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それは3月につづいてた

 
 
 
 3月──。

 ぼくを見つけた彼女が遠くから手を振った。待ち人来たる……と信じたい。

 2月にはじまったそれは、一つの区切りを迎えようとしている。そう、もうすぐだ。

 今日、ぼくは、返事をもらえることになっている。





「これ……いや、こっち……違う……ちょっと待ってください……」

 濃紺のビロードに置かれた輝きは、小粒ながらも鮮烈な光を放っていた。どれもが甲乙つけがたい。と言うか、ぼくには違いがわからない。

「どうぞごゆっくりご覧ください」

「はは……」

 極上の営業スマイルを向けられ、ぼくの顔には引き攣った苦笑いが張り付いたままだ。本来、営業スマイルで引けを取るなど言語道断な立場の池山智之(いけやまともゆき)、商社勤務の営業担当。

 ぼくは今日、指輪を買いに来ている。

 ……のだが。

 今、目の前にある指輪たちは、自分なりの相手のイメージを踏まえつつ、流行に流されないシンプル且つスマートプラス上品なデザインを、とリクエストしたものだ。店内の全商品を一つ一つ吟味して選ぶなど、このぼくには到底ムリな話。選択肢を絞らなければ絶対ムリだ。

 こんな体たらくは仕事だったら許されない。営業マンとして情けないことは十分過ぎるほどわかってる。けど、考えてもみて欲しい。自分の専門分野でもなく、これまで縁のカケラもなかった物をいきなり相手のイメージに合わせて選べ、と言われてもムリなものはムリなのだ。

 そもそも、「今、お勧めの物を」とリクエストした時点で王手がかかっていたに違いなく、自分で自分に『学習しない男』のレッテルを貼らざるを得ない。

「まず、ご予算と……お相手の方のご年齢や普段のお召し物などは?」

 『検索条件くらいよこせ』とモロにダメ出しを食らった。2回目の。

 もう、初っ端で危険フラグだ。

 自分の鼓動がバカみたいに耳の奥に響く。たかだか指輪を買うくらいで、と思われそうだが、これは結構一世一代の買い物なんだとわかって欲しいものだ。

 それでも何とか言われた条件を提示すると、彼女はうなずいて何点かをピックアップし、ぼくの前に並べてくれたのだった。そこから既に何分経っているのかわからない。

「あの……」

「はい?」

 満面と言っても過言ではない笑顔に、ぼくは口から洩れ出そうになった質問を飲み込んだ。

(あなたならどれを選びますか?)

 いや、待って! これ、絶対ダメなヤツ!!

 上目遣いで目の前の営業スマイルを見、ぼくは視線を下げた。

「…………」

 一旦、深く息を吐き、宝石たちを見つめた。そして貧弱な脳ミソを振り絞ってそこからフル回転。走馬灯ってこんな感じなのだろうか、と言うくらいのスピードで、彼女と出逢ってからのことが駆け巡ってゆく。

 去年の2月、ぼくは結婚を視野に入れていた恋人にあっさり振られた。新しい彼氏とバレンタインを過ごすために、ってことは、つまり結婚を視野に入れていたのはぼくの方だけ。

 用意していた指輪も用なしになり、途方に暮れると言うか、単に呆然としていたと言うか、そんな時に知り合ったのが彼女──光田早季(みつださき)さんだった。

 指輪を持った抜け殻に、彼女は同情心を丸出しにするでなく、変に押し付けがましくもなく、その時のぼくにはヒッジョーに受け入れやすく、且つ有効なアドバイスをくれた。

 振られたばかりでコロリと落ちたことには目をつぶって欲しい。何しろ、一緒に憑き物も落ちたようにスッキリしたんだから。

 ともかくその後、彼女の勤める店を訪ねたぼくは、決死の思いで礼を兼ねた食事に誘ったのだった。

『え……』

 驚きと困惑が入り混じった彼女の表情は、「それが私の仕事なんです」と言いたかったに違いない。それでも、必死の形相がよほど哀れを誘ったのか、少し考えてにっこり笑った。

