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魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part17~

 
 
 
 クライヴたちが到着した時、倭(やまと)の所有する敷地の外れには、既に新たな住まいが用意されていた。

 周囲の様相と異なるそれは、元々あった建物を改装した洋風の造りで、4人で生活するには十分過ぎる規模と言える。また、大刀自が約束した通り、食事の用意や邸内の管理で訪れる者以外は、特に介入もなかった。

 母国との間を往復しながら過ごすクライヴと、日に日に腹が大きくなって征く倭。

 五百里(いおり)に言わせれば、極端に目立たない方だと言うものの、元々が長身細身の倭であるため、クライヴは不思議な面持ちで見つめていた。妊婦を見たことがない訳ではなくとも、己の子と思えば心持ちは違う。また、マーガレットの懐妊が知れた時は、そうなる前に離れてしまっていたこともあり、戸惑いも生じていた。

「伯爵も、母上様からああしてお産まれになったのですよ」

 表情は変わらぬものの、飽きもせず倭を眺めているクライヴに、五百里が可笑しそうに耳打ちする。

「……あの父も……このような光景を見ていたのであろうか……」

 思わず口を突いて出た言葉。

「きっと、そうでございますよ」

 微笑んで答える五百里とは対照的に、思いもよらぬ考えが、つい洩れたことに苦笑する。

 幼い頃の記憶を辿れば、クライヴの目から見た両親は、これと言って可も不可もない関係としか思えなかった。特に邪見にされた記憶もなければ、目の中に入れても、と言うほどでもない。ただ、恐らく父は母を大切にしていた、少なくとも『つもり』はあっただろうとは感じていた。

「……それより、片親とは言え、母と伯母上が同じ親を持つ姉妹、と言うことの方が信じられんがな……」

 物静かで真面目な伯母アリシアと、エネルギーが服を着ていたような母。こと公務以外に関しての父は、いつも困ったような笑みを浮かべながらも、母に合わせている印象しかなかった。

 だが、今、こうなって思うのは、父も思い悩んでいたのであろうか、と言うこと。己の子に、この力を、宿業を、全て受け継がせることを。そして、子の母に対する罪悪感とも言える後ろめたさを。

「……何か要らぬことをお考えの時のお顔ですね」

「フレイザー……」

 今回、クライヴはヒューズではなくフレイザーを伴っていた。何度か行き来する中で、比較的短期の予定を選び、今回が二度目の供となる。

 いずれはヒューズに屋敷の管理を任せられるようにするための、言わば試行的な演習であった。倭の出産予定が近づけば、クライヴはしばらくは母国に戻ることは叶わない。そのため、比較的早い時期に行なっておき、慣れさせようと言う目算があった。

「いや……このような形で、自分が子を持つことになるなどと、実のところ考えてもいなかったからな。父たちのことを、ふと思い出しただけだ」

「左様でございますね。実感としてお感じになるのは、なかなか……」

「父も、このような複雑な気持ちで私を見ていたのであろうか……」

 フレイザーの顔が珍しく緩んだ。

「そうであったと思います。ただ、ご先代……マリウス様がカーマイン様を構おうなさると、何故かタイミング悪くエヴァ様が何かを起こすので、そちらに気を取られていらっしゃる方が多かったですね」

 一見、歯に衣着せぬことを如何にも楽しげに口にする。

「まあ、あの母だからな。父も目を離せなかったであろうな……」

 クライヴも可笑しそうに答えた。

「はい。マリウス様はそれを楽しんでおいでのようでしたし、加えて、カーマイン様は手のかからぬお子でいらっしゃいましたので……」

 ひとしきりの和やかな会話の切れ目。ふっと息を吐き出し、クライヴの表情は戻った。

「次回、こちらに戻った折には倭の出産となろう。その後、私はしばらく戻れぬ」

「はい」

「頼んだぞ」

「 Yes, my load ……」

 数日後、クライヴは一旦帰国し、今度はヒューズを伴って戻ることになる。

 それからしばらく後、倭は出産の日を迎えた。

 五百里の指示の元、女たちが着々と準備を整えて征く。

 それを垣間見、役立たずのクライヴとヒューズがまず驚いたのは、実際に陣痛が来た際に倭が入る、言うなれば産屋であった。二人の目には、どう見ても湯殿にしか見えない。この形態のものを、この国に来て初めて見た二人ではあったが、どう見ても湯殿なのである。

