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魔都に烟る外伝/終宴の始まり~part10~

 
 
 
 昼夜(ひるよる)なく行き交う人。夜通し、灯りを煌々と放つ都市。

 東を見れば、極東の地に続く海。

 西を見れば、遥か母国まで続く広大な大地。

 東と西──その全てが出合い、交差し、混ざり合い、分裂し、そして何もなかったかのように通り過ぎて往く場所。

 人々の幸も不幸も、欲望と退廃にのまれる場所。

 一瞬、振り撒かれた芳しい匂いに気を取られ、気づかぬうちに腐敗して往く場所。

 ──それが東の魔都。

 夜更け、眠らない都市。

 街外れに立つ、全体を見渡せる高い塔。

 そのさらに上空に浮かぶ人影は、闇に溶け込みそうな佇まい。黒い上衣を身に纏ったゴドー伯爵クライヴ・カーマインは、硬い表情で街全体を見渡していた。

「……今宵も見つからぬか……」

 珍しく感情が表れた声。それに付随するかの如く、小さな溜め息をつく。

 しばしの無言の間の後、まるで重力など皆無であるかのように宙を翔け、静かにホテルのベランダへと降り立った。

「お帰りなさいませ、カーマイン様」

 ベランダに足を着くと同時に窓が開き、ヒューズがクライヴを出迎える。

「……ああ。何もなかったか? ヒューズ……」

「はい。カーマイン様がお探しの方は……今宵も見つからなかったのですか?」

 硬い表情のまま部屋に入ったクライヴは、上衣をヒューズに渡し、返事の代わりに溜め息をついた。

「少しお休みになってください」

 クライヴの中に蓄積し始めた多少の疲れ。それを感じ取ったのか、ヒューズは手早く上衣をしまって茶を注ぐ。

「……既に半月……」

 ゆっくりと椅子に身を沈ませたクライヴは、カップから立ち昇る湯気をじっと見つめた。さすがに焦りを感じているのか、温かい茶を含み、また小さく息を吐き出す。

 『伝説』とまで言われた相手のこと、そう簡単には出会えないかも知れないと予想はしていた。だが、こうまでニアミスすら起きず、気配は感じるのに残り香も掴めない日が続くと気が逸る。

「……本当にこの国にいらっしゃるのでしょうか? ……もしかしたら、もうここにはいない可能性もあるのでは……?」

 ヒューズが心配そうに訊ねると、クライヴは一瞬瞬きと動きを止め、静かに頭(かぶり)を振った。

「……いや……」

「……おわかりになるのですか?」

 ヒューズが不思議そうな顔をする。

「……感じるのだ……かつて感じたことがないほどに強い波動を。調べた通り、今、この国のどこかにいることは間違いないはず……恐らく、何事かの目的で来ているのであろうが、如何せん、なかなか遭遇出来ぬ……」

 確信に満ちた言葉。であればこその落胆。

「……と言うことは、伝説などではなく、少なくとも本当に存在する方であることは間違いないのですね?」

「……そうだ。間違いなく、いる」

 カップの表面に強い視線を向け、クライヴは考える様子を見せた。

「……出来るなら、この国にいる間に見つけたいのだ。任務を終え、彼の国に戻ってしまう前に……」

 そう言って、カップの中味を飲み干す。

「……それにしても、存在すら怪しい、お顔も存じ上げていない方を判別するなど難しゅうございますね」

「……それは問題ない」

 ヒューズの心配をあっさりと否定した。

「……逢えばわかる……互いに、必ず、な……」

「……そう言うものなのですか?」

「……出逢うことさえ出来ればな……」

 情報と己の感覚だけで探し当てねばならないことは、いくらクライヴであっても大変なことには違いない。『判別する』ことは出来ても、そこに至るまで、つまりは本人に出逢えなければどうにもならないのだから。

