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最近の【ほぼ百字小説】2023年11月3日~10日

 【ほぼ百字小説】をひとつツイート(あ、今はツイートじゃないのか。どうでもええけど)したら、こっちでそれに関してあれこれ書いて、それが20篇くらい溜まったら、まとめて朗読して終わり、という形式でやってます。気が向いたらおつきあいください。

 表紙の写真は、魚を被ってるところ。ウルトラQ感満載です。『小さいエヨルフ』にこういうものが登場しました。私です。これまではネタバレになるので写真禁止だったんですが、公演が終わったのでここに載せときます。あ、それとこの魚関連の百字もけっこう書いてたんですが、同じ理由で表には出してませんでした。まあぼちぼち紹介していきますね。

11月3日(金)

【ほぼ百字小説】(4804) 楽屋に魚の頭が。すっぽり被れる大きさで、ここは私が使うものを置くところだから、私が被るものなのだろう。ドア越しにごぼごぼごぼと泡の音が大きくなる。あのドアが開いたらきっと海底だ。あわてて魚の頭を被る。

 あったことそのまんま。『小さいエヨルフ』の中の舞台裏。でも、そこで起きてることがなんだかわからない、というところはもちろんフィクション。私は、「鼠婆さん」と「松葉づえを運ぶ波(だと思う)」と「魚」という役をやりました。そのときのあったことをそのまんま書けばこんな感じで、そして私の小説の書き方というのはたぶんそうで、そして私にとっての小説というのがたぶんそういうものなのだろうと思う。あったことをそのまんまを書くために用いるフィクション。現実の物理空間の中にあるなんだかよくわからない「豊かさ」というか「おもしろいさ」というか「へんてこさ」、それを文章に定着させたい、みたいなことをとくに最近よく思います。そんなおかしなことを思ってる人はあんまりいそうにないし、そんなものは小説じゃないと言われそうだし、べつに言ってもらって全然いいんですが、どうもそこにいちばんおもしろいものがあると私は確信してる。根拠は、今まで小説というものをおもしろがってきて、いろいろ読んだり書いたりしてきた私なりの勘です、としか言いようがないですけどね。


【ほぼ百字小説】(4806) 思っていた以上に世界は暗く、そしてこの生き物の視界は狭い。だから、のたのたと登場してのたのたと退場するしかない。まあ今生はこれでもよしとするか。進化待ちだな、と頭蓋骨の中から外を覗きながら考えている。

 その続き? として読んでもいいし、これ独立で読んでもいい。とにかく世界が暗い。まあ深海ですからね。だからこうなる。あと、進化進化ってフィクションの中では気軽に言いますが、あれって自分の代じゃ無理ですからね、とか。その惑星の生き物に寄生した異星からの生命体のボヤキ、という解釈もあり。いや実際、最初に被ったときの感想そのまんまなんですけどね。あ、もちろん、吾妻ひでおの「のた魚」は入ってます。

11月4日(土)

【ほぼ百字小説】(4807) 月の船だと聞いて見に来たが、なるほど月の船だ。空き地の低い空に船の形で浮かんでいる。立ち止まって眺め、しばらくいっしょに歩き、走り出したらいっしょに走ってくれたが、去りゆく船をむなしく追っている気分。

 上が欠けてる半月がちょうどお椀の船みたいに見える。そういう月。夜、走りに出たときにちょうどそういうのが出ていて、空き地は空が広いから、ほんとに海に浮かんでる船が見えてるみたいだったり。歩くと月がついてくるのは、子供の頃はほんとに不思議だった。いや、今でも不思議ですけどね。

【ほぼ百字小説】(4808) 寄り添うように並んでいた月と木星だが、今はそんなことなどなかったかのようで、あの並びをまた見ることはあるのかなあ、と思いつつも、どうせあるだろうと安心していて、でもそのときにはもうこっちがいないかも。

 何日か前にそうなってました。木星は明るいから満月でも遜色なく並んでる。たまにそういうことがあって、ああやっぱりこれはいいなあ、とか見る度に思います。やっぱり『2001年宇宙の旅』を連想しますね。でんどんでんどんでんどんでんどんどーんっ。

【ほぼ百字小説】(4809) 路地を魚が歩いている。二本足でガニ股で口をぱくぱく動かしている。空気中でも呼吸できるんだな。今さらながら思う。魚は、業務用スーパーに入っていった。そう言えばこの前、鮮魚コーナーの水槽の前に立っていた。

 これも魚をやることになってから書いたやつ。頭だけで、歩くのはガニ股なんです。そういうのが生活しているとしたら、という幻想というより妄想。水槽の前に立ってるのは、どういう気なのか。魚が食べ物として売られている悲しみなのか、単に水槽に入りたいだけなのか。

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