見出し画像

最近の【ほぼ百字小説】2024年3月27日~4月6日

*有料設定ですが、全文無料で読めます。

【ほぼ百字小説】
をひとつツイート(ポスト)したら、こっちでそれに関してあれこれ書いて、それが20篇くらい溜まったら、まとめて朗読して終わり、という形式でやってます。気が向いたらおつきあいください。

3月27日(水)

【ほぼ百字小説】(5105) 小雨の中、坂の途中の店へ行く。こんな春の雨の夜には、坂が生まれて急速に成長するはず。そう思って出かけてみると案の定、この前と同じあたりに坂があって、坂の途中にあった店もちゃんと同じあたりに出来ていた。

 坂もの、なんて言葉があるかどうかはともかくとして、坂は好きです。大阪はあんまり坂がないんですが、幸いうちの近所には上町台地があって、自転車で坂を上ったり下ったりできてます。これもそんな坂。谷町筋がその坂のてっぺんでそこから東と西に坂があります。そして坂って生き物っぽい。筍とか茸みたいに坂が生まれる。そういう世界観。

【ほぼ百字小説】(5106) 上り坂と下り坂は、同じ坂に見えてもじつは別々の坂なのだ。その証拠に、坂を下ってあの店へ行くことはできるのに、坂を上って行くことはできない。行けた、と思わせられたこともあるが、よくよく観察すると別の店。

 そして坂の続き、というか途中か。坂の途中の店、というのはいいですね。そして坂はけっこう複雑な高低差があったりして、上からは行けるのに下からは行きかたがわからなくて、狐か狸に化かされたみたいな気分になったりする。そういえば、ハーンの「むじな」も坂が舞台になってました。ちなみに私のベスト坂ソングは、RCサクセション『多摩蘭坂』。坂の途中の家を借りて住んでる。

3月28日(木)

【ほぼ百字小説】(5107) 自分自身を買いに。そう長くは使わないだろうし補修で充分、とも思うが、交換部品はむしろ高くて、丸ごと新しいのに買い替えてしまうほうが安い。前はどうしたっけ、と記憶に欠落があるのもさほど気にはならないし。 

 まああるあるなんじゃないでしょうか。このあいだ、パソコンの調子がおかしくなって、そしてコンピュータが壊れると凹みますよね。あれはもう自分の一部なんでしょうね。それを使って書いたり考えたりしてて、それがないとできないことも多い。ということで、こんなのになりました。あ、パソコンはいろいろやってたら理由がわからないまま調子が戻って、騙しているのか騙されてるのかわかりませんが、そのまま使ってます。

3月29日(金)

【ほぼ百字小説】(5108) いくら声をかけても頭から毛布を被ったまま黙っている。考えたら、別の誰かが中にいてもわからないし、誰もいないかも。あのシーツを被ってるみたいな姿をした西洋のオバケって、つまりこういうことなのかな、とか。

 もうだいぶ前のことですが、こういうことがあって、そしてこんなことを思った。それだけですが、まあこういうことは書き留めておかないと忘れてしまうので。

【ほぼ百字小説】(5109) テーブルの上に箱を積み上げたかと思ったら、それはビルの遠景で、さっきまでの居間が町外れの空き地の夜。なるほどありあわせのもので様々な場面が作れる。このやりかたで続けるしかないか。地球はもうないのだし。

 このあいだ観た、コトリ会議の『雨降りのヌエ』は、短編と短編の間にセットの転換も見せるところがあって、まあそこから。舞台というのはそういうことができる。観客の了解で、最低限のものがそう見えてくるんですね。ということで、そういうやりかたでなんとかやっていこう、と決めた世界の話。

【ほぼ百字小説】(5110) 少子化による人口減少にいよいよ歯止めがかからなくなって、どこもかしこも人が足りない。これまで通りやっていくために、一人二役以上が義務付けられたのも仕方がないだろう。とは言え、この歳で子供の役はきつい。