「……五百里……私には湯殿にしか見えぬが、一体、これは……」

「はい、左様でございます」

 即答に絶句する二人。

「……寝所に医師が来るものだと思っていたのだが……」

 つぶやくクライヴに、五百里は小さく頷いた。

「里の方では、そのように出産する者もおります。しかし、ここではほとんどこの形です。……ああ、もちろん、ここでは出産の数自体が少のうございますが……」

 基本的に男女別個になった集団であれば、それが当然と納得も出来る。

 その時、クライヴは湯殿の天井から吊られている縄に気づいた。下方にいくつかの結び目が作られたそれは、湯殿の中にまで垂れ下がっている。

「……その縄は何のためなのだ?」

「これは、出産の際、女子(おなご)が掴まるためにございます」

 事もなげに答える五百里に、再び二人は絶句した。

「……掴まる……これに……と言うことは、起き上がった体勢で子を産む、と言うことなのか……?」

「左様でございます。そして、ここに冷えない程度のぬるま湯を張っておきます」

「……何故(なにゆえ)だ?」

「理に適っているからにございます」

「……理に……」

 不思議そうなクライヴに、五百里は男である二人に対する説明としては不十分であった、と反省する。

「子は産まれる時、下方に向かいます。降りて来るのです。それ故、母体もその向きである方が理に適っている、と言うことでございます。そして、子は母体で水の中におりますので、産まれた瞬間、一番自然な形となるのです」

「……なるほど」

「何より、この体勢が一番身体に力を入れられ、尚且つ、骨格的にも無理がないのです」

「……なるほど」

 真面目に聞きながらも、当たり前ではあるが、今いち理解出来ていない感満載の二人の反応。

「……謎の極みですね」

「……ああ……」

 ヒューズの言葉にクライヴが同意する様子を見、五百里が小さく笑う。

「五百里様。そろそろ倭様の御髪(おぐし)を……」

 その時、立ち働いていた女の一人が五百里に声をかけた。

「あ、そうですね。すぐに参ります。……さあ、お二人も……もう、概ね準備は整いました故、後はお産まれになるのを待つだけでございますよ」

 物珍しさから見物していた男二人を、五百里は倭の部屋へと促す。

「五百里……倭の髪の毛がどうかしたのか?」

 廊下を歩きながら訊ねるクライヴに、五百里は小さく頷いた。

「お産がもう間近ですから、一度、倭様の御髪を短く致します」

「髪を切るのか……!?」

 声を上げる驚きようは、五百里にも意外な程であった。

「はい。お産を終えてしばらくは湯浴みも出来ませぬし、当然、御髪も梳くのが精一杯にございます故……倭様の御髪の長さでは……」

「切っても大事ないのか……!? 確か以前、髪に何か宿ると……」

 クライヴの言葉に、五百里は何かに気づいたように頷く。

「大丈夫でございます。女子(おなご)は子を産む際、体内の不要物一切を排出致します。髪もある程度、古くなった部分は断って良いのです。また、新たに伸びます故……」

 安心したような、良くわからないと言うような複雑な表情を浮かべ、クライヴが引き下がった。五百里の手によって丁寧に削がれ、床に散らばって征く倭の黒髪を見つめる。腰の下まであるのと比べれば、相当に短くなってしまった髪の毛を。それでも、束ねるには十分な長さで揃えられた面立ちは、また違う印象をクライヴにもたらした。

(倭の母も、さぞかし美しかったのだろうな)

 そんなことを考えている己が可笑しく、同時に『両親共に』美しい顔立ちをしていたのだろうと思い当たり、思考自体を打ち消す。決して、口にすべきではない言葉は、消してしまうに限る、と。

