新規合成_2020-03-01_18-03-32

呼び合うもの〔七〕~かりやど番外編~

 
 
 
 優一(ゆういち)の心情を掬い取ったのか、朗(ろう)は片足を一歩下げ、視線をすぐ横に誘(いざな)った。
 
「……ここには、ぼくの親友が眠っています」
 
 ひとり言のような朗の声。墓石とは思えぬ石――そこには『吾 昇る』と刻まれている。
 だが、その文字以上に『親友』と言うひと言で、優一は全てを理解した。
 
(……昇吾(しょうご)……!)
 
 本当の名、本当の姿では会うことのなかった従弟との再会。だが、逆に期待感が一気に膨らむ。
(ならば、やはり美鳥(みどり)もここに……?)
 優一の表情からその期待をも読み取ったのか、今度は斜め後ろを見遣った。
 
「……そして、こちらには妻が……」
 
 そこには『翠』のひと文字。
 
 優一には、文字そのものの意味は読み取れなかった。妹の名は『美鳥』であるはずだから。それでも、そこが妹の眠る場所なのだということはわかってしまった。
 
 翳る朗の顔を見つめ、その場の空気が止まったように感じる。
 同時に、自分の中の時間が錆び付いた歯車のように止まった気がした。
 
『理解したくない』
 
 そんな気持ちがこぼれそうなのに、何をどう言えばいいのか考えあぐね、沈黙するしかない優一の手を和沙(かずさ)が握った。
 
「あの……小松崎(こまつざき)さん……」
「……はい?」
 
 小松崎朗の静かな返事と和沙の手の温もりが、ようやく判断力を回復させる。
 
「奥様とご親友の話を……聞かせて戴けませんか?」
 
 ほんのわずかな間。
 
「朗、で結構ですよ……お義兄さん」
 
 答えて、朗は再び間を置く。
 その答えに全てが詰まっているのを感じ、優一は続きを待った。
 
「……ここは少し暑いですね」
 
 長くなることを予感し、優一も和沙もただ朗の言葉を受け入れた。

「春(はる)さん、戻りました」
 朗が声をかけると、奥から小柄な老婦人が出て来た。
「お帰りなさいませ、朗さま」
 朗の背後に立つ二人に気づき、『春』と呼ばれた老婦人は少し驚いた様子を見せた。
「お客様でしたか。いらっしゃいませ」
 ふたりに優しい笑顔を向けるも、優一の顔に視線を止め、ほんのわずか不思議そうな表情を浮かべる。
「ぼくの従姉とそのご主人です」
「朗さまの……左様でございましたか。失礼致しました。さ、どうぞお上がりくださいませ。すぐに冷たいものをお持ち致します」
 おっとりとした雰囲気とは裏腹に、春はテキパキとスリッパを用意した。
「春さん、それはぼくがやります。それより佐久田(さくた)さんはもう見えてますか?」
「はい、少し前に。今、先生と……」
 自分でやる、と言う朗の言葉に驚きつつも、春はよどみなく答える。
「では、すみませんが、呼んで来てもらえませんか? 少しお話ししたいことがあるので、春さんもお二人と一緒に客間の方へお願いします」
「わたくしもでございますか?」
「はい」
「かしこまりました」
 答えて会釈をし、廊下の奥へと姿を消した。
 
「どうぞ」
 優一たちを居間に続く客間に案内した朗は、和沙から渡された花を持ってキッチンと思われる方に歩いて行った。外に飾っても暑さで萎れてしまうからと、室内用を用意していたのだ。
 並んで腰かけた二人は室内を見渡し、ボードの上にいくつかの写真立てが置かれていることに気づく。見てみたい気持ちはあったが、無断では気が引けた。
 これから話を聞かせてもらうのだから、後で頼めばいいと思い直す。
 
「お待たせしました」
 ちょうどその時、トレーにグラスを乗せた朗が戻って来た。冷たい麦茶が置かれる。
「ありがとうございます」
 外が暑かったせいもあり、二人はすぐに口をつけた。他の椅子の前にグラスを置き終え、朗が下座に着くと足音が聞こえて来る。
 
「朗さま。お待たせしました」
 先頭に立っている50代と見える男が言った。背後には、同年代の男と春が控えている。
「お話し中のところ申し訳ありませんでした。佐久田さんも……」
「いえ、少し休憩しようと思っていたところでしたから……」
 今度は『佐久田』と呼ばれた男が答えた。
「ありがとうございます。では、こちらに……」
 促されて座った男二人も、先ほどの春と同じように優一の顔を不思議そうに見つめた。ややして、ハッとしたように目を見開き、すぐに納得したように小さく頷く。
 
