ、あの、は、はい、こちらこそ……」

 アワアワと返事するヒューズにクライヴが小さく笑う。

「そなた、何をそんなに慌てておるのだ」

「……あ、い、いえ……我が国の言葉を自在に話されるな、と思って……」

 もちろん、それだけではなかったが、それも驚きの理由のひとつには違いなかった。ヒューズが聞いていた限りでは、倭にはクライヴの言葉を理解出来ない、と言う様子が全く見えない。話す言葉も、やや古めかしく硬いものではあるが淀みはない。

「私は我が国の言葉以外では、貴国の言葉は大凡、言葉として理解可能です。ただ、他のどの国の言葉であっても、それが空気を震動させる“音”であるなら、その波長で全て意味を理解出来ますし、同じように発することも出来ます」

「……へ……あ……え……?」

 ヒューズがポカンとした。少し考える様子を見せ、思い当たったように訊ねる。

「……言葉を言葉の意味として理解するのではなく、言葉を発した時の音の波長で判別し、判断する、と言うことですか……?」

 倭が頷いた。

「……え……じゃあ、音として現れれば、どこの国の言葉でもわかる、と言うことなんですか?」

「その通りです」

「……はぁ~……」

 感心しながら呆気に取られるヒューズを余所に、倭はクライヴに向き直った。

「では、もうひとつの本題なのですが」

 先ほどよりも重きを置いた声音。

「……何……?」

 倭のその言葉に、クライヴが眉の辺りに疑問を湛えた。彼にしてみれば、『本題』は既に終わっているのである。

「ご内儀のことは別として、貴方様には本来、もっとお心を占める何か、がおありとお見受け致しまする。そのために私の力が必要、と……私の見当違いでありましょうや?」

 クライヴが息を飲んだ。ただ、倭を見下ろす。

「はじめから感じておりました」

 しばらく微動だに出来なかったクライヴが、「フッ……」と小さく、だが自嘲気味な笑いを洩らした。

「……叶わぬな……どこまでも……その通りだ、巫女殿」

 観念すると同時に、開き直る気持ちも再燃する。

「……私は、私を終わらせたいのだ」

 迷わず放たれたその言葉に、倭よりもヒューズが息を飲んだ。

「……もちろん、殺してくれ、と言う意味ではない。そのようなこと、いくら何でも巫女殿に頼む訳には往かぬ」

「……貴方様は……宿業を終わらせたい、とお考えなのですか? 代々、受け継がれるお血筋を……そのお力を……」

 どこまでも見透かされ、クライヴがさらに皮肉げな笑みを浮かべた。

「……そうだ。さすれば、このような因果な力を背負わず自由に生きて往ける。何を奪わずとも、何を犠牲にせずとも……な。この感覚、私はある意味、そなたが一番理解してくれるのではないか、と思っている」

 倭が僅かに睫毛を翳らせる。

「……わかり過ぎるほどに……」

 やや重苦しい沈黙の後、やがて目を覚ましたように倭が目線を上げた。

「……そのお話、お受けするかどうかは、しばしお時間を戴きとうございます」

「……もちろんだ。当面の問題を解決せねば……いくら私とて、今、目の前にあるものを放棄することは出来ぬ。この話は、今回の件が終わって後、検討してくれれば良い」

 倭が頷いた。

「貴方様も心のどこかではお考えかと存じますが、私は持って生まれたものは必要であるから存在するのだ、と思うております……必然、と。それを放棄することは、他の誰かにそれを背負わせることになるやも知れぬ、とも。そこのところも見極めたいのです」

 倭の言葉に、今度はクライヴが頷く。

「ただでさえ難しいことを、無理を承知で頼んでいるのは私の方だ。そこまで無理強いするなど考えてはおらぬ。今は心に留めずとも良い……」

「……此度(こたび)の件が、無事、終わりました暁には改めて……」

 漆黒の瞳に睫毛の影を落とし、倭は答えた。

「……すまぬ……」

 張り詰めた沈黙の空間。その雰囲気にヒューズが辛くなって来た時、扉をノックする音が響いた。その場にいた全員の意識が一気に動く。

「恐らく、私の共の者でございましょう」

 倭の言葉に、ヒューズが「えっ?」と言う表情を浮かべた。

「……何故(なにゆえ)ここが……」

 クライヴも不思議そうにつぶやく。

「伯爵とこちらに向かう折、共の者に使いを送っておきました」

「使い?」

 クライヴの気づいた限りでは、そのようなことをする時間も、そして様子もなかった。互いの正体がわかり、そのままホテルに向かったのだから。だが、その疑問が解ける前に、再び扉を叩く音。

「は、はい、ただいま」

 ヒューズが内心で『助かった』と思いながら扉を開けると、そこにはホテルの支配人が立っていた。

(……な、何事な訳……!?)