「……そんなに違和感がございますか?」

 あまりにクライヴ視線を感じたのか、倭が心持ち居心地の悪そうな顔をする。

「いや、そうではない」

 髪の毛くらいのことで、とクライヴは反省した。そっと倭の髪に触れると、しっとりとした重み。長さは変わっても、黒絹のような手触りは変わっていない。

「……髪の有無など関係ない」

 そのまま引き寄せるクライヴの胸に、倭は静かに自身の背を預けた。

 予兆が訪れたのは、まさにその翌未明のことである。

 まだ仄暗さの残る明け方。

 腕に抱えていた倭が、俄に動き出した気配でクライヴの意識は半覚醒した。そっとクライヴの腕を外して起き上がり、ベッドから抜け出ようとしているところで。

「……倭……? まだ暗いぞ。どうしたのだ?」

「起こしてしまって申し訳ありませぬ。そろそろ準備せねばならぬようなので……」

 一瞬、言われた意味がわからず、半身を起こした状態で思考を巡らせる。

「………………!」

 結論に達したところで、冷水を浴びたように急激に意識が覚醒し、飛び起きた。

「……倭……!」

「大事ありませぬ。まだ、始まって間もないので……五百里を呼んでくださいますか」

「待っておれ……!」

 クライヴには動揺の色が見えるものの、むしろ倭本人は落ち着いている。普段と変わりない程度に。

「倭様」

 クライヴに起こされてやって来た五百里は、やはり落ち着いた様子で倭に状態を確認する。

「先刻より、何度か波がある……」

「わかりました。今、子取りを起こしにやっております故、今のうちに湯帷子(ゆかたびら)を……」

 支度をするために倭を連れて征こうとしながら、五百里は取り残されているクライヴとヒューズに声をかけた。

「お二人とも。まだ時がかかると思いますので、もうしばしお休みになっていてくださいませ……今のうちに」

 そうは言われても、「はい、そうですか」と眠れるはずもない。そうこうしている内に、『子取り』と呼ばれる所謂『産婆』が二人がかりでやって来た。

「五百里様……倭様のご様子は……」

 突っ立っている男二人になど目もくれず、五百里に様子を訊ねる。

「まだ、それほどの波ではないご様子なので、時が必要かも知れませぬ」

「……ふむ。しかし、何と言うても初産故、早めに整えておくに越したことはありませぬな」

「とにかく、状態を確認しましょうぞ」

 倭が控えている部屋へと女三人が消え、仕方なく、居場所もなく、男二人は部屋で待つことにした。一人でいても、二人でいても落ち着かないことに変わりはなかったが。

「お休みになられていなかったのですか」

 しばらくして入って来た五百里が、黙って座り込んでいる二人に意外そうな顔をした。

「……目が冴えてな。倭の具合は如何した?」

「子取りの見立てでは、開きが足りないようで……まだ、相当、時がかかりますよ?」

 暗に『休んでおけ』と言われているのは理解出来るが、眠ろうとして眠れるものでもない。また、五百里の言う『開きが足りない』と言う謎の言葉も気にはなったものの、何となく嫌な予感しかせず、訊ねることをやめた。

 大きな変化はないまま、屋敷内全体が何となく落ち着かずに時は過ぎ、結局、倭が本格的に産気付いたのは数時間経って後。

 時が訪れ、倭が産屋にこもったのは夜になってからであった。

 ヒューズは日々の己の職務を熟し、クライヴは目にも頭にも入ってこない書を開いているだけの室内。朝が来て、昼が過ぎ、既に夕餉も済ませた頃。

「………………?」

 俄に廊下が騒がしくなったことに気づき、クライヴは本を閉じた。扉の方に目を遣り、様子を窺うと、パタパタと足音が聞こえる。

 腰を浮かしかけた瞬間、ノックもそこそこに扉が開いた。

「倭様が産気付かれました……!」

 五百里の言葉に、心臓を掴まれたように中腰で硬直する。

「最初の予兆から、ずいぶんとかかるものなのだな……」

「人によって差はありますが、何ぶん、初めてでいらっしゃるので……」

 倭が控えていたはずの部屋に向かうと、ちょうど腹を支えた倭が老婆二人と共に出て征くところであった。

「……倭……!」

 クライヴの声に足を止め、ゆっくり振り返る。「大丈夫だ」と言うように頷き、どこか不安気な彼に微かに笑いかけると、しっかりとした足取りで産屋へと入って行った。五百里も倭たちに続く。