「小半さん、和沙ねえさん、ご紹介します。こちらはこの施設の責任者で夏川(なつかわ)」
 朗が簡潔に紹介した。
「夏川崇人(たかひと)です」
 夏川が名乗り、会釈する。
「そして、こちらが運営責任者の佐久田と、我々の生活一切を支えてくれている曽野木(そのぎ)……春さんです」
「佐久田征司(さくたせいじ)と申します」
「曽野木小春(こはる)と申します。どうぞ、わたくしのことは春、とお呼びくださいませ」
 佐久田と春も夏川に追随した。
(……夏川……)
 その名を聞いた瞬間、優一にはすぐに松宮家主治医だった夏川医師だと理解した。やはり、美鳥(みどり)は彼の元にいたのだ、と。
「先生たちはぼくの従姉、彼女……三堂(みどう)和沙のことは……」
「はい。三堂社長とは何度かお会いしております。その折にお話だけは……」
 夏川の返事に佐久田も頷く。
「春さんには、さっき簡単に説明しましたが、彼女はこの5月に結婚して……こちらがご主人の小半さんです」
「はじめまして、小半優一です」
 優一の挨拶に合わせ、和沙も会釈した。全員が静かに礼を取る。
 
「何から話せばいいのか……そうですね。まずは、春さんにお伝えしておきたいことがあります」
「え、わたくしに?」
 不思議そうな春に、朗は切なげに微笑み、頷いた。
「こちらの小半さんは、美鳥のお兄さんです」
「……え……?」
 春はまさに唖然とした。半ば、腰を浮かし、優一と朗の顔を交互に見遣る。
 どちらも否定しないことに本当だと確信し、優一の顔を凝視した。ただただ、じっと見つめる。
「……旦那様……いいえ、若奥様に似ていらっしゃる……?」
 ひとり言のようにつぶやいた春の言葉は、副島(そえじま)に祖父母と両親の写真を見せられた折に、自分が感じた感想そのままであった。
「確かに、面影がお若い頃の昇蔵(しょうぞう)さま……鼻や口元は美紗(みさ)さまに似ていらっしゃいますね。松宮家と結びつけなければ、わからないでしょうが……」
 夏川も春に同意する。
 
「ですが……わたくしは奥様から美鳥さまにご兄妹がいらっしゃるなど、お聞きしたことはありません。いえ、陽一郎(よういちろう)さまからも……」
 確認するような春の物言い。
 美鳥の父である陽一郎が、妻の美紗ではなく、別の女性との間にもうけた子どもではないのかと懸念していることが、そこにいる誰にも理解出来た。いくら美紗に似ているとは言っても、状況としてはそう考える方が自然と言える。
「春さん。小半さん……優一さんは、ご両親とも美鳥と同じ、陽一郎おじさんと美紗おばさんで間違いありません。ただ、お二人は……知らなかったんです」
「ご存知……なかった……?」
 春が驚くのも無理はなかった。
「はい。ぼくも美鳥から聞いただけの又聞きみたいなものですが……」
「その件は私からご説明しましょう」
 どう説明したものか迷い、言葉を探す朗に、夏川が助け舟を出した。
「……とは言え、私も父から聞いたのは『経緯(いきさつ)』のみで、起き得た事実などについては又聞きの又聞きに違いありませんが……」
「……いえ、お願いします」
 又聞きでも、医療専門者である夏川の説明の方が説得力を期待出来る。加えて、どうにも説明しにくいことも事実で、朗もホッとしたように表情をゆるめた。
 
「まずは、先代のご出生の件をお話ししなければなりません」
「おい、夏川……!」
 夏川の切り出し方に、佐久田が窘めるような視線を向ける。
「ここから説明しなければ、そもそもの発端について説明がつかない。それに、優一さまには全てを知る権利がおありだ」
「それはそうだが……そうすると……あれだぞ……」
「どんなことでも構いません。全て教えてください」
 二人のやり取りを聞いていた優一が、先を促すように言葉を挟んだ。
 夏川はただ頷いたが、佐久田は物言いたげな、それでいてバツの悪そうな表情を浮かべた。和沙は、その視線が自分を掠めたことに気づく。
(……あ……!)
 佐久田が何を懸念しているのか、いや、気遣ってくれているのか、和沙は瞬時に理解した。それは、優一との見合いの話が出た折に、そして優一からも姑である沙代(さよ)からも聞かされた『松宮家の特性』のことだ、と。
「私も、主人のことは全て知っておきたいです」
 控えめに、だが、はっきりと和沙は申し出た。
 夏川は、一瞬、怪訝そうな表情を浮かべたが、佐久田は和沙のその態度に、彼女が全て承知の上であることを読み取った。さらに夏川は、佐久田の様子から彼が意図していたこと、そこから派生する全てを読み取るに至った。
 
 夏川と佐久田は同時に朗の顔を窺い、頷き合う。
「……では、続けます」
 呼吸を整え、夏川は説明を始めた。
 
「戸籍上、昇蔵さまは松宮家の実子となっておりますが、実際には分家のご子息です。実子である冴子さまの結婚相手として産まれた時から定められ、そのために入れ替えられて松宮家ご嫡男として育てられました」
「それは、つまり、奥様が松宮家の本当のご当主でいらっしゃった、と言うことですか……?」
「その通りです」
 春さんの質問に夏川が頷く。
「春さんも何となく感じていたとは思いますが、松宮家の直系は極端に生殖能力が低い。そのことが、知らぬ間に昇蔵さまにのしかかっていたんです。松宮家存続に対するプレッシャーとして……」
 
 そのために、自然にすら抗おうとした当主としての重責は、誰もが想像するには足り得なかった。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?