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強がりではなく〜社内事情シリーズ〜

 
 
 
〔根本目線〕
 
 

 
 
 昔の恋の話をしようか──。

 それは、人から見れば『強がり』としか言えないだろう恋。

 『彼女』と出会ったのは大学生の時。ぼくが4年、彼女は新入生。学部が違うので、本来なら接点はないはずだったぼくらは、学内の行事運営で関わるようになった。

 面白かったのは、目を引かずにはいない綺麗な子なのに、何故か人の陰に隠れているその印象。口数も少なく、笑顔も少なく、何だかつまらなそうに見える。見えるけど、割り振られた役割は確実に、そして誰よりも手早く熟して行く。

 いつからか、彼女のことが気になって仕方なくなっていた。

 ある日、打ち合わせを終え、メンバーで食事に行った時のことだ。敢えて目立たないようになのか、やはり隅っこにひっそりといる彼女に目を引かれる。

(何で運営メンバーになったんだろう?自分から積極的に立候補したようには見えないけど……)

 そう思った時、彼女が隣にいた同級生の子に声をかけて立ち上がった。上着とバッグを持っている。先に帰るつもりなのだ、と気づき、やや遅れて立ち上がった。

「根本、帰るのか?」

「ああ。明日、ちょっと用事があるんだ。……お先」

 仲間に断り、ぼくは店を出て辺りを見回した。駅に向かう後ろ姿を見つけ、速足で追いかける。

「……送って行くよ」

 振り返った彼女は、驚いたような表情でぼくの顔を見上げた。いつものキリッとした顔ではなく、無防備な表情が妙に可愛い。

「……ありがとうございます」

 取り付く島もなく断られるかと思いきや、あっさりと受け入れられ、ぼくの方が拍子抜けする。想像していたほど『オカタイ』わけではないようだった。

 後々考えてみれば、これがぼくと彼女の始まり、だったと言えるだろう。

 何故、わざわざ『後々』と付けるのか、には理由がある。その後、何度か食事や遊びに彼女を誘ったけれど、色々な理由もあり、在学中にぼくたちの関係が交際に至ることはなかったからだ。

 卒業が近づくにつれ、ぼくは就職が決まっていた商社との関わりが忙しくなっていた。社の方針らしく、入社前にこれでもか、と言うほどの面接や説明などが懇切丁寧に行なわれ、空き時間のほとんどを、それに費やしているようなものだったからだ。

 そのせいで、と言うと言い訳になるのだろう。けれど、本当になかなか時間が取れず、彼女との連絡や、会う時間も途絶えがちになり、結局、進展しないままぼくは卒業してしまった。

 式見物産に入社したぼくは、海外営業部の米州部に配属された。そこには、二歳しか違わないのに、既に米州部のエースとなっていた片桐先輩と流川麗華がいた。片桐先輩はこの後すぐに主任となり、僅か二年半ほどで係長になっていく。

 その後、彼女がアメリカに短期留学をした話などを人伝に聞いたりはしたものの、それ以上のことは知り得なかった。

 ぼくはぼくで、慣れないながらも、片桐先輩の指導の元で過ごす、忙しい、それでいて充実した毎日。彼女のことを忘れることはなくとも、日々の生活に塗り込められて行く記憶。

 だからこそ。

 再会した時は本当に驚いた。

 それは大学卒業から3年後の春。式見の入社式の日。数十名いた新入社員の中に彼女の姿を認め、ぼくの目は釘付けになった。

 際立つ美貌の雪村さんと、隙なく計算された華やかさを放つ坂巻さんに挟まれ、しっとりとしたその美しさは控えめ過ぎて目立たない。目立たないけれど、ぼくの目は間違いなく彼女だけを捉えていた。

 変わらない、一見つまらなそうな表情。でも確実に、さらに綺麗になって。

「今年はまた、美男美女揃いだな」

 係長となっていた片桐先輩の呟きに、心ここに在らずで頷く。そう、この時の新入社員には、藤堂くんもいたのだ。女性社員のざわめきも、その時のぼくには遠くの物音のようだったけれど。

 甦る記憶に背中を押されるように、ぼくはすぐに行動を起こした。その日のうちに彼女に声をかけ、食事に誘ってみたのだ。元々、見知っている気安さからか、彼女はすんなりと承諾してくれ、帰り際に待ち合わせたぼくたちは、久しぶりに向かい合った。

 変わらない、真っ直ぐな濃い瞳の中に、自分の情けない姿が閉じ込められたように映っている。けれど、今度こそ──。

 ぼくはその日のうちに、彼女に交際を申し込んだ。『これから同じ社内で働くのに』とか、『今、つき合ってる男がいるかも』とか、そう言うことは全て吹っ飛んだ、何年越しかのダメ元だった。

 ──が、驚いた様子を見せたものの、彼女は了承してくれた。むしろ、本当に驚いたのは、ぼくの方だったと言っていい。

 学生時代の経験で、彼女がそれほど喜怒哀楽を大きく表すタイプではないことは知っていた。そして、それは正式に交際するようになっても変わらなかった。と言うことは、それが彼女の素、なのだ。