『では、お言葉に甘えて』

 彼女が仏に見えた。

 あの日、彼女と過ごした時間は決して長くはない。ただ、年齢とか趣味とか家族とか、互いのことを少しずつ開示してゆく行程は、緩やかで心地好い時間だった。

 そのせいか、元恋人に振られた直後だったことなど放り出し、その日の終わりにはこれからも会いたい気持ちを伝えてしまっていた。こう言うところだけは先手必勝、営業の習性が抜けていない。

 驚いて目を見開いた早季さんは、少し困ったような顔をした。ダメ元だったのは間違いない。だからその表情を見た瞬間、素直に「終わった」と思った。ところが、次に彼女の口から出た言葉は──。

『……あの……私、離婚歴あるんだけど……』

 少なくともぼくにとっては希望の光になった。それもあって、正直な気持ちがそのまま口から洩れてしまう。

『良かった……!』

 彼女の顔が怪訝そうに曇る。ぼくは言葉が足りなかったことに気づく。

『あ、や、そうじゃなくて実は恋人がいるとか好きな人がいるとか言われるよりは全然望みがあるかなとか都合のいいことだけど考えてしまって……』

 ワケのわからないことを一気にまくしたててしまった。一体、何が「そうじゃない」んだ。目を皿のようにしていた彼女は、微妙な間の後、急に吹き出した。

『あはははは』

 恥ずかしさと情けなさで慌てるぼくに、遠慮なしに大笑いする。その笑顔に、もう間違いなく落ち切った。

『よろしくお願いします』

 笑い過ぎで堪えられなかった涙を拭い、彼女が言った。

 早季さんとぼくは、2月のその時からはじまったのだった。

 一年ほどを共に過ごし、今年の2月。

 ぼくは再びの難関に挑んだ。

「結婚してください」

 直球で申し込むと、早季さんの動きが止まった。

「今回は……あ、や、指輪は一緒に選びたくてまだ用意してないんだけど、良ければ今すぐにでも買いに行きたい」

 この選択をしたのには一応ワケがある。彼女がどれほど宝石たちを大切に思っているかを知った今、自分なりに考えた結論だった。

 すると、彼女は持っていたグラスをテーブルに置き、居住まいを正した。

「本当に惚れ込んだ物を手に入れる喜びって確かにあって、それはとても大きいと思う。世の中、もらっても困る物や、微妙に残念な気持ちになる物も確かにある……だけど私は、誰かが誰かのために、何が喜んでもらえるか、どれが合いそうか、本当に一所懸命考えてくれた物が光り輝く宝物になる……そんな宝石みたいなことこそ増えて欲しい、なんて思う」

 彼女にしては一気……って、いや、これ、絶対ダメなヤツじゃん……。

 いや、負けるな! 営業心得第四条『ねばる』だ。

「早季さんの言いたいことは何となくわかった。でも、ぼくはやっぱり多少なり本人の好みも取り入れたい。気に入ってもらった商品を取り引きしたいと言うのは、営業の願いでもあるから」

 ぼくの言い分に彼女は少し首を傾げ、考えているようだった。

「うん、それもわかるわね。じゃあ、こうしましょう」

 双方の言い分をすり合わせた提案はこうだった。

「私がある程度の好みを伝える。あなたはそれを元に選ぶ」

 単純明快。

「あなたがお客様として店に来る。私は店員として接客する」

「えっ!?」

 続く言葉に驚いたものの、でもそうすればその場の彼女の反応で良し悪しがわかる……などと考えたぼくに、彼女はさらに驚愕の条件を付けた。意外とイタズラっぽい一面があること…………知ってはいましたけどね……。

「最終的にあなたが選んだ物を買ってもらい、後日、私がそれを受け取れば、それがオーケーの返事」

「う、受け取ってもらえなかった時は?」

「返品処理で」

 トラウマを抉る。もう一度やり直しとか、仏の顔した鬼とは彼女のことか……いや、これ、一体何のお仕置きなんだ?