 演劇的方法で乗り切る話をもうひとつ。こっちはセットじゃなく、登場人物の方。小劇場なんかでは、ひとりが何役もやるなんてことはわりと普通に行われています。この方法なら人口減少を補うどころか2倍、3倍も可能なはず。

3月30日(土)

【ほぼ百字小説】(5111) たまと名付けられた猫がいて、猫たまと呼ばれていた。この猫たまが年老いて猫またになることは、あのときから決まっていたのだろう、と猫たまともう呼ばれることのなくなった猫または、近頃よくそんなことを考える。 

 猫又の話。たぶん飼い主よりもずっと長生きで、名前をつけた飼い主はもういない。いやまあ、なんで猫の名前の定番は「たま」なのか、というだけで書いたようなやつですが。でも、たまがあれこれ回想している(たぶん縁側で)シーンはなかなかいいんじゃないでしょうか。猫又だからこそ、回想なんてことができるわけで。


【ほぼ百字小説】(5112) 矢印の向きの方へと歩く猫を見た。別の日、別のところでも矢印の向きの方へと歩く猫を見た。それ以来、たまにそんな矢印と猫を目にする。猫の流れを発見したのかも、と思うのは、目撃頻度が明らかに増しているから。

 急に暖かくなって、道端で猫を見かけることが多くなりました。矢印と猫の歩いている向きが同じだったのは本当。まあ一度だけですが。そこからの妄想。いろんなものがぞろぞろ同じ方向にj歩いていく、というのは私の妄想の定番でもあります。何かあるのかな。

【ほぼ百字小説】(5113) 昔、洞窟だったところは、今はもう洞窟ではなくなり、でも洞窟だった頃と同じように闇がある。同じくらい深いが種類の違う闇。昔、SF映画の中で見た宇宙のような、あるいはそれを上映していた映画館のような闇だ。

 扇町ミュージアムキューブにコトリ会議の『雨降りのヌエ』を観に行きました。去年の秋に『小さいエヨルフ』をやったのと同じところ。つまり、「昔、洞窟だった場所」です。なんだかなつかしいけど、まったく違う。でも同じような闇がある。『雨降りのヌエ』はとてもいいSFでした。ちょっと悔しくなるくらいおもしろかった。

3月31日(日)

【ほぼ百字小説】(5114) ずとんっ、と吹き抜ける突風が、いろんなものを運んで来ると同時にいろんなものを運び去った。盥の水底で冬眠をしていた亀が、今は石の上で甲羅を干している。冬の亀が吹き飛ばされて、春の亀と入れ替わったのかも。

 いきなり春になりました。春どころか、昼間は外を歩いてたら暑い。まあ季節の変わり目というのはこんな感じですね。じわじわ変わっていかない。カードが裏返るみたいにいきなり変わる。そして、この時期にはよく突風が吹く。町のあちこちで自転車とか植木鉢が倒れてます。ようやく亀も起きてきた。甲羅が藻で変な色になってて別亀みたいです。


【ほぼ百字小説】(5115) 宇宙からの侵略者は植物で、彼らによって地球の植物は絶滅寸前だが、彼らは光合成するし、見た目も美しく、なによりもこんなふうにすごくおいしく栄養もあるし。地球の植物たちからすれば、我々は裏切り者だろうな。

 侵略SFのバリエーションとしてはなかなかいいんじゃないかと思う。宇宙からの侵略者が植物で、だから地球人とか眼中になくて、それどころか、こっちのほうがええやん、みたいなことに。こういうパターンはあんまりなかったんじゃないかと。いや、そりゃないでしょうけど。

【ほぼ百字小説】(5116) 盥の水が温んで、水底で石のように動かなかった亀も水から出て物干しをうろつくようになった今日このごろ、ここから見上げる月が朧に霞むことが多いのは、亀の存在確率が物干し全体に霞のように発散しているからか。

 今、こんな感じ。そして春と言えば朧月ですね。そういう現象が起こる理由を亀量子効果で説明してみました。いや、べつに説明にはなってないですが、季節もの、ということで。

