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忙しさの功罪

最近、文章が書けない。ライターや記者という仕事をしているにも関わらず、書くことが怖くなる。

不特定多数が目を通すし、結果も求められる。不意に誰かを傷つけてしまうこともあるし、自分より優れた書き手もたくさんいる。不安要素はあげればキリがないけれど、今抱えている問題は少し違う。

「自分ごときがインタビューなどをして良いのだろうか? 文章など書いてよいのだろうか?」という不安が日々積もり、それが一定値を超えた。

「自分ごときが」というのは、頭に常駐している厄介な思考だ。何かをインプットすればこの不安は多少和らぐが、どうしても越えられないものがある。

人生の薄っぺらさだ。

みんな何か熱中してきたものがあり、しっかりとした人間関係があり、人生に厚みがある。

では、私は何に熱中して、何を好きで、誰と過ごしてきたのだろう?

答えが思い浮かばない。人生が空っぽなのだ。理由は知っている。

ずっと忙しかったから。

小学3年生のときに母が他界した。頻繁に書いているし、かなり前の話なので「まだ引きずっているのかよ」と自分でも思う。でも、幼少期に親を失うと、それをベースに自意識が形成される。これは逃げられない現実だ。

子どもにとって絶対的な存在である母を亡くした結果、孤独感と罪悪感と喪失感、この3つの上に自意識が成り立ってしまった。

もちろん、天涯孤独になったわけではなく、父も姉もいたし、何不自由なく育ってきた。不幸だとは思わない。姉はヘルシーに生きているので私に不具合が起きたのだろう。

不具合とは何か?

母が入院した6歳のときから「私がもっといい子であれば、ストレスも溜まらず病気になることもなかったのではないか」と思っていた。「ストレス」という単語をなぜ幼児が知っているのか? 病室でよく聞いたからだ。嫌なことがたくさんあって、それが母の病源になったらしい。

嫌なこと? 私が「悪い子」であることではないだろうか。

無能は罪。ぼんやりと頭に染み付いた。

有能な強い人間になろう。そうすれば、きっと何も失うことがなかったはずだ。これから何かを得ることができるかもしれない。

以来、忙しさの虜になった。

小学4年生になるとブラスバンド部に入部し、部活に授業に塾に追われる毎日を送った。朝7時に家を出てサックスを吹き、午後も1〜2時間部活に出て塾に向かう。帰宅するのは10時過ぎ。復習して1日が終わる。

毎週受ける塾のテストでは、順位が発表される。下から数えた方が早い順位を見て、自頭が良くないことを悟った。やっぱり私は無能だったのだ。

有能になるにはどうすればいいか?

人より多くの時間を鍛錬に割けば良い。小学生でもわかる簡単な答えだった。

食事の時間にすら勿体無く感じられ、参考書を開いて故事成語や地理を覚えていた。受験勉強は案外平等で、努力が結果に結びつくことが多い。無能な人間は、猛烈に勉強してようやく平均に追いつける。

伸びる偏差値は有能に近づいていくようで、安心感があった。同時に、忙しさは喪失感を見事に埋めた。

ただ、運良く志望校に合格したものの、有能な人間になれるわけではなかった。地元を離れた結果、自分の家庭環境を知る人がいなくなり身軽になったものの、背伸びした環境に身を置いたため、自分の無能さを痛感するばかりだった。

いい大学に入れば何か変わるかもしれない。一縷の望みをかけて高校1年生になったその日から受験勉強を始めた。人よりバカなことを知っている人間なりの戦略だった。

ずっと勉強。高校の思い出はほとんどない。6時に起きて通学に1時間。その間は参考書を読んで、学校が終われば予備校に行く。テスト前は近所のサイゼリアで2時まで勉強した。そんな感じの3年間だった。

好きな人に送るメールに悩むなら英単語をひとつ覚えたかった。趣味に勤しむ時間があるならば、予備校の授業を受けた方がよさそうだった。

なぜなら私は無能だから。

みんなと同じ様に、楽しい時間を過ごしてしまえば、有能な人間にはなれない。無能な人間を待っているのは喪失しかない。

偏差値なんかで人の能力が測れないことを知るほど賢くもなかった。

大学に入学すると困った。自由な時間がありすぎるのだ。朝から晩まで勉強しかしてこなかった人間にとっては、好きなことをする発想が沸かない。罪悪感を覚えてしまう。

「私ごときが好きなことなんてやっていいの?」

せめて何か生産したい。フルタイムのようにアルバイトでスケジュールを埋めた。飲み会には殆ど行かない。甘酸っぱい思い出などもない。そんな資格などないからだ。私はレジャー欲が全くないのだが、実はそこに理由がある。手放しで楽しみだけを享受する数日間。そんなの耐えられない。何かを生産しないと、何かを鍛錬しないと、生きていいわけがない。強迫観念が常にある。

