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去った者たちへ

さて、俺は時々自分のnoteを見返すことがある。

見返して、「うーむ、最近俺のnoteはコンセプト0だな。適当すぎるな。昔のほうが気合入ってたし、おもろいな。今の俺のnote、迷走しとるな。そして、そもそもほとんど投稿してねぇな。」

とか思うのである。

俺のnoteの質が低下していることは許して欲しい。

どのくらい許してほしいかというと、デートのときに、道端でうんこ踏んでしまったときくらい許してほしい。

で、まあ、一時期はホントにnote書くのが面白くで仕方なかったのである。

しかし、今も時々こーやって、時間を見つけて適当に書くのは好きなのだ。

どのくらい好きかというと、マックのポテトくらい好きだ。

まあ、あまり投稿できない、気合が入ってないことに関する言い訳としては、子どもとの時間を大事にしてるから、子どもの前でスマホばかりいじりたくないからってのが大きい。

そして、アホなことをあまり書かなくなったのは、「あれ、これ万が一、娘に見られたら詰むくね?」という気持ちが芽生えたからだ。親が下ネタやら、エロいことばかり書いてたら娘としては嫌だろう。

親の下ネタほどうざいものはないのだ。

でもぶっちゃけ書きたい。

でもカッコイイパパでいたい。

そんな狭間を彷徨う、迷える子羊となっているのだ。

子羊タロの助である。

でも時間あれば、アホなことは書きます!!!

で、たまにコメント等を見て、懐かしむこともある。

おっ!このフォロワーさん昔よくコメントくれたなぁ!

おっ、このフォロワーさんと仲良くしてたなぁ!

このフォロワーさん、一時期毎日のようにコメント欄でやりとりしてたなぁ!

とか思うのである。
手紙を見返すようなものである。


顔も本名も分からない。

どこにいるかも分からない。

本当はどんな人かも分からない。


でも、それでも、少しでも繋がりを、縁を持ってしまったなら、やっぱりちょっと懐かしいし、少し恋しくもなるのだ。

いつの間にかアカウントを消して去った人もいる。

全くログインしなくなった人もいる。


どうか元気で、幸せに過ごしててほしいのである。

アカウント消して去るときは、最後にちょっとくらいお別れの言葉を交わしたいから、できれば教えてちょ。

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