「……仕方あるまい。今宵はもう休むとしよう」

「……はい……」

 夜通し煌めく眠らぬ街で、クライヴとヒューズは何度目かの眠りについた。

 二人がこの街に着いてから、既に二週間以上が過ぎていた。

 航行中に調べた結果、目的の人物が、何かの依頼を受けてこの国を訪れていることはわかった。広い国での人探しは大変ではあるが、そもそも、この国の方が入国も滞在もしやすい上、動きも取りやすい。

 それもあって、クライヴは何とかここで相手を探し当てたいと考えていた。にも関わらず、既に半月を費やしながら手掛かりは掴めないでいる。

「カーマイン様。フレイザー様からの定期便が届いております」

 特に何もなくとも、フレイザーは日々の情勢を細かく伝えてくれており、朝食の時間に確認するのが常となっていた。ヒューズに対しても、日々の心得を少しずつ書き記し、教えと戒めを忘れない。

「特に変わったことはないようだが……リチャードの戯れがやや減ったらしい、とある」

「……国王陛下が、ですか……?」

 ヒューズが茶を注ぎながら訊ねると、クライヴは可笑しそうに口角を上げた。

「これは……もしや太王太后陛下に釘を刺されたな」

 国の情勢が落ち着いているに越したことはなく、ましてクライヴとしては、自分が戻るまでは何事もなくあって欲しいと考えるのが当然である。そのこともあり、早く目的を果たして戻りたいのだが、既に取っ掛かりから難航していた。

 とにかく、見つけなければならない。そして、事情を説明して力を貸してもらわなければならない。相手が渋れば説得しなければならない。連れて帰国するに伴い、諸々の段階を踏まなければならない。

 時間は限られているのに、何よりまず、目的の人物を見つけることすら出来ていない、見つけた後もやらねばならないことは山積み、と言う現状がクライヴを苛立たせる。

「……マーガレットが出産するまでに戻らなければならぬと言うに……」

 低くつぶやくクライヴに、ヒューズは予てよりの疑問を思い出した。

「……カーマイン様、お訊きしても宜しいですか?」

 クライヴがカップから顔を上げる。

「何だ?」

「あの……何故、その方のお力が必要なのですか? その方はカーマイン様よりも強い力をお持ちなのでしょうか? だとしたら、そのような方が本当に存在するのですか?」

 クライヴのことを知っている人間からすれば、至極当然の疑問と言えた。その気になれば、国を意のままにするなど容易いほどの力。にも関わらず、ゴドー家歴代の当主は権力に対して不思議なほどに無頓着であった。

 逆説的に言えば、それが故に天がそのように采配したとも言える。危険な力を無秩序に使うことがないように。

「……どちらが強いのか、はわからぬ。……そもそも力の強さの問題ではない故な」

「では……?」

「……力の『種類』だ」

 ヒューズの顔に疑問符が浮かんだ。

「……種類……ですか……」

「そうだ。私の力では不可能なこともあるのだ」

「……その方なら、可能なのですか?」

「可能だ」

 その違いが何であるのか、ヒューズはそこにこそ興味があったのだが、今、クライヴにそれ以上の説明を望むのは無理だと諦める。いずれ、わかる日が来るだろう、と。

「……本日は如何なさいますか?」

 思考を切り替え、ヒューズは意識を職務に戻した。

「昼間は西側を少し廻る。夕刻前に一旦報告を聞きに戻り、それから東側を重点的に廻ることにする」

「畏まりました」

 昼間は、自らあちこち聞き込みに廻り、夕刻は人を使って集めている情報を確認、さらに夜が更ける頃には再び街中を探る━━そんな生活を続けて既に半月以上、である。

 そもそも、クライヴがこれ程に必死になっているのは珍しいことと言えた。これは偏に、『贖罪』と言う感覚に近い。そうでもなければ、国の命運や他人の運命(さだめ)など、特に見向きもしなかっただろう。

