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課長・片桐 廉〔1〕~憂鬱編

 
 
 
 ヤバい。ヤバいぞ。マジで。

 まさか、このおれが。

 この歳になって、こんな風にホンキのホンキにホンキで陥るなんて思いもしなかった。

 何でこの歳になって出逢うかね……。

 ……なんて思ってみても、所詮、年齢は数字でしかない、ってことに今さら気づいたんだからどうしようもない。

 

 ふと、ため息が洩れたのを、隣にいた朽木(くつき)は聞き逃がさなかったらしい。

「課長。さっきからため息ばっかりついてますけど。何かあったんですか?」

 おれのため息がうるさくて鬱陶しいとばかりに、嫌味ったらしく言うところが腹立たしい。

 新卒の新人のクセに、頭の回転は速いわ、仕事の飲み込みは速いわ、要領はいいわ、全く可愛気がないヤツだ。

 ……いや、仕事が出来るのはいいことだ。おれもその方が助かる。当たり前だ。そう、それはいいことなんだが。

 藤堂が新人の時とは大違いだ。藤堂は頭の回転は速いわ、仕事の飲み込みは速いわ、要領はいいわ、しかも素直で爽やかで可愛いヤツだったのに。

「ん~?おれ、そんなにため息ついてるか~?」

 こう言うタイプのヤツには、もう、トボけるに限る。

 トボけ通そうとするおれの顔を、横目で見るヤツの視線を感じてさらに腹立たしさがこみ上げる。が、ここはスルーに限る。ひたすらスルーだ、おれ。

「32回です」

「あ?」

 朽木の意味不明の言葉に思わず訊き返す。

「今朝からの課長のため息の回数です」

「……………………」

 くっそ!!

 やっぱ、こいつ、かわいくねぇっ!!!

 

 元はと言えば藤堂のせいだ。可愛かった藤堂も、すっかり可愛気がなくなって来た。いったい、いつからあんな……。

 いや、だが。それにしても、と思う。

 こんな事になるとわかっていたら、端から興味なんて持たなかったのにな……と今さら後悔しても後の祭り。

 進むか、引き返すか。もう、それしかない。おれ自身が藤堂に言ったことだ。

 本当にな……。

 あの時━。あんなことがなければ、とっくに結婚くらいしていたかも知れないがな。ま、もちろん相手がいれば、の話で、『結婚する気持ちがあるか、ないか』ってことなんだが。

 だけど本当に、もう一生、特定の相手は作らなくていい、と思った。……いや、作るつもりはなかった。……なかったんだがな……。

 まさか、出逢うとは。

 何故、あの時のおれは少しも考えなかったのか。

 いつか━。いつか、こんな出逢いがあるかも知れない、と。

 本当に、何故、想像すらしなかったのか。

 
 そうしておれは、今日33回目のため息をつく。
 (当社比ならぬ朽木比)

 

 
 おれが彼女━今井里伽子━を初めて認識したのは6年前。

 彼女を始めとする藤堂颯一ら新入社員の面々が入社して来た日。全社員への顔見せも兼ねた入社式で一同に会した時だ。

 もちろんその時は、本当に認識しただけだ。新入社員のひとりとして。

 当事、海外営業部・米州部の、生意気にも係長として出席していたおれは、その年の新入社員が上玉揃いであることに驚いた。これがまあ、男も女も見映えのするのがかなり揃っていたのだ。

 男の中で一際目立っていたのが藤堂だった。もう、他の上玉なんか上玉に見えないくらい……まさにそんな感じで、ほとんどの女子の目は釘付けになっていた。とにかく彼の一挙手一投足にため息やら悲鳴が上がる始末で、女同士の牽制が壮絶な状態だった。

 そして女子の中で目立っていたのが雪村さん。まさにクールビューティーの名に相応しい美貌で群を抜いていた。野郎共が場も弁えずにガン見状態で、上長たちの咳払いが何度響いたことか。

 ま、当の雪村さん自身は全くの無関心で、内面までがホンマもんのクールビューティーだったワケだが。

 他にもふんわり系の坂巻さん(あくまで外見が)、アジアンビューティーの今井さん、などなど美女揃いで、いい目の保養をさせてもらった年として強く記憶に残っている。

 その後すぐに、藤堂はアジア部に配属された坂巻さんと交際を始め、おれはその関係で坂巻さんとは顔を合わせるようになり、坂巻さんと仲の良かった今井さんとも時々話すようになった。

 あくまで、その程度だ。あまりに藤堂と雪村さんの第一印象が強烈で、今井さんの印象が特に残ったワケじゃない。失礼な言い方かも知れないが。

 藤堂たちと、その翌年の新入社員は本当に優秀なのが揃っていて、『見かけ倒し』はほとんどいなかった。その2年間は我が社にとって、まさに当たり年だったのだろう。当事の人事部長・多賀野部長の人を見る目にはすごいものがあった。

