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魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part7~

 
 
 
 その日、国王・リチャードから参内を命じられたクライヴは、苛立つ様子を隠しもせずに登城した。

「ゴドー、お召しにより参上仕りました」

「……大義……」

 互いに不機嫌そうな顔で向き合うと、二人の周囲を漂う空気のあまりの凍り付き具合に、慄いた小姓がそそくさと立ち去る。

「本日のご用向きは?」

 さっさと用件を終わらせようとしていることが丸わかりの態度。己(おの)が蒔いた種とは言え、輪を掛けて不遜なクライヴの態度に、リチャードがそっぽを向いた。

「……そなたに会いたいと言う者に仲介を頼まれたのだ……!」

「国王陛下ともあろう御方が、たかだか家臣の顔合わせの仲介を? しかも、謁見の間ではなく私室で……」

 嫌味も極まれりなクライヴの言葉に、リチャードの顔があからさまにムクれる。そもそも子どもの頃から、口でも腕でもクライヴに勝てた試しがなかった。それは、クライヴが『力』を使わなくても同じ結果、と言うことである。

「まあ、それも良いでしょう。……ところで、先日、太王太后陛下には正式にお伝え致しましたが……」

 ムクれていたリチャードの顔が途端に引き締まった。クライヴを睨みつけると、顎を反らして先を促す。

「歴代の国王陛下と、我がゴドー家当主が暗に結んで来た約定、これを限りにご返上申し上げます」

 肘を着いて顎を支えているリチャードが、微動だにせずクライヴを見つめた。二人の間にある空気が止まり、交差する視線が火花を散らしているのではないか、と言うほどに硬質な空間となる。

「……太王太后陛下は何と……?」

「さて……? お返事は賜わっておりませぬ故……」

 何でもないことのような返事を聞くや否や、リチャードは勢いよく立ち上がった。

「返事を賜わっておらぬだと! それでよくも『返上した』などと言えたものだな! 陛下も認めてはおらぬ、と言うことではないか!」

 激高するリチャードを、クライヴが無言で見上げる。拳を戦慄かせるリチャードに対し、瞬きをするようにゆっくりと目を伏せ、そして開いた。

「……恐れながら、その件については既に申し上げておいたはずです」

「……何……?」

 クライヴの表情は全く変わらず、むしろ冷たさを増してさえいる。

「元々、そのような約定、我がゴドー家に対しては何の効力も持たぬ、それこそ、いつでも放棄出来るものだ、と……」

 その声音のあまりの低さと冷たさに、リチャードは背中を冷たいものが流れて行く気がした。どれほど不遜な言葉を投げかけられようとも、ここまで温度の低い対応は初めてであり、逆に丁寧であるが故に恐ろしさを増す。

「元々、太王太后陛下のご承諾も不要の約定……せめてもの仁義と心得、ご報告申し上げたまで……」

 唇を噛んだリチャードが、更に上目遣いでクライヴを睨んだ。

「……そなた……一体、オーソンをどうするつもりだ……」 

 リチャードを見つめたクライヴが、何かを答えようと口を開いたその時──。

「…………?」

「……何事だ?」

 室外の彼方から聞こえる何かに、クライヴとリチャードが同時に扉の方へと視線を向けた。幾人もの重なった声と走るような音。それらが次第に近づいて来る。

「…………!」

 次の瞬間、クライヴには声の主が誰であるか、そして誰を呼んでいるのかが判った。

 登城の支度をするクライヴの表情は硬かった。

 例えばリチャードの命令を拒否しようと、今さら二人の関係がそれほど変わるとも思えなかったし、むしろ疎遠に出来るなら望むところ、とも。だが、もし拒否すれば、リチャードは何度でも使いを寄越すだろう、とクライヴは踏んでいた。ならば早々に用件を終わらせた方が良い、と言う結論になる。

 リチャードと言う男は、子どもの頃からクライヴに執心しているところがあり、それは周囲から見ても顕著なものだった。それは自分にはない『何か』を持つ者に対する羨望にも似た嫉妬とも取れ、その『何か』を自分が手に入れられないのであれば、『何かを持っている者』を独占しておきたい、と言う欲求とも取れる。