4月1日(月)

【ほぼ百字小説】(5117) 冬眠のあいだ、冷たい亀の内部時間は停止していて、だから亀にとって冬眠中の時間は存在しておらず、従って亀にとっての時間は連続ではなく離散している。亀の歩みはのろいが、スキップはできる、とはそういう意味。

 コールドスリープを毎年行っている亀の時間感覚の話、というか、まあスキップしている亀を思い浮かべて楽しんでください。楽しめるかどうかは知りませんが。


【ほぼ百字小説】(5118) 昔はこの公園にも森があって、昼間でも分け入ったり迷い込ませたりしてたよなあ。木を切り倒された今じゃ夜中に集まってその頃を懐かしむくらい。あの頃は、こんなものを森なんて呼べるか、なんて言ってたもんだが。

 「木を切る改革」その後、みたいな話ですね。どんどん悪くなって、もうどうしようもなくなってから、今から思えばあの頃はだいぶマシだったんだなあ、というあるあるですね。都会にも狸が化かせるくらいの森は欲しいなと思います。

4月2日(火)

【ほぼ百字小説】(5119) 行きは上り坂、帰りは下り坂、というのが感覚としてすっかり身体に染みついているのだが、前は逆だった、というのも憶えている。行き先も経路も変わっていないのに。そうか、前はここに帰ってきている気でいたのか。

 最近、坂ものが多いですね。そういう気分なのかも。上り坂とか下り坂というものはなくて、ただどちらに向かって進んでいるか、だけ、という当たり前のことがなんだかおもしろい。なんだかおもしろく感じる、というのは、私にとってかなり大事なことで、なんだかわからないというのはわかってないだけで、たぶんそこに自分にとっての重要な何かがあるような気がする、というほど大層なものでもないのですが、まあ私が小説を書くのはそんな感じです。

【ほぼ百字小説】(5120) 夜、近所を走っていると、あちらでもこちらでも猫たちが、なあああお、なあああお、とよろしくやっている春の宵で、翌朝にはよく似た発声で愛しい猫の名を呼びながら近所をうろつく飼い主たち、いや、使用人たちか。

 あったことそのまんま。やっぱり猫はおもしろい。町中という自然で暮らす動物、という感じですね。人工的な世界をこんなに自由に動き回れる動物はいない。お情けでヒトの家にも住んでくれてるんでしょうね。

4月3日(水)

【ほぼ百字小説】(5121) 我が家に鼠が侵入して、ごとごと活動中。台所の隅で音を立てたかと思うといつのまにやら土間で、そして二階の天井裏。いったいどこを通って移動しているのか。知らない通路の存在に、困りながらもわくわくしている。

 あったことそのまんま、というか、今そうなってます。何年か前にも鼠が入ってきて、いろんなものを齧るは糞はするわで、えらい目にあいました。そして、いろいろやって、いったい何が効果を発揮したのかわからないまま鼠は突然いなくなって、あのときは大変だったなあ、などと妻と言い合ったりしてたのですが、まただ。それにしてもほんとに通路がわからない。ちょっとした超能力みたいに思える。それはそれとして、家のどこかにわからない穴があって、そして壁の中を通って移動している、なんてのはなんかわくわくしますよね。

【ほぼ百字小説】1(5122) 非常口と表示のある小さなドアに入っていく。行列を作って次から次へと入っていく。それをただ見ているしかないのは、自分には小さ過ぎて入れないことがはっきりしているから。でもまあ、並ぶだけでも並んでみるか。

 鼠の通路、からの、小さい者たちの出口、みたいな話かな。出口なし、という終わり方は、ひとつの定番ではありますが、これは出口はあるんだけど、お前のための出口ではない、みたいなやつ。私はけっこうこの型を書いてますね。

4月4日(木)

【ほぼ百字小説】(5123) 岡持ちを持っている。閉店する中華料理屋のを貰った。妻はそういうものが好きなのだ。そういうものがどういうものなのか私にはわからないが、カレーを入れて近所の公園に持って行き、花を見ながら食べたことがある。