 別にその後の新入社員が今ひとつだった、と言うワケではない。ただ比べてしまうとパッとしない印象、になってしまうだけのことだ。

 とにかく、まず見かけで目立っていた藤堂たちだが、その実、能力も選りすぐりだった。が、ひとつだけ不思議だったのは、雪村さんが何故、営業部ではなくて総合部に配属されたのか、と言うこと。これだけは本当におれも不思議だった。まあ当時は、何か事情があるのだろう、くらいにしか考えてはいなかったが。

 予定通り米州部に配属されて来た藤堂は、とにかく全てにおいて優れていた。少し優し過ぎるのが心配ではあったが、能力は抜きん出ていて、おれは彼がいい営業に育つのが本当に楽しみで、ますます充実していた。

 坂巻さんは見かけよりもずっと負けん気の強い、勝ち気で激しい性格だったようだが、それを隠して駆け引きすることもちゃんと心得ていた。

 藤堂の話によると、その反動が後々出るようではあったが、とにかくいつも上を見ているところが、彼のような性格の男にはいい刺激でもあったのだろう。

 その中にあって、今井さんはある意味では本当に目立たない存在だった。美人だし仕事も出来る。なのに、何となく表立っての存在感がない。不思議な女の子だった。

 背はまあまあ高い方だろう。スラリとしている。細身でしなやか、だけど健康的。印象として『運動神経が良さそう』で『何か運動してた、もしくは、してる、だろう』と言う感じだ。

 目はパッチリ……と言うワケではないが、かと言って細いワケでもなく、爽やかと言うか涼しげ。濃い色の瞳が聡明な雰囲気を醸し出している。

 雪村さんのように『透けるような白さ』ではないが、日本人としては白めの肌。何より弾力がありそうだ。これは決していやらしい意味ではなく。『健康的』って印象はここら辺にある気もする。

 ツヤツヤの黒髪は、裾の方だけ緩くウェーブがかかっていて、仕事中は片側でひとつに纏めている。

 あからさまではないけれど、全体的にちゃんと手をかけている、と言う印象を人に与える。シンプルに、きちんと。ワリとコッテリめの坂巻さんとはそこが対照的だ。

 そんな感じだから、何とはなしに見ていても、他の女子に混じっていると明らかに際立つ美女なのに、何と言うか、一歩離れて俯瞰でモノを見ているような印象で、はしゃいだりハジけたりしたところがない。それが却って目を引くと言うか。

 だからと言って、その時のおれがどうこうする、と言うつもりは全くなく、そのまま数年。ほんの少し事態が動いたのは、坂巻さんが海外赴任することになった時だ。

 そのことがキッカケになって藤堂は坂巻さんとわかれた。……と言うのは表向きの理由だが、そもそものキッカケが坂巻さんの赴任だったことは間違いない。

 その後の藤堂は、おれから見ていても寂しそうで。その時にふと思ったのが、彼は今井さんとならうまく行くんじゃないか、と言うことだった。

 それで二人で飲みに行った時に、それとなく探りを入れてみたら、藤堂も今井さんを憎からず思っていることが窺えた……のだが。

 やはり、まだ坂巻さんとわかれてすぐだったせいなのか、話の流れで今井さんのことを話題に出すことはあっても、どうもつき合おうという気持ちにまではならなかったようだ。当時は。

 ところが久しぶりに藤堂とサシ飲みをした先日の夜。おれは彼から驚く話を聞いた。何と彼女にモーションかけたことがある、と。

 しかも!しかもだ。ウチの社の『ナンバー1・王子』とまで異名をとり、ほとんど全女子社員の垂涎の的とも言える藤堂が!

 何と歯牙にもかけられずにフラれた、と言うのだ。

 これにはさすがのおれも唖然とした。

 いや、人には好みと言うものがある。それは仕方のないことだ。だが藤堂ほどの男に言い寄られて、勿体ぶる様子を見せるどころか、何と気づきもしないでスルーしたと言う。これで驚かないワケがない。

 思えば、あれが彼女に興味を持ったそもそものキッカケの切れ端……だったように思う。

 さらにグイグイ訊いてみると、他にもまあ、藤堂が周りに隠していた秘密に気づかれていた……などなど、興味を抱かないワケがない、くらいの洞察力、回転の速さ、そして聡明さ。

 彼女の聡明さには、薄々、気づいてはいたものの、それでも確信部分を聞かなければ良かったと、正直後悔している。

 寄りによってそんな状況の中、おれは予てより約束していた彼女との食事の席へと挑む日を迎えてしまった。

 

 もう手遅れだ。おれは進むか戻るか、どちらかを選ぶしかないなどと言いながら、既に戻ることなど出来なくなっている自分に気づいている。

 なのに。それでもまだ、おれはその事実から目を背けようとしていた。
 
 
 
 
 
~課長・片桐 廉〔2〕へ続く~
 
 
 
 
 
 
 
 

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