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遺族、美談、呪い

人は、ストーリーを生きてしまう。多分、それが最も顕著になるのは「死」を目の当たりにしたときだと思う。

母を看取る時、幼い私を目の前に、彼女は私に何も言わなかった。ただ、眠るように、いつ息が途絶えたのかもわからないぐらい静かにこの世を去った。ただ、息が途絶えてから彼女の体がどんどん硬直していった。人は死ぬと冷たくなって、びっくりするぐらい固くなる。ここには何のストーリーもない。

でも、周りの大人達はなんだか妙だった。「劇的な死だったわね」と言うのだ。認知の歪みを感じて妙な気持ちになった。葬儀のときもずっと違和感を覚えていた。大人たちは「お母さんは心のなかで生き続ける」とか「さぞ無念だったでしょう」とか、やたらと綺麗な言葉を投げかけてくるのだ。母の病床には、部屋には百合だとか蘭が飾られていて、それらの言葉は白い花によく映えた。

慰めの言葉は、きっと気遣い。母という大きな存在を失った幼い子どもを励まそうという気持ちがあるのだろう。

でも、ごめんなさい。すごく違和感があって、気持ち悪かったです。

9歳の私はあまりに無力で、丁寧に贈られる「美しい言葉」をひとつひとつ受け取ることしかできなかった。気持ち悪かったと言えるようになるまで長い歳月がかかった。

「遺族が笑ったっていいじゃん!女引っ掛けたっていいじゃん! 普通の奴らと何が違うんだよ! 親殺されたか殺されてないかの違いだろ! いつまで遺族なんだよ?!いつまで遺族って言われなきゃならないんだよ」

2008年に放送されたドラマ『流星の絆』での台詞だ(原作は東野圭吾、ドラマの脚本は宮藤官九郎が手掛けた)。両親を幼少期に殺害された主人公が激高して言い放つ言葉を聞いた瞬間に、奇妙な呪いの存在を認識した。

私は、遺族という物語に縛られていたのだ。毎日浴びせられる、おそらく当人は善意のつもりで放つ優しい言葉は、私に遺族のアイデンティティーを植え付けた。

夕方、習い事の帰り道。暗くなっていく空を見上げながら「私は幸せ者なんだ」とよく言い聞かせていた。父も姉もいれば、暮らしを支えてくれる親戚もいる。学校にも行けるし、習い事もさせてもらっている。かわいそうな存在にならないよう必死だったのだと、今更思う。

私の人生が悪く転べば「お母さんがいないから」、よく転べば「お母さんがいないのに」と言われることが容易に想像できた。

被害者ぶるつもりはない。そう思ったのは、私自身であり、同じ境遇でも強くたくましく生きる人はいる。でも、確実に遺族の物語は存在していた。境遇は違えど、私の中に芽生えた感情を的確に捉えたのが、社会学者の好井裕明が24時間テレビについて語った文章だ。

確かにさまざまな困難を前にして、生きている姿は感動的だし、そこには〝ひとがひととして生きる姿〟〝ひとが他者と繫がって生きていく意味〟が満ちている。しかしそこには同時に〝典型的で、過剰な〟その意味で〝歪められた〟障害者のカテゴリー化が、これでもかと見る側に刷り込まれていくのである。〝福祉的な言葉や理屈、情緒の世界〟に障害ある人を括り込み、彼らを「同情や哀れみ」の対象として、同時に障害を克服して生きる「ガンバリズム」の象徴として、描いていくのである。「障害者」や「難病患者」は、このように理解しなさい。きつくいえば、そうした命令にも似た要請が、見る側に届いてしまうのではないだろうか。
──好井裕明『差別言論』(平凡社新書)

障害者と死者、遺族はそれぞれ異なる存在だ。でも、何かを喪失した者として似た眼差しを向けられていると感じる。死者はときに清廉潔白に飾り立てられ、遺された者は同情されるべき存在とされる。喪失した部分を、美談で埋め合わせるかのように。実際、それで救われる人もいるだろう。

でも、哀れみの眼差しは、人として当たり前の行為を剥奪することもある。くだらないことに笑ったり、怠けたり、誰かを傷つけてしまったり。汚いところすべて含めて人間なのに、それを許してくれないのだ。穏やかに優しく奪っていく。

誰かが私に母を語る時、すべてが美しかった。私はそれが嫌いだった。

私は今、メディアで働いている。取材をする側だ。たまに「あなたの記事で救われました」とお言葉をいただくと、襟を正す気持ちになる。ちょっと気を抜くと「自分の仕事は誰かの役になっているのではないか」と陶酔してしまうからだ。自分の仕事に誇りを持つことは大事だ。しかし、これが積み重なると矜持は驕りに姿を変える。独善性や、自分が忌み嫌った弱者への眼差しに結びつく。

私も善意や無自覚によって誰かを傷つけている可能性を否定できない。困難に立ち向かう人を見て涙を流したこともあれば、自分に何かできないかと社会正義に駆られることもある。だから誰かに話を聞くとき、文字を打ち込むとき、いつも不安になる。

「これは自分が理想とする美談にしているのではないか」「私は憐れみの眼差しを向けてやいないだろうか」。

それでもまだ自分が怖い。自己陶酔も正義の暴力も、仕事へのやりがいに盲目的になることも、絶対ないとは言い切れない。正義は麻薬のようだ――真っ直ぐな淀みのない目で正しいことを語る同業者を見る時、そう感じる。きっと、私にもそんな瞬間がある。

悲しみの癒やし方は、人それぞれだ。誰かに話したり、美談に身を任せることで喪失感を埋め合わせる人もいる。そういう人たちは、促すわけでもなく自ら物語る。彼ら彼女らが手を挙げた時、メディアの人間として何かができるかもしれない。

記者として思う。誰かのため、社会のための記事なんてない。私は書きたいから書いている。大義を持ち出した時、それは詭弁になるだろう。

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