 とにかく結論をぶつけなければ、いや、ぶつけたとしても、何度でも呼び出して来る可能性はあった。故に、理解されないのであれば切り捨てる、と既に決意している。

 リチャードが自分に拘る理由──それはクライヴも薄々気づいていた。ゴドー家の『力』の他に、太王太后アリシア・ロザリンドの存在があることを。

 知っていたからこそ、クライヴは約定の返上も引き伸ばしていたのだから。

「……仕方ない、行って来る。この際、先日、太王太后陛下に申し上げた約定の件も話して来る」

「どうぞお気をつけて」

 心配しているのか、少々可笑しがっているのかわからないフレイザーの様子に、クライヴが面白くなさそうな目を向けた。だが、正式な公文書で召されれば、本来であれば出向かなければならない立場ではある。今のところは、まだ。

「……油断するなよ。それと、マーガレットの様子、気をつけてやれ」

「畏まりました」

 そう命じ、クライヴが城へ出かけたのがつい先程のことで、そろそろ城に到着した頃であろう。

「フレイザー様……また文が……」

 タイミングを計ったような報告。ヒューズの困り顔に、フレイザーも溜め息をついた。クライヴは渡して構わないと言ってはいるが、マーガレットの様子を見ている限りでは黙っていた方が良い気もする。それは二人の共通した意見だった。しかし、仮にも女主の父親からの手紙を、クライヴの許可もなく勝手に破棄する訳にも行かない。困ったフレイザーが、主が戻るまで待つべきか考えあぐねた、その時──。

「……父からの文ですか……?」

 ハッとしたフレイザーとヒューズが振り返ると、青白い顔のマーガレットが扉に凭れるようにして立っている。

(……しまった……!)

 心の中でフレイザーは舌打ちした。ヒューズも息を飲む。

「……はい。左様でございます」

 こうなっては仕方なかった。何事もなかったようにフレイザーが答え、ヒューズが文を躊躇いながら差し出す。震える手で受け取ったマーガレットが、怖々と差出人の名を見つめた。今にも倒れそうな顔色に、ヒューズはオロオロしている。

「……ご迷惑をおかけして申し訳ありません……」

 クシャリと封筒を握りしめ、今にも崩れ落ちそうな様子で頭を下げた。

「奥様、何を仰るのです。これは私共の役目なのでございます。奥様がお気になさることではありません。お身体に障ります故、どうぞ、カーマイン様の仰る通り、お心安らかにお過ごしくださいますよう……」

 スラスラと答えるフレイザーに、マーガレットは頭(こうべ)を垂れて謝意を表す。さすがにフレイザーも、『父親が娘を心配するなど当たり前のこと』などど言う嘘臭いセリフは出せなかったが。

「……ありがとうございます……。……気分が優れないので、少し休ませて戴きます……これは後で読みますので……」

「はい、そうなさってください。どうかお身体を最優先に……」

「……はい……」

 ヒューズを部屋まで付き添わせ、フレイザーは業務に戻った。数分で戻ったヒューズに、念のため確認する。

「お休みになられたか?」

「はい。横になられたので引き上げて来ました」

「そうか。では、カーマイン様がお戻りになる前に、書斎の方を頼む」

「はい」

 しばらく業務に専念した二人は、メイドたちの様子で午後の茶の時間が近いことに気づいた。先程のマーガレットの様子を思い起こしつつ、ヒューズを見る。

「お加減がどうかわからんが……奥様の様子を見て来てくれ。少し落ち着かれたようなら、お茶でリラックスされるかも知れん」

「わかりました」

 用意をしながらヒューズを待っていると、誰かが遠くからバタバタと走って来る足音が響いた。フレイザーが眉をしかめる。

 粗忽者に注意しようと扉の外に顔を出すと、息せき切って走って来るのはヒューズであった。

「フ、フレイザー様ぁっ……!」

「……! ヒューズ……!?」

「……フレイザー様……っ!」

 かなり必死で走って来たのか、ヒューズは肩で息を整えようとしている。

「何をしておる! 廊下は走るなと、あれほど……」

 未だ息が上がったままのヒューズを見下ろし、叱責した。食器類を扱うメイドもいるし、まして今はマーガレットのこともある。万が一、衝突でもしたら危険極まりなく、ただでは済まない可能性が高い。普段から、習慣づけておかなければならないのだ。

