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きみも【卒業】してしまうのか

通り沿いの雑多な居酒屋で、夜風に吹かれながら飲むハイボールは最高だ。

「きみがいつまでも若くて安心した」

ジョッキに入った氷を鳴らしながら、友人は言う。同い年の彼とは23歳の時に森美術館で出逢った。意気投合して小松(およそ六本木にあるとは思えない大衆的な居酒屋)で飲んだのを覚えている。

当時、彼はM1、私は社会人1年生だった。理系と文系、業界も立場も違う。それでも、お互いに好きなものは手に取るようにわかる稀有な存在だった。同じものを見ていても、違うように捉える。この差異が好きだった。単純に馬が合ったので、何をするわけでもなく、新宿やら渋谷で飲んでいた。安い言葉だが、同志のような関係だったと思う。

あの映画がいい、あの建物は美しい、この音楽は最高だ、あの人の新作は好きじゃない…まぁそんなところだ。

しかし、彼が就職したタイミングでぷつりと会わなくなった。私も仕事が変わり忙しかった。恋人なら違うだろうが、友情は風のように心地よく消えることもある。会わなくなるきっかけなんてそんなものだ。

最近、彼と3年ぶりに会った。私が見た最後は彼が会社に入りたてのころ。初めてのコンペでなかなか苦労している…みたいなことを言っていた。

28歳になった彼は、まだあどけない表情を残していたものの、ボサボサに伸ばしていた黒い髪は、きれいに整えられていた。しかし、「吸ってもいい?」とひと声かけて、アメスピを吸う姿は、慣れ親しんだ彼だった。淡く葉が香る煙を吐き、口にしたのが冒頭の言葉だ。

「きみがいつまでも若くて安心した」

「どういうこと?」と私は半笑いしながら問う。こういうときに、口が引きつる癖はいつからできたんだろうか。私の癖をよく知っている彼は、そのまま答える。

「きみはスピカみたいだったんだよ。言ったと思うけど」

スピカとは森博嗣の「喜嶋先生の静かな世界」に出てくるキャラクターだ。研究者である主人公のもとにやってくる同級生で、地元を離れ働いている。一足早く「社会」に出たスピカは、主人公に好奇心について問う。

スピカの周りは、やたらと人間関係を気にする人が多く、噂が飛び交うのだという。その時に出てくるのが「人の気持ちを察する」こと。周りの人間関係よりも研究に打ち込むような「僕」のような存在を世間は認めない。「人の心が欠けている」と評価される。

「変だよね。そうやって 、心みたいな言葉を持ち出さないといけないっていうのが 、もう変だよね。みんなが変なんだよ。数式を一所懸命考えている人って、みんなのことを認めているのに、人間の心がどうこうって言う人は、数式を考えている人を認めないじゃない。他人を認めない人の方が、人間として、なにか欠けているじゃない?」

スピカが「僕」に求めたのは、「知性」のように思える。学問を通して世の中の真理を見ようとしていた彼女は、心細かったのだろう。周りの人間関係ばかりを気にするような、視野の狭さにうんざりしたのだろう。否定しているわけではなく、「それしか認められないこと」が彼女を不安にさせた。

こんなにめんどくさい質問が許されるだなんて、スピカが羨ましい。すがるような彼女に「僕」は、そうした存在を「野次馬みたいな人」とくくってみせる。「知りたがっているけれど、なにもできない」、「ただ、知りたいだけ」と。

「好奇心っていうのは、誰にでもあるものだよ。ただ、好奇心を活かせるかどうかっていうことが大事だと僕は考えている。自分の好奇心を、人間とか社会の役に立つことに使いたいだけだよ。せっかく生きているんだからね 」

「僕」の返答を聞くと、スピカは「よかったぁ」と呟いて、すっと眠りにつく。私はこのシーンがとても好きなので、影響されていたのかもしれない。

カラン。

氷が鳴った。一呼吸おいて彼は言う。

「あの頃のきみは何かと戦っていて、かなり疲れてて不安そうだった。僕もその不安がわかるようになった。もしかしたらもう飲まれているのかもしれない。