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最近の【ほぼ百字小説】2024年1月14日~1月26日

【ほぼ百字小説】をひとつツイート(ポスト)したら、こっちでそれに関してあれこれ書いて、それが20篇くらい溜まったら、まとめて朗読して終わり、という形式でやってます。気が向いたらおつきあいください。

1月14日(日)

【ほぼ百字小説】(4949) 自分を作っている部品がひとつずつ死んでいくから、ひとつ死ぬとひとつお墓を作る。今日もいくつ目かのお墓を作った。振り返ると作ったお墓が並んでいる。お墓が作れなくなってしまったら、自分がお墓になればいい。

 まあロボットもの、として読めると思いますが、でもべつにこれはロボットに限ったことじゃなくて、人間もそんな感じですね。ちょっとずつ死んでいく。この【ほぼ百字小説】も、そんなとこあるんじゃないかと思います。ずらっと、どこまでもお墓が並んでて、その先の方でフェイドアウトするみたいに死んでる、というのはひとつの理想のような気はします。

【ほぼ百字小説】(4950) 狸が宝くじを売っている。お約束とは言え、狸の宝くじを買う者などいるはずがない。そう思っていたが、たちまち完売だ。空くじだとわかってあえて買うことで、自分の運を温存するのだとか。しっかり化かされている。

 狸の宝くじ。まあしかし昨今のあれやこれやを見ていると、狸に化かされてるほうがだいぶいいような気はします。買ってもいいな。

1月15日(月)

【ほぼ百字小説】(4951) つけばつくほど餅が湧いてくるあの不思議な杵と臼は、小学校の体育用具倉庫の奥に隠されていて、この新年餅つき大会のときにだけ使用される。そういう約束らしい。少子化で廃校になった今も、それだけは続いている。

 これも狸ものの一種かな。まあ狸じゃないけど、そういう民話的世界。それが現代と地続きになっていて、そこに少子化問題みたいなリアルが混入してくる。娘が通っていた小学校が実際にもう廃校になってしまって、でもそこでの餅つき大会は今もあります。今年も行った。

【ほぼ百字小説】(4952) 豚汁の中に入っている。ぜんざいの中に入っている。大根おろしに埋もれている。きな粉にまみれている。四つの形態を順番に食い進んで、最初に戻る。その途中で杵と臼で餅をついて丸める。無限餅燃料サイクルである。

 というわけで、餅つき大会。ほんと、辛いと甘いが交互に来て、別腹状態が常に保たれて無限に食える。毎年思うけど、よくできてるなあ。

1月16日(火)

【ほぼ百字小説】(4953) 機械店員に注文する方法を人間店員に教えてもらったので、さっそくやってみたら注文できた。こんなに簡単ならもっと早くやればよかった。あの人間店員にひとことお礼を言いたいのだが、あれ以来、人間店員を見ない。

 注文とかレジとか、かなり機械化が進みました。ということで、これまではずっと人間に注文していたのが、あるときからずっと機械に、というのはあるあるでしょうね。でも、まだ両方ある場合は、ちょっとやり方に自信がなかったりしてつい人間の方に行ってしまう。まあそういう話。

【ほぼ百字小説】(4954) 明日は鼠婆さんを演じたときに書いた文章を朗読するつもりで、その準備の合間に図書館で借りてきた本を読んでいると鼠退治の話が出てきて、ハーメルンの笛吹きまで出てきた。借りてきた鼠。鼠婆さんが呼んだのかな。

 日記です。鼠婆さんは去年やった『小さいエヨルフ』という芝居でやった役。明日、朗読barというイベントで読みます。借りてきてた本は、『絵合わせ』庄野潤三。なんとなく読みたくなって借りただけなんですが、こういう偶然があるんですね。ということで、そのまんま書いた。

1月17日(水)

【ほぼ百字小説】(4955) 地震で壊れてしまったあのアパートのことを今も思い出す。会社の寮を出て住んだアパート。風呂無しトイレ共同で、長い廊下の片側になんにもない中庭が見えた。あのアパートを忘れたくなくて、あの小説を書いたのだ。

 もう29年もたつのか。阪神大震災のときに住んでたアパートです。『かめくん』にそのまんま出てきます。入居したときの感じとか、最初に部屋の鍵を受け取って、武庫川の土手をぶらぶら歩いたこととか。いいアパートだったなあ。家賃はたしか2万円でした。

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