「……そ、それどころじゃありません、フレイザー様……! 奥様が……奥様のお姿が見当たりません……!」

「何だと……!?」

 泣きそうな声で告げるヒューズに、さすがのフレイザーも一瞬脳内が真っ白になった。

「良くお捜ししたのか……!? 化粧室やサンルームにいらっしゃるかも知れんぞ……!」

 慌てて見過ごしているのでは、と確認するも首を振る。

「確認しました……いらっしゃらないんです……」

「…………!」

 ヒューズを伴い、フレイザーは急いでマーガレットの私室に駆け付けた。確かに部屋はもぬけの殻となっている。

「……何と言うことだ……」

 マーガレットの私室内に、特に変わった様子はなかった。何者かが侵入した形跡も、荒らされたり争ったような様子も、何も。

 そもそも、ゴドー家の領地は、クライヴの言い付けで内外の見張りもガードも強化している。例えばオーソンであっても、屋敷内どころか敷地にさえ無断で侵入するなど不可能なはずであった。

「……ヒューズ! すぐにカーマイン様にお伝えして来るのだ!」

「……はっ、はいぃ!」

 慌てて駆け出そうとするヒューズの襟元を、フレイザーが素早く手で掴んだ。

「緊急事態だ、ヒューズ! 時間が惜しい……そのまま行け!」

 鋭い口調で告げられた内容を、ヒューズが正しく理解するまでには3秒ほど要した。

「……え、え、でも、まだ明るいですよ。こんな時間じゃ人通りが……人目が……」

「構わぬ……! 責任は私が取る! 一刻も早くカーマイン様をお連れしろ!」

「……はっ、はい!」

 いつになく鋭いフレイザーの口調に、事の重大さを正しく理解せざるを得ない。マーガレットの部屋の窓から外に出ると、ヒューズはそのままクライヴのいる城に向かった。

「……頼むぞ……」

 見届けて後、フレイザーは全員を集めて屋敷中の捜索に当たった。とにかくマーガレットの動いた痕跡を探すべく。

 一方、ほんの数分で城に着いたヒューズは、主を求めて門番に急ぎの取り次ぎを求めた。

 ゴドー伯爵の名を聞き、無下に扱うような輩はおらず、ヒューズは丁重に応接室に通された。だが、そのまま、一向に取り次がれる気配がない。

(……遅い……!)

 待たされながらヒューズは苛立ちを隠し切れなかった。危険を冒してまで最終手段を用いてやって来たと言うのに、これでは何のためなのかわからなくなる。

「……申し訳ありません……あの……まだかかりそうでしょうか……?」

 そっと扉を開け、外に立つ小姓らしき男に訊ねてみると、彼も困ったような表情。「確認して参ります」と言って奥へと姿を消し、ヒューズはまた取り残された。仕方なく室内に戻って腰掛ける。

「……遅いなあ……」

 思わず口をついて洩れてしまう。しばらく待っても小姓が戻って来る気配はなく、痺れを切らしたヒューズは再び廊下に出た。周囲を見回すも誰もいない。

「……ん~……」

 意を決し、自分が来たのとは逆方向、宮殿の奥に向かって駆け出した。

「カーマイン様ぁぁぁ!」

 駆けながら大声で呼ぶ。

「カーマイン様ー! どちらですかー!!」

「あっ! ご使者殿!」

 駆けて来るヒューズに気づいた家臣たちが、奥深くへの立ち入りを遮ろうと慌てて集まって来た。

「ご使者殿! お待ちくださいませ! こちらより奥は陛下の私室にございます! 何人たりとも勝手に立ち入ることは許されませぬ!」

「……離してくださいってば……! ……カーマイン様ぁぁぁ!」

 必死で止めようとする家臣を押しやり、すり抜け、ヒューズはものすごい速さで廊下を駆け抜けて行く。後ろには追いつかない家臣がバタバタと連なり、前からは新たに衛兵が現れ、大混雑の大騒ぎとなった。

「カーマイン様ぁぁぁぁぁ!」

 ヒューズの侵入を阻止せんと、衛兵たちが総掛かりで囲み込もうとしたその時──さらに奥の豪奢な扉のひとつが突然開け放たれた。

「ヒューズ……!?」

 一瞬、ヒューズが固まる。だが、扉を開けたのはクライヴであった。ヒューズの顔が輝く。

「カーマイン様!!」

 宮殿の最奥、国王の私室付近まで入り込んで来たヒューズに、さすがのクライヴも驚きを隠せなかった。しかし、当のヒューズはおかまいなしに衛兵たちの腕をすり抜け、嬉しそうにクライブに駆け寄って来る。