 慄くヒューズがゴクリと息を飲み込む。

「……何か……?」

 そこは必死に押し隠すと、支配人が恭しく敬礼した。

「伯爵にお会いしたいと仰るお客様がお見えでございます」

「……え……?」

 恐らくは倭の共の者には違いない。だが、わざわざその程度の事で、支配人自らが知らせに来るとは到底思えなかった。

 振り返ったヒューズが倭の顔を見、次に主であるクライヴの顔を窺った。顎に指を当てていたクライヴが頷く。

「どうぞ」

 支配人の背後に少し離れて立っていた年輩の男女二人が会釈し、身体を傾けて促したヒューズの脇を通り抜けた。一人はすらりと厳格そうな、だがそれなりの身形の男、もう一人はやや同じような印象の女である。

「……倭様……!」

 室内に倭の姿を認めるなり、二人は同時に声を発した。

「突然、お姿を消されたかと思えばこのような……!」

「それ故、使いは出したであろう」

 やや興奮気味の女に、倭が平坦な声で答える。

「……巫女殿を勝手にお連れしたは当方の責任……ご無礼、許されよ」

 さらに何か言おうとした女に、クライヴが割って入った。

「……貴方様が……」

 今までの会話の様子から、二人もクライヴたちの言葉を理解出来るらしく、今度は男の方がクライヴに向き直り、顔を窺う。

「お初にお目にかかる。私はゴドー……クライヴ・カーマイン・ゴドーと申す」

「……倭様からの知らせで、まさか、とは思いましたが……貴方様が“左眼”(さがん)の担い手ゴドー伯爵……」

 男が確認するようにつぶやいた。

「と、とにかく、どうぞお掛けください」

 そう促したヒューズが茶を淹れ直すと、誰もが何か言いたげでありながら、様子を窺いつつ出方を待っている。さすがのクライヴでさえ。

「私は伯爵と共に参り、ご協力することをお約束した。よって、そのための準備を頼む」

「倭様!」

 沈黙を破った倭のひと言は、いきなり本題だけを告げるものであった。二人の、特に女の驚きは尋常ではなく、人相が変わっている。

「何を仰せになるのです! いくら、こちらが“左眼”のゴドー伯爵とは言え……失礼ながら、まだ素性もはっきりとはわからぬ方と同行されるなど……まずは一度戻られ、然るべき手順を踏むのが筋と言うものではありませぬか……!」

「それでは間に合わぬ、と判断したからこそ即断したのだ。ここでの、今回の役目は果たした故、困ることはないであろう?」

 女と倭の口調の間には、クライヴも口を挟むことを憚るほどの温度差があった。却ってややこしいことになるのを恐れ、成り行きを見守るしかない。

「そのようなことを申しているのではありませぬ!」

「そなた、私が伯爵の素性を見誤っている、とでも言いたいのか?」

「ですから! そのような次元の話ではなく! 物事には手順と言うものがある、と申し上げているのです! それをおわかり戴けないのでしたら、このまま力づくでもお連れ申しますぞ!」

 不穏な空気に、クライヴが動こうとした瞬間。不意に、彼は自分の指先に氷が触れたような冷たさを感じた。鳥肌が立つようなざわめき感を。驚き、その気配の出処を見遣ると、それは倭の眼差しであった。漆黒の瞳が冴え冴えとした冷たさを放っており、激していた女の顔も一瞬で青ざめ、冷や汗が額を伝っている。

「今、何と申した?」

「……そ……それは……」

 女の顔は明らかに恐怖に歪んでおり、静かな倭の口調がさらに周囲の温度を下げて行った。

「……そなた、おかしなことを申したの……私を力づくで連れ戻す、などと言うたか……?」

「……や……倭様……」

「……おもしろい……やってみるが良いぞ……」

 クライヴも息を飲んだ。見かけとは裏腹の、少女のその青白く燃え盛る冷たい焔に。

「倭様。ご無礼は私が代わってお詫び申し上げます。ですが、彼女の申すは道理に叶うもの。それは倭様もおわかりのはず」

 だが、その時、男の方が割って入った。過呼吸のように息をする女を落ち着かせながら倭を諭す。

「そもそも、此度の話、大刀自様は何と仰せになるや……」

「既に知らせを送り、つい今しがた返事も参った。両手(もろて)を挙げて賛同、とは言えぬが、致し方なし、とな……」

「……左様でございますか。……なれば、是非なく、ご準備致しまする。しばし、お時間を戴きとうございます」

 穏やかな男の言葉に、倭は元の静かな気配を纏って頷いた。

「共は五百里(いおり)だけで良い。余計な者が増えても、どのような事態かわからぬ故、他の者たちの安全までは保証出来ぬからの。近日中に来てくれるよう申し付けた故、後は頼む」

 男は最敬礼を以って答える。

「……承りましてございます」

 立ち去る時、男は静かに、そして丁寧に、クライヴに礼をした。クライヴもまた、丁重に返す。

 着々と渡航の準備が整う中、だが、二人が東の魔都を発つ前に事は起きた。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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