 最初の段階で断われたはずの己、食い止めることが出来たはずの己が、するべきこと、出来ることを行なわなかったために起きたことである、と。

 ならば、せめてライナスとマーガレット、二人と約したことだけは守る、叶えてやらなければ、とも思うのだ。

『そう簡単に見つかる訳がない。だが、必ず見つけてみせる』

 己にそう言い聞かせ、クライヴは街へと溶け込んで行った。

 さらに十日ほどが過ぎようとする頃。つまり、クライヴが国を発ってからはひと月以上、と言うことになる。

 探し人が帰国してしまうことを危ぶんだクライヴは、それとなく噂を流すことで、先方に『探している人間がいる』と気づかせるべく手を打ってはいた。ある種の筋の者にしかわからぬ噂──それが功を奏しているのかは甚だ怪しいものの、とりあえずその時点で強力な気配は消えていない。

 強い力の放出を感じればすぐにわかるため、その度に『場』に飛んで行くのだが、いつも一歩及ばずにすれ違っていた。こちらの流した噂を知っているのかすら定かでなく、遠からずの場所にいることはわかるものの、どうしても出逢うことが出来ない。

(必ず、近くにいるはず……)

 クライヴは塔の上から街全体を見下ろした。ふわりと宙に身を躍らせると、夜更けの闇の中を翔けながら目を凝らし、気配を掴まえるべく感覚を研ぎ澄ませる。

(昨日、強い力を感じたのはこの辺り……)

 南西側から北東側に向かう途中の地点。今は特に大きな力を感じることはなく、そのまま北東の街外れに向かう途中で、一番、見渡しやすい高い塔に降り立った。

「……やはり、彼の国まで足を伸ばすしかないか……」

 残念な気持ちを隠せず、そうつぶやいた時──。

「…………!」

 何かが自分を見ている気配。『誰か』ではなく『何か』。人のような、人ではないような、何なのかわからない不思議な視線と気配。これまでに数々の怪と遭遇し、若いながらも場数を踏んで来たクライヴですら、初めての感覚であった。

 揺さぶりをかけて正体を探るべく、宙を翔ける。引き離せるようなら、大したことのない小物であろうし、ついて来れるようなら、油断出来ぬ相手と判断出来る。

 夜の街の上空を翔け抜け、怪しい気配を完全に振り切ると、クライヴは予定通り北東の外れに向かった。いつも街を見渡している高い屋根の上に舞い降り、辺りに意識を凝らす。──と。

 いつの間にか、背後に気配があった。

(……完全に振り切ったはず……いや、先ほどとは別の者か……?)

 ほんの僅かに目線を向け、背中の感覚で様子を窺うと、少し距離を置いて黒い影が立っている。それは人のようにも見えるが、人ではないようにも見え、強いて言うなら、人形(ひとがた)ではあるが、本当に『影』だけのような黒い何か、であった。

(……人……ではない。人の気配を感じぬ。……何だ、これは……? しかも、こんなに近づくまで、私に全く存在を感じさせぬとは……?)

 ゆっくりと影に顔を向ける。

(……敵意はない。……いや、違う……何も感じない……)

 只者でないことはわかった。ここまで己に何も感じさせない相手がいるなど考えられず、だが、探し求めた相手であるなら、少なくとも『人』ではあるはずなのだ。そもそも、人であるにしろ、人外の者であるにしろ、生きている気配を感じない、など有り得ない。

「……何者だ?」

 クライヴが低い声で問う。が、影は何も答えず、身動(じろ)ぎひとつしない。

「…………」

 クライヴは油断のない動きで振り返り、黒い何か、と完全に対峙した。動くか、動くまいか、その逡巡の一瞬。

『……貴方の方こそ何者です?』

 若い女──いや、少女ともつかぬ声が響いた。低く落ち着いた、だが、通りの良い若い女の声は、目の前の黒い影とは到底結び付かず、さすがのクライヴもやや身構える。

『ここしばらく、この国に満ちていた強い“気”の正体は貴方ですね?』

「…………!?」

 自惚れではなく、クライヴには己と同等に近い“力”を持つ者が、探し人の他にいるなど考えられなかった。つまり、影の言う『強い気』の持ち主は、己であろう、と確信出来る。しかし、そうなるとクライヴの方も、知らぬ内に己の様子を探られていた、と言うことになるのだ。

