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社畜女子の呪い

かつて私は社畜だった。そして、死にたかった。

でもこの言葉を何度も頭で唱えては、生にしがみついていた。

元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。

今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である。

平塚らいてうが1911年、「青鞜」創刊時に寄せた文章だ。

「パステルカラーの服を着た方がいいんじゃない?」

私は男性に負けないくらい働きたいと社会に出たものの、22〜24歳の間、ずっと自殺を考えていた。以前「『これだからゆとりは』で死ぬ場合もある」というnoteに書いたが、適応障害になったのだ。

原因の1つは長時間労働だろう。仕事の量も多かったが、誰よりも努力すれば結果が返ってくるものだと勘違いしていた。加えて、自分を犠牲にして働くことでしか、存在意義を見出せなかった。

拍車をかけたのが、ジェンダーのコンプレックス。「女だから実力が正当に評価されない」というものだ。

「嘉島さぁ、髪染めたりパステルカラーの服とか着た方がいいんじゃね? いいよなぁ、俺が女だったらそういう強み活かすけどな」

「嘉島さんはいつも黒い服を着ていますが、縁起が悪い。明日うちの親戚が死んだらそれは嘉島さんのせいです。白い服を着てください」

翌日、白いトップスを着たら「嘉島さん、そっちの方が女らしいよ! できるじゃん、普通のこと」と言われた。今でも覚えている。

身を粉にして働いても、結果を出しても、外見という表層ですべてが吹き飛んでしまうのだろうか?

男に負けないほど働いているのに、なぜ化粧室でマスカラを塗っては社内政治を語る女子の方が可愛がられるのか?

努力しても、このゲームボード上で勝つことはできないんだと思うと悲しかった。そんな感情すら恨めしかった。本当に有能な人であれば、この壁は簡単に崩せるだろうとわかっていたからだ。ただただ、無力だった。

自分の実力を客観視する余裕はなかったが、私にも問題はある。未熟で世間知らず。それ以外にも至らない部分は多々あるだろう。しかし、その時見えていた世界がすべてだった。だからこそ、目を覚ます度にこう呟いた。

「死にたいなぁ」

2010年代を生きる私は「月」だった。

Image by Tomasz Stasiuk / Creative Commons

平塚らいてうは、100年以上も前——男尊女卑が強い時代に「女性にもっと勇気と自信を持ってほしい」と願い冒頭の文章を寄せた。

私は選挙権を持ち、総合職で働ける恵まれた時代に生まれた。それでも「青白い月」だった。

「女でも男と同じくらい働けることを見せつけたい」、「女だから外見について言及されなければならないのか」「女だから抑圧される」

男という存在を忌々しく思いながらも、なんら行動を起こさない。そんな自分を認めるわけにはいかず、冒頭の言葉を頭の中で反芻するだけだった。「女は太陽なのに」。

なんて未熟な考えなのだろう。「女だから」と言うことは、女性を侮蔑している行為だと、わかりもしないで。

平塚らいてうも、そんな風に解釈されるなんて不本意かもしれない。でも、怨念のように唱えたこの言葉は紛れもなく私を生かした。今でも大好きだが、解釈が変わった。

勝手に被害者になってた

さて、女性であるあなたは生理痛のことを男性に言えるだろうか? 私は最近になるまで、なんとなく言いづらいと思っていた。そもそも月経自体に罪悪感を抱いていた。

公で話すことではないのかもしれない。しかし、汚らわしくもないし、悪いことでもない。汗をかいたり喉が渇くのと同じだ。

けれども私は勝手に罪悪感を覚えるだけでなく、男にはこの辛さがわからないと苛立っていた。

「女性の生理について知っていますか?」という記事を書いたときのことだ。執筆するにあたり、男性にヒアリングをして驚いたことがある。彼らの発言からにじみ出ていたのは、「どうしたらいいのかよくわからない」という感情。汚らわしいという意見はゼロだった。

意図せず何かが解けていった。

私は勝手に女性独特の問題をタブー化していたのだ。

こういった些細なディスコミュニケーションがこじれ、「女は抑圧されている」と誤変換していたのかもしれない。平塚らいてうの言うそれとは違うだろうが、私はここに月を感じた。

それ以外にも結婚や出産など女性が抱える問題はたくさんある。しかし、つらい思いをしているのは女だけなのだろうか?

事実、自殺率は男性の方が高い。

男性は月経の痛みを知ることはないが、その逆もあるだろう。

もちろん、品性のない発言をする人もいる。けれどもそんなことに傷ついていても何も変わらない。相手に悪意を感じたならば反論すればいい。無知なだけならば伝えればいい。私も男性に関して知らないことばかりだ。

性別で括ること自体ナンセンスで、本来は個々人によって能力も耐性も異なる。しかし、どうしても「男は〜」「女は〜」とレッテル張りしてしまう瞬間がある。重要なのはコンプレックスに支配されないことだろう。

意固地になって自分の首をしめても、男という存在を恨んでも苦しいだけ。怨念はパワーを生むけれども、心を蝕んでいく。要はコスパが悪いのだ。

平塚らいてうは婦人参政権を求めて活動したことで知られているが、彼女はこんな発言もしている。

天才は男性にあらず、女性にあらず。

そういえば、私が長年持っていた抑圧感や劣等感はどこかにいってしまった。雲の隙間から太陽の光でも挿したのだろうか。

Top image by Robert McGoldrick / Creative Commons

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