 あったことそのまんま。たしか、今住んでるところに越してきてすぐに貰った。それを思い出したのは、このあいだ商店街を歩いていて、閉店するらしい食堂の前にあった「ご自由にお持ち帰りください」の中にあった銀色の筒状の七味入れ(?)を妻が貰っていて、それで思い出した。食道のテーブルの上に置いてあるようなやつ。まあそれが欲しいというのはなんとなくわかる。

【ほぼ百字小説】(5124) 水に濡れると綺麗な色になるが、乾いてしまうとなんでもない石、というのは確かにあって、この町がこんなに綺麗に見えているのも、たぶんそういうことなのだろう。だからといって、沈めてよかった、とは思わないが。

 海岸でいい石を探した人にとっては、あるあるだと思う。このあいだ【町の灯朗読舎】に海岸で拾った石を持って行って自慢して、(なんのことかわからないかもしれませんが本当にそのまんまなので仕方がない。)で、そのときに鉢本みささんが、濡れてるときと全然違う場合がある、という話をして、それで思い出して。それと最近雨が多いですが、やっぱり雨の日は町がまるで違って見えますから。

4月5日(金)

【ほぼ百字小説】(5125) ずっと水を止められたままになっている広場の噴水が、今日は出ている。出過ぎなくらい勢いよく出ている。駅ビルより高く吹き上がり、虹がかかった。うわあああ、小便小僧がっ。誰かが叫んでいる。悲鳴が大きくなる。

 これは何なんでしょうね。自分で書いててよくわかりません。なんか夢っぽい。こういう風景が浮かんだのをそのまんま。小便小僧が出てくるのもなんとなく夢っぽい。よくわからないんですが、気にはいってます。おもしろい夢を見たときみたいな感じで。

【ほぼ百字小説】(5126) これを毎日書くようになってから、ほとんど夢を見なくなってしまったが、なにか関係あるのかな。夢を作るための材料とか部品をこっちで使ってしまっているからかも、というのもまた、夢の中で気づいた理由っぽいか。

 こないだの「犬街ラジオ」でも喋りましたが、そうなんですよ。そして、どうもそういう気がする。ひとつ前のやつも、夢っぽいし。目が覚めたままで夢を見ているようなことをやっていて、それで夢がやることもやってしまってるのかも。そんな気がする、というだけですが。

4月6日(土)

【ほぼ百字小説】(5127) ごろり仰向けになると青空を背景にした満開の桜は水底から見上げた花筏みたいで、でも、いつそんなものを見たんだっけ、と余計なことまで思い出しそうになり、桜の下の死者たちにとめられて慌てて考えるのをやめる。

 いやー、どこもかしこも満開です。この時期にはやっぱりこのネタを書かずにはいられない。
 で、これは、今朝、Xでのこのやり取りから起こしたやつ。だから半分以上は飛浩隆さんのアイデアですね。飛さん、ありがとうございます。勝手に使いました。

(3) Xユーザーの飛浩隆 TOBI Hirotakaさん: 「空に泛かべる花筏(だれか上五をください) https://t.co/9jrZ46jtK1」 / X (twitter.com)

【ほぼ百字小説】(5128) 水溜まりに映る太陽や雲の写真を撮るのをタルコフスキーごっこと呼んでひとりでよくやっていたことをふと思い出したのは、そんなこと忘れたまま水溜まりの太陽を撮ろうとしていたところに黒い犬が通りかかったから。

 これはそのまんま。フィルムだとなかなかこんな遊びはできませんが、デジカメになってからはよくやってて、そしてやってるうちにそれがタルコフスキー風にしようとしているなどということも忘れてしまって、今も雨上がりなんかにはよくやってたり。黒い犬は『ストーカー』ですね。寝る寝る言われている映画ですが、個人的にはあんなに手に汗握る映画はちょっとないと思う。