「……そなた、一体どうやってここまで……いや、それより何事だ……!?」

 宮殿の奥まで入り込んで来るなど、明らかにただ事ではない。それ故に、クライブは事の大きさの方に重きを置き、他は捨て置く。

「大変なんです! 奥様が……奥様が……!」

「……何……?」

 必死に訴えるヒューズの言葉に、クライヴの顔が俄かに険しくなった。

「何があった……?」

「奥様がいなくなってしまわれました……!」

「……何だと……!?」

「父君からの文が届いて……後で読まれる、と休まれて……様子を見に行ったら……」

 クライヴの眉がさらに吊り上がり、一瞬、何者か──オーソンの侵入を疑う。だが、ゴドー家に忍び込み、人ひとりを連れ出せるような人間はいない、と己に断じた。例えオーソンであろうとも、国王の居城であるこの城に忍び込むより困難なはずである、と。

 それでも、マーガレットが姿を消した、と言うのであれば、オーソンが関与していないはずはなかった。他の理由などある訳がない、と。

「……っ……!」

 その時クライヴは、背後でリチャードが小さく息を飲んだことに気づいた。ゆっくりと振り返る。

「……リチャード……そなた……」

 クライヴの目を見、リチャードは金縛りにあったように硬直した。

「……何を知っている……?」

 クライヴが一歩近づくと、リチャードが一歩後退する。

「……余は何も知らなかったのだ! ……オーソンに頼まれただけで……話したいことがある故、そなたを呼び出して欲しいと……自分が申し出ても会うてはくれぬだろうから、と……」

 言い訳する様はあまりにも必死で、嘘ではないことはクライヴにも理解出来た。だが、今までの経緯を顧みれば、短絡的な行ないであることに変わりはない。

 向けられた冷たい目に慄くリチャードに、クライヴは何も言わず踵を返した。

「……ヒューズ、戻るぞ」

「は、はい……!」

 ヒューズを連れ、急ぎ足で去って行くクライヴの背を、リチャードの声が追いかけて来る。だが、当然のことながら、速度が緩まることも、まして止まることもなかった。

 急ぎ屋敷に戻ったクライヴを、神妙な顔のフレイザーが迎えた。

「……申し訳ありません」

 開口一番の言葉はそれであったが、クライブはただ目で頷く。

「……話は途中ヒューズから聞いた……が、今、私が見ても、何者かが侵入した気配はない。何より、私が施した防御が破られるはずはない」

「はい、その通りでございます。奥様はご自分から屋敷を出られたのです」

 驚きの声を上げそうになったヒューズが、慌てて自分で自分の口を押さえた。やや片眉をしかめ、クライブの視線は真っ直ぐフレイザーに向けられる。

「……根拠は?」

「こちらです」

 訊ねたクライヴに、フレイザーが封の切られていない封筒を差し出した。受け取ったクライヴが目を落とすと、確かにマーガレットの手書き文字で『カーマイン様』とある。

「……どこに?」

「カーマイン様の寝室の枕の下に……隠すように置かれていました。恐らくは、私たちにはすぐに見つけられないよう……カーマイン様がお休みになる時に気づかれるようにされたのではないかと……」

 フレイザーの返事を聞き、クライヴはもう一度表書きに目を落とした。封を開け、目を通すクライヴの表情が少しずつ引き締まって行く。

「……愚かな……!」

 吐き出すように言うと、クライヴはマーガレットの文を握り締めた。その目が、静かに怒りを湛えている。

「……奥様は何と……」

「自分にはゴドー家の女主など無理だと……私に他の女を迎えろ、などと言っておる」

 自嘲気味に言い放つ。

「……そのような気は毛頭ない、と申したに……」

 この時、クライヴの胸には、産まれて初めて後悔にも似た念が湧いた。始めから断らなかった後悔、無理にでも説得しなかった後悔、ここまでの弱さを見切れなかった後悔、何より、本心から大切に思ってやれなかった後悔、だからこそ、確実に信じさせてやれることが出来なかったのだと言う後悔──。

「……出かける」

 それらを振り切ったクライブは、言うなり扉の方に足を向けた。

「……カーマイン様……!?」

「……え、ええっ!? 一体、どちらに……!?」

 驚いたフレイザーとヒューズが同時に声に出し、足を止めたクライヴは振り向かずに答える。

「……決まっている。オーソンの屋敷だ」

 夕闇が陽の光を凌駕し始めた逢魔が時、その色にも似た影がオーソンの屋敷の前に降り立った。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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