 逆に探られていたこと、そして、それに気づかなかったことは、クライヴにしてみれば不覚としか言いようがなかった。胸の内にざわめくものを抑え、相手の様子を窺う。

『……お答えくださらないのであれば、役目上、それなりの対応をさせて戴くことになりますが……宜しいか?』

 静かながら挑戦的な言葉に、クライヴの口角が薄っすらと持ち上がった。『それなりの対応』がどの程度のものなのか、相手が自分の素性を知っているのか、に興味が湧かないはずはない。そして同時に、うまく騒ぎになれば、乗じて『探し人』を見つけられるのではないか、との目算も湧く。

「……私の名はゴドー……クライヴ・カーマイン・ゴドーだ……」

 ほんの数秒、間(ま)があった。

『……ゴドー……』

 反復する声に、何かの含みを感じる。

『……もしや、伝説の“左眼(さがん)”の担い手、のゴドー伯爵、でおられるか……?』

「…………!」

 秤にかけたはずの己の名と素性を、相手が知っていたことに息を飲んだ。だが、そのまま何も答えずに相手の出方を待つ。

『……どうりでこの強い“気”……なるほど……では、人探しをしている御仁、と言うのは貴方のことだったのですね』

「……何っ……!?」

 警戒したクライヴが片脚を引いた。──と、その時、黒い影が靄のように揺らめき、中心が雲のように渦巻く。

「…………!」

 クライヴはさらに驚いた。影の中心から徐々に現れたのは人の手。しかも、細くしなやかな、若い女の指。手から腕、腕から身体と現れ、それと同時に人の気配も感じられるようになって行く。

 明らかに女とわかる形は、クライヴの目には塗り潰された黒い影にしか見えなかった。だが、今度は『生きている人』の気配を確かに感じる。

 黒いフィルムを剥がすように、ゆっくりと月明かりの中に姿を現したのは、間違いなく若い女、いや、おとなびた少女、と言っても良かった。だが、何よりクライヴを驚かせたのは、それが若い女であることよりも何よりも、その姿──。

「……っ……!」

 クライヴは目を見張った。

 目を奪われたのは、月に照らされ、象牙色とも乳白色ともつかぬほどに輝く滑らかな肌、腰を覆うほどの長さが艶めく真っ直ぐな黒髪、黒い光とも思えるほどに深く強い瞳。

 一歩、足を踏み出した少女の、白い着物の袂と銀鼠(ぎんねず)の袴が、黒絹のような黒髪と共に風に揺れる。

「……そなたは……」

 その姿が、何にも心動かされず、揺すぶられることすらなく生きて来たクライヴの脳裏に、初めての言葉を浮かび上がらせた。

 これまでに、これほどに美しい生き物を見たことがない──と。

 その生き物──少女は、少しも表情を変えることなく、長い睫毛を伏せると共に会釈した。

「……存じ上げなかったとは言え、大変失礼なことを致しました。……わたくしの名は倭(やまと)……護堂 倭(ごどうやまと)、と申します」

「…………!!」

 クライヴの胸の内を、生まれて初めて、と言っても過言ではないほどの衝撃が駆け抜けて行く。

「……ゴドウ……ヤマト……」

 その名を口の中で反芻し、クライヴの脳が無意識の内に確かめていた。その存在と、その存在の意味するところを。幼き頃より、父から聞かされていた至上の存在を。

「……わたくしを探しておられたのは、貴方様だったのですね」

 深い黒曜石の瞳を向け、少女──倭はひとり言のように声を浮遊させた。

 東と西の交錯する魔都で、同じく東の伝説と西の伝説の出逢いであった。
 
 
 
 
 
~つづく~
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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