【ほぼ百字小説】(5129) いつからか音として聞こえるようになったから、この季節になるといたるところでいろんな大きさいろんな種類の爆発音を聞くことになる。ことにこんな満開の桜の下は、さながらお祭りの爆竹の中を歩いているかのよう。

 花の形状は破裂とか爆発に似てますね。ホウセンカみたいに、実際に弾ける植物もけっこうあるし、実際、開花というのは一種の爆発みたいなものではないかとよく思います。それと共感覚とを絡めて。あの爆発音を聞こえる人にとっては、お花見はさぞかしうるさかろう、と。

ということで、今回はここまで。

まとめて朗読しました。


*************************

【ほぼ百字小説】(5105) 小雨の中、坂の途中の店へ行く。こんな春の雨の夜には、坂が生まれて急速に成長するはず。そう思って出かけてみると案の定、この前と同じあたりに坂があって、坂の途中にあった店もちゃんと同じあたりに出来ていた。

【ほぼ百字小説】(5106) 上り坂と下り坂は、同じ坂に見えてもじつは別々の坂なのだ。その証拠に、坂を下ってあの店へ行くことはできるのに、坂を上って行くことはできない。行けた、と思わせられたこともあるが、よくよく観察すると別の店。

【ほぼ百字小説】(5107) 自分自身を買いに。そう長くは使わないだろうし補修で充分、とも思うが、交換部品はむしろ高くて、丸ごと新しいのに買い替えてしまうほうが安い。前はどうし
たっけ、と記憶に欠落があるのもさほど気にはならないし。

【ほぼ百字小説】(5108) いくら声をかけても頭から毛布を被ったまま黙っている。考えたら、別の誰かが中にいてもわからないし、誰もいないかも。あのシーツを被ってるみたいな姿をした西洋のオバケって、つまりこういうことなのかな、とか。

【ほぼ百字小説】(5109) テーブルの上に箱を積み上げたかと思ったら、それはビルの遠景で、さっきまでの居間が町外れの空き地の夜。なるほどありあわせのもので様々な場面が作れる。このやりかたで続けるしかないか。地球はもうないのだし。

【ほぼ百字小説】(5110) 少子化による人口減少にいよいよ歯止めがかからなくなって、どこもかしこも人が足りない。これまで通りやっていくために、一人二役以上が義務付けられたのも仕方がないだろう。とは言え、この歳で子供の役はきつい。

【ほぼ百字小説】(5111) たまと名付けられた猫がいて、猫たまと呼ばれていた。この猫たまが年老いて猫またになることは、あのときから決まっていたのだろう、と猫たまともう呼ばれることのなくなった猫または、近頃よくそんなことを考える。 

【ほぼ百字小説】(5112) 矢印の向きの方へと歩く猫を見た。別の日、別のところでも矢印の向きの方へと歩く猫を見た。それ以来、たまにそんな矢印と猫を目にする。猫の流れを発見したのかも、と思うのは、目撃頻度が明らかに増しているから。

【ほぼ百字小説】(5113) 昔、洞窟だったところは、今はもう洞窟ではなくなり、でも洞窟だった頃と同じように闇がある。同じくらい深いが種類の違う闇。昔、SF映画の中で見た宇宙のような、あるいはそれを上映していた映画館のような闇だ。

【ほぼ百字小説】(5114) ずとんっ、と吹き抜ける突風が、いろんなものを運んで来ると同時にいろんなものを運び去った。盥の水底で冬眠をしていた亀が、今は石の上で甲羅を干している。冬の亀が吹き飛ばされて、春の亀と入れ替わったのかも。

【ほぼ百字小説】(5115) 宇宙からの侵略者は植物で、彼らによって地球の植物は絶滅寸前だが、彼らは光合成するし、見た目も美しく、なによりもこんなふうにすごくおいしく栄養もあるし。地球の植物たちからすれば、我々は裏切り者だろうな。