社会に出てからはずーっと仕事。朝から深夜まで働いた。週末もなんだかんだ仕事をしてしまう。

空白な時間が怖い。だから、私はいつも仕事でいっぱいにしてしまう。実際、過労(別の要因もあったけれど)でドクターストップに陥ったこともあった。休職している時は、社会と全く接続していない気がしてつらかった。

無能、役立たず、死んだ方がいい。そんな風にパニックの発作が起きた時、映画を見た。120分を虚構に没入させてもらうと気持ちが鎮まるからだ。音楽を聴いて消滅欲求をいなす時もあった。それらは趣味というより薬に近い。ただ私を延命させた。だから熱っぽく話をする人は眩しく見える。好きとか嫌いとかそういう余裕もなく、私にとってすがりつく存在だからだ。

社会に復帰すると、またずーっと仕事。書くという権利を得られて水を得た魚のように突っ走ってきた。

忙しさはモルヒネのようだ。孤独を忘れる。幼き日より、ずっと投与し続けて今に至る。

実際、そのおかげで自分のやりたい仕事に就けたとも思う。才能もなく、薄っぺらい人生を送ってきた人間が文章を書く仕事に就くなんて、夢物語に近い。書くことは初めて熱中できること。無能なりに憧れ続けた「何かを生む」という行為だった。取材をするのが好きなのは、空っぽの頭を誰かで満たしたいからだ。

このご時世、休むのが大事だと言われたりする。家族と向き合うこと、好きなことをやるべきだよ、と。お願い、私から仕事を取りあげないで。生きる意味がなくなってしまう。

最近、編集長に「ここ1年くらいで文章が上手くなったね。何かきっかけがあったの?」と聞かれた。嬉しかった。恥ずかしくて誤魔化してしまったが、きっと2年前に近しい人を亡くしたことが大きかったと思う。

新たにできた喪失感を文字で埋めようと必死だった。これまでより強いモルヒネを投与した、とでも言おうか。文章にうち込めば悲しみや痛みは和らぐ。

たまにアルコールを過剰に摂取して記憶を飛ばすのは、現実逃避に近い。ストレスが溜まってるんだろう。私の身体も母と同じように蝕まれてるかもしれない。楽に逝かせてくれるなら、是非お願いしたい。

心が亡くなると書いて忙しいと言うが、心なんていらない。そんなものがあるから痛みを感じてしまう。

そう思って生きてきたが、忙しさで埋まった私の人生は結局のところ何もない。無能な人間の成れの果てそのものだった。心血注いできた書くという行為が急に怖くなったのは、空虚な人生に気づいてしまい、そんな人間が何かを生む資格なんてないと思ってしまったから。

同時に「死にたい」とすぐに言う理由もよくわかった。空っぽな人生なので愛着がないのだ。

好きなことを楽しめる人生は豊かだ。忘我するほど熱中できる何かが欲しい。好きな人に「会いたい」と言ってみたい。どうして私はそれが出来ないんだろう?

「きみは自分を大切にしなさすぎる」

非常によく言われてきた言葉だが、ずっと理解ができなかった。私は十分すぎるほど己を守ってきた。 忙しさというモルヒネを打ち続けてきた程度には。

ただ、自分の人生の軽薄さに気がついてしまった時、長いこと理解できなかった言葉が、なんとなくわかった気がする。いや、まだわからないか。でも、多分ここにヒントがある。

いつか、モルヒネに頼らないで時間を過ごせるようになる日が来るだろうか。豊かな思い出が欲しい。そうしたら、もっといい文章が書けるかもしれない。


追伸:鬱っぽいですけど、書いて元気になるタイプです。謎が明らかになって大変清々しい気持ちでおります。金曜の取材も最高だった。お仕事くださり、ありがとうございます。

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