 もし、学生時代のことがなかったら、ぼくは不安で堪らなかったかも知れない。『本当にぼくのことを好きでいてくれてるのだろうか』と。

 その時のぼくは、彼女がイヤな男とつき合うなどと思いもしなかった。そんな相手に時間を費やすなどと。少なからずぼくに好意を持ってくれているのだ、と確信していた。

 ただ──。

 自信を持ち切れなかったのは、自分自身に対して。

『ぼくは、彼女に相応しい男だろうか』

 事実、彼女はあっという間に課の要的な存在なっていた。恐らく彼女は、潜在的に片桐係長に匹敵するほどの能力を持っていると思う。ただ、それを出さないだけで。むしろ米州部にこそ、彼女は必要だったんじゃないか、とも。

 そんな気持ちや、忙しい日々の仕事で、少しずつ溜まって行く不安。自分自身に対する、不安。彼女はちっとも変っていない。いつも変わらない態度で接してくれているのに。

 そんな中で起きた社内を揺るがすゴタゴタ──他社に卑怯な手で掠め取られた島崎部長の契約。大々的に発表されることはなかったが、それを巻き返した片桐係長。その後始末のこともあり、係長が行く、と内定間近だった赴任が、ぼくになるかも知れない、という話も浮上する事態。

 結果として、それが彼女との関係を見つめ直す大きなキッカケになった。

(……もしも赴任することになったら……)

 単純に考えて、短くても1~2年は日本を離れることになるだろう。その間、彼女とは?遠距離?それとも……。

(……言えばついて来てくれるだろう……きっと彼女は……)

 これを期にプロポーズして結婚……そう考えなかったわけじゃない。そうしたい気持ちの方がむしろ強かった。

 ──それを押し留めたのは、ほんの僅かな迷い。

 余程のことがない限り、彼女は、今、自分の目の前にある状況を、そのままストンと受け入れ、そしてルートを作って行くタイプだ。ぼくといれば、ぼくといるにより良いルートを、結婚すれば良い家庭を築いて行くためのルートを。何の気負いも衒いもなく自然に。

 それがわかっていたからこそ、の迷いだった。

『ぼくよりも、もっと彼女には相応しい道……そして相手がいるんじゃないだろうか』

 考え過ぎたらキリがないこともわかっていたけれど、結局、その考えを払拭することは出来なかった。

 話を切り出した時、彼女は変わらぬ態度で、でも少し寂し気に、僅かに口角を上げて言った。

「……何となく、わかっていました。先輩の中に迷いがあること……」

「勘違いしないで欲しい。ぼくは……」

「……わかってます。私のことを、もったいないくらい大切に想ってくださっていることは、先輩の視線や言葉、態度に全部現れています。心変わりとか、そう言うことではないことも、十分過ぎるほどわかっています。……でも……」

 そこで口を噤んだ彼女の顔。初めて見たその表情から、恐らく過去に何かがあったのであろうこと、そして、彼女自身も何か思うところがあったらしいことが読み取れた。

「……言われてはいたんです。お前には問題がある、って。だけど、自分でもどこをどうしたらいいのかわからなくて……変えるためのエネルギーもあまりなくて……」

「……きみに問題があるわけじゃないよ。すまない……問題があるのはぼくで……ぼく自身の問題なんだ。……ぼくは、そんなきみが好きなんだから、そんな風に思わないで欲しい」

 見上げる彼女の目がぼくを見つめた。何より愛おしかった瞳。けれど、やはりぼくでは掴まえ切る自信がないほどに美しかった。

「……赴任されるんですか?」

「いや、まだわからない。でも、可能性は高い」

「……そうですか……」

 ぼくたちの道は、こうして再び別れた。いや、ぼくから別った、と言う方が正しいだろう。

 結局、藤堂くんが企画経営室に異動になったことで、ぼくが赴任するのはもう少し後になった。部署が違うからそれほどの接点はなかったけれど、時たま挨拶を交わす彼女は、いつも通りの彼女だった。少なくとも表面上は。

 あの後、何度も考えた。

 本当にこれで良かったんだろうか。彼女を掴まえておくべきだったんじゃないだろうか。……答えは出なかったけれど。

 でも、今なら言える。断言出来る。

 強がりではなく──もちろん、他人から見れば、強がり以外の何物でもないかも知れないけれど──ぼくの彼女に対する評価は間違っていなかった、ってことを。

 だって、そう──彼女が選んだ男を見れば一目瞭然だ。

 数年の時を経て、彼女が選んだのは最強の男だったじゃないか。ぼくといた時よりも、さらに美しくなった彼女を見るにつけ確信する。

 心から祝っているのだけど、とても言葉に出しては言えない。だって、彼女が選んだ男は最高だけど、厄介なところも最強だから。

 だから、ぼくは心の中でそっと告げる。

 ──おめでとう、里伽──。
 
 
 
 
 
~おしまい~
 
 
 
 
 
 
 

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