【ほぼ百字小説】(5116) 盥の水が温んで、水底で石のように動かなかった亀も水から出て物干しをうろつくようになった今日このごろ、ここから見上げる月が朧に霞むことが多いのは、亀の存在確率が物干し全体に霞のように発散しているからか。

【ほぼ百字小説】(5117) 冬眠のあいだ、冷たい亀の内部時間は停止していて、だから亀にとって冬眠中の時間は存在しておらず、従って亀にとっての時間は連続ではなく離散している。亀の歩みはのろいが、スキップはできる、とはそういう意味。

【ほぼ百字小説】(5118) 昔はこの公園にも森があって、昼間でも分け入ったり迷い込ませたりしてたよなあ。木を切り倒された今じゃ夜中に集まってその頃を懐かしむくらい。あの頃は、こんなものを森なんて呼べるか、なんて言ってたもんだが。

【ほぼ百字小説】(5119) 行きは上り坂、帰りは下り坂、というのが感覚としてすっかり身体に染みついているのだが、前は逆だった、というのも憶えている。行き先も経路も変わっていないのに。そうか、前はここに帰ってきている気でいたのか。

【ほぼ百字小説】(5120) 夜、近所を走っていると、あちらでもこちらでも猫たちが、なあああお、なあああお、とよろしくやっている春の宵で、翌朝にはよく似た発声で愛しい猫の名を呼びながら近所をうろつく飼い主たち、いや、使用人たちか。

【ほぼ百字小説】(5121) 我が家に鼠が侵入して、ごとごと活動中。台所の隅で音を立てたかと思うといつのまにやら土間で、そして二階の天井裏。いったいどこを通って移動しているのか。知らない通路の存在に、困りながらもわくわくしている。

【ほぼ百字小説】1(5122) 非常口と表示のある小さなドアに入っていく。行列を作って次から次へと入っていく。それをただ見ているしかないのは、自分には小さ過ぎて入れないことがはっきりしているから。でもまあ、並ぶだけでも並んでみるか。

【ほぼ百字小説】(5123) 岡持ちを持っている。閉店する中華料理屋のを貰った。妻はそういうものが好きなのだ。そういうものがどういうものなのか私にはわからないが、カレーを入れて近所の公園に持って行き、花を見ながら食べたことがある。

【ほぼ百字小説】(5124) 水に濡れると綺麗な色になるが、乾いてしまうとなんでもない石、というのは確かにあって、この町がこんなに綺麗に見えているのも、たぶんそういうことなのだろう。だからといって、沈めてよかった、とは思わないが。

【ほぼ百字小説】(5125) ずっと水を止められたままになっている広場の噴水が、今日は出ている。出過ぎなくらい勢いよく出ている。駅ビルより高く吹き上がり、虹がかかった。うわあああ、小便小僧がっ。誰かが叫んでいる。悲鳴が大きくなる。

【ほぼ百字小説】(5126) これを毎日書くようになってから、ほとんど夢を見なくなってしまったが、なにか関係あるのかな。夢を作るための材料とか部品をこっちで使ってしまっているからかも、というのもまた、夢の中で気づいた理由っぽいか。

【ほぼ百字小説】(5127) ごろり仰向けになると青空を背景にした満開の桜は水底から見上げた花筏みたいで、でも、いつそんなものを見たんだっけ、と余計なことまで思い出しそうになり、桜の下の死者たちにとめられて慌てて考えるのをやめる。

【ほぼ百字小説】(5128) 水溜まりに映る太陽や雲の写真を撮るのをタルコフスキーごっこと呼んでひとりでよくやっていたことをふと思い出したのは、そんなこと忘れたまま水溜まりの太陽を撮ろうとしていたところに黒い犬が通りかかったから。

【ほぼ百字小説】(5129) いつからか音として聞こえるようになったから、この季節になるといたるところでいろんな大きさいろんな種類の爆発音を聞くことになる。ことにこんな満開の桜の下は、さながらお祭りの爆竹の中を歩いているかのよう。

**********************

以上、25篇でした。

ここから先は

125字 / 1画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?