「恐らく、これからまた長うございます。どうぞ、お部屋にてお待ちくださいませ」

 その言葉を最後に、クライヴの前で扉は閉じられた。

「……カーマイン様……」

 ヒューズが顔を窺うように袖を引く。

「……ああ……」

 心ここに在らずで答えたクライヴは、ヒューズと共にすぐ手前の部屋で待つことにした。戸を開けておけば、産屋の扉も見える。

 ただ、ひたすらに待つ時間。その日は、朝からそんな状態であったはずなのだが、予兆と本番では心持ちが違い過ぎる。日付を越える頃には、クライヴの無意識の溜め息と、肘掛けを指で叩く音があからさまとなっていた。

(……何も出来ずに待っているだけ、と言うのが、こんなにもどかしいとは……)

 産屋の扉を見つめる。ほんの一枚隔てた向こう側で、今、倭はクライヴには及びもつかない闘いをしているはずであった。なのに、何も出来ずにいる己に、つい不甲斐なさを感じてしまう。

 役目に於いてであれば、敵と対峙している時も、相手を泳がせている時も、待ちの姿勢で焦れたことなど一度もなかった。むしろ、追い詰めている感覚だったそれは、己が主導権を握り、既に詰みの結末が手の上にあるからだった、と言うことに、今、初めて気づき愕然とする。そして、己自身にも。

(……結局、どれほどに強い力や権力を持とうと、男などたかが知れたもの……)

 クライヴは、あのマーガレットでさえ、既に母であった、と言う事実をも認識せざるを得なかった。どんなに華奢であろうと、どんなに儚げであろうと、夫と娘を守るために身を投げ出したあの強さこそが、紛れもなく『女』のものであったのだ、と。

 同時に、それを救えなかったことに対する怒りと悔恨に飲まれそうになる。

「……まだか……倭は大丈夫なのか……」

 何とか気を逸らそうと、無意識の内に声に出していた。

 この数時間、時折、水音は聞こえている。また、五百里や子取りたちの声も聞こえており、倭に声をかけているのは明らかであった。だが、倭自身の声は、一度も、ひと言も聞こえて来ない。その不自然さが、クライヴの心に不安を湧き上がらせた。

(……倭……)

 倭と出逢ってからの、この一年ほどの記憶がひどく鮮明に脳裏を駆け巡る。

 待ちたくない。焦げつきそうな心。

 待つしかない。逆流しそうな血流。

 もう、待てない。破裂しそうな身体。

 ピリピリとする空気を肌で感じる。ヒリつく気持ちを抑えるのがやっとの状態の中、直に夜が明けようと言う頃。

 睡眠不足による物理的な疲労は、この程度であればクライヴには許容範囲内であった。だが、そこに倍々の圧をかけるのが精神的な圧迫である。

 ヒューズは既に沈没寸前の船の如く、椅子に腰掛けた状態で壁に寄りかかりウトウトしていた。かつてない状況に、さしものクライヴもピークを迎える寸前だった、その時。

「………………!?」

 突然、クライヴの耳に飛び込んで来た音──ではなく、それは、声。

「倭様! 産まれましたぞ!」

 仄明るくなりかけた外界に、一筋の亀裂が走るかのような命の息吹と女たちの歓声。

「………………!」

 眠りかけていたヒューズの目は、いきなり最大限に見開かれ、クライヴは無意識に立ち上がっていた。二人は揃って向こう側の扉を見つめる。力強い息吹が聞こえて来る方を。

 歩を進めると、程なくして静かに扉が開いた。硬直するクライヴの目に映ったのは、真っさらな生地にのせられた何か、を抱えた五百里の姿。

「伯爵……」

 抱えていた小さな命をクライヴに差し出す。

「元気な男御子にございます」

 呆然と立ち尽くすクライヴは、後ろからヒューズに声をかけられてハッとし、両の手で小さな命の塊を受け取った。

「………………」

 やわらかい生地の上、まだ濡れた身体に薄っすらとした髪の毛やうぶ毛が張り付き、真っ赤な顔をしている赤ん坊を見下ろす。クライヴの両の掌に収まるほど小さな身体。にも関わらず、思いがけない重みと温もりを感じ、慄く手に震えが走る。