 時計の針の音が聞こえるほどシンとした間。ぼくは覚悟を決めた。

「わかった」

 そんなやり取りを経て、数日後の今、ぼくはここにいる。懸命に何気ないひと言ひと言を思い起こす。

 ここの店員さんたちは、宣伝も兼ねているのだろう、普段商品を身に着けている。もちろん控えめなデザインの物だけど、さりげなく取り入れている。ってことは、ぼくが選択を間違えなければ、早季さんも仕事中に着けてくれる可能性がある。

 考えながら並んだ宝石を見下ろすぼくの脳裏に、ふと浮かんだことがあった。

「あの……こんなに出してもらってから申し訳ないんですけど、その……入り口のところに飾られていたブルーの指輪って……」

 一瞬の間の後、彼女は小さくうなずいた。

「こちらでございますか?」

 三点ほど置かれた指輪の中に、ぼくの言った物も含まれていた。抜けるようにあざやかな空色? 海の色? が目を奪う。店に入った時、真っ先に目に付いたものの『ダイヤモンド』への先入観から除外してしまっていたのだ。

(この色──!)

 初めて食事をした時の、彼女のあの笑顔のイメージだった。

「あの、この石は……やっぱりこう言う場面では向いてませんか?」

「いえ。確かにダイヤを選ばれる方が多いのは事実ですが、誕生石やお好きな貴石を選ばれる方もいらっしゃいます」

「え、と……なら、これ……これがいいです」

 いきなりの方向転換に彼女が呆気に取られている。でも、『これ、リクエスト全然入ってないヤツ!』と我に返っても、ぼくの心は決まってしまった。

「これにします。これください」

 ……緊迫の間。

「ありがとうございます。では、こちらへ……ただいまご用意致しますので、お掛けになって少々お待ちください」

 案内された席で、ふと思い出す。

「それは何て言う名前なんですか?」

 ……今さらの質問。

「パライバ・トルマリンと言います」

 ……聞いたこともなかった。

 保証書の用意やら包装やらを手早くこなした彼女は、そっと小さな紙袋を差し出した。

「ありがとうございました」

「こちらこそ」

 見送られて店を後にしてから、「絶対返品手続きしたくない! やり直し反対!」と切実に天に祈る。

 彼女に渡すのは三日後の予定だった。





 そんなこんなを思い出しながら、食事の後、ぼくは改めて早季さんに申し込んだ。

「ぼくと結婚してください」

 そっと指輪の箱を差し出すと、彼女が真っ直ぐにぼくを見つめた。

(神様仏様皆様頼むーーー!)

 実は昨日、ソワソワしてるところを上司と同僚に見つかり、手荒く激励されたのだ。皆に祈りながら、真っ直ぐな視線に真っ向から向き合う。

 彼女はわずかに睫毛を下に向け、唇に微かな笑みを浮かべた。

(南無三……!)

 心の中で手を合わせて天を仰いだぼくに、早季さんはゆっくりと左手を差し出した。
 
 
 
 
 
~おしまい~
 
 
 

この話は、3年ほど前に投稿した『2月が終わりではじまりだった』の続編です。元が当たり障りのない話なので、こちらも一段とトンでも設定のない話になっております。

……が!

特筆すべきことが一点あるとすれば、前作を ちびまゆさん が朗読してくれている、ということでしょうか。


しかも、つい先日、note以外の場所でも!
ぶっつけの生録ですよ、生録!


そんなこんなで調子こいて必死こいて絞り出したものでしたw
って言いながら、前作よりかなり長くなってしまってるんですけどww
主人公の不甲斐なさに文字数取られた感じなのでお許しをwww(誰に言ってるw)
 
 
 
 
 

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