「おめでとうございます」

 クライヴの様子を見ていた五百里の、短いながらも心こもる祝いの言葉。手の中の存在感が現実味を帯びて征く。

「……ああ……」

「では、先に産湯を……」

 ようやく実感したクライヴから、五百里が子を抱き取った。

「……五百里……倭は……」

「少々、お疲れになられてますが、もちろん大事ございませぬ。今、後を終えてお着替えを……」

 そう言って、赤子を抱いた五百里が再び産屋に入る時、中から老婆の「倭様、しっかりなされませ」と言う呼びかけが聞こえて来た。一旦、扉を閉めようとする五百里を留め、クライヴが中を覗くと、すっかり身支度を終えた倭が台にもたれて座り込んでいる。

「倭……!」

 女たちが止める間もなく、足を踏み入れたクライヴが、倭の前にしゃがんで覗き込んだ。一昼夜に及ぶ不眠不休の闘いに、さすがの倭も些か疲れ切った顔をしている。

「……感謝する……」

 短く告げるひと言。だが、全てが込められたそのひと言に、疲れを押し込めた倭が微かな笑顔で応えた。

 動くのも難儀そうな倭を、クライヴがそっと抱き上げると、胸にもたれかかって身体を預ける重みに疲労の強さを感じる。静かにベッドに寝かせ、見つめ合った二人は、ひとつが終わり、新たな始まりに思いを巡らせた。

「カーマイン様……」

 思考を遮断するように呼ばれて振り向くと、何故かヒューズが恐々とした手付きで赤子を抱いている。

「……五百里様から……」

 どこを持てばいいのかわからぬ様子で、フニャフニャした赤子を差し出した。

「……ああ……」

 受け取って顔を見つめ、倭へ差し出すと、同じく我が子の顔を見つめる。

 この時クライヴは、初めてまざまざと思い知らされていた。この小さな赤子に、自分は重荷の全てを背負わせようとしているのだ、と言う痛烈な罪悪感を。そして同時に、同じ程に幼(いとけな)い、もう一人の息子を救うことが出来なかったと言う悔恨をも。

 今さら、どうにもならぬことがわかっていて、それでも己を苛むものたちを。

「……クライヴ……?」

 倭の呼びかけに小さく頭(かぶり)を振る。

「……いや、何でもない。それより、名を何とする?」

 思考も何をも断ち切って訊ねると、倭はもう一度、子の顔を見つめた。

「……零(れい)……」

 しばしの間の後、倭がつぶやく。

「……レイ……どう言う意味だ?」

「ゼロです。全ての起点であり、終わりでもあり、無に近くもあります」

 クライヴが頷くと、倭はさらに続けた。

「……清蓮(せいれん)……」

「……セーレン……」

「清浄なる花……ロータス……」

 視線を子に定め、ひとり言のように囁く倭を、クライヴが静かに見守る。

「この子の名はレイ、そしてセーレンです」

 そう言い切り、再び、クライヴに子を差し出した。受け取ったクライヴが、目の前に我が子の小さな身体を捧げ持つ。

 倭のつけた名を心の中で唱えながら、しばし瞑目の内に思考を巡らせた。

「……ユージィン……」

 つぶやいて瞑目を解き、真正面に子を見つめる。

「……今日から、そなたの名はレイ…………レイ・ユージィン・セーレン・ゴドーだ」

「……レイ・ユージィン・セーレン・ゴドー……」

 倭と同時に、ヒューズも小さくつぶやいていた。

 終わりの宴を司る、東西の伝説が誕生した暁。

 だが、この時のクライヴは、レイと名付けた我が子が、母である倭の力を『引き継ぐ』と言うことの本当の意味を、真に理解している訳ではなく──。

 本当の意味での宴の始まりと終わりには、これよりさらに十数年の歳月を必要とする。
 
 
 
 
 
~終宴の始まり・完/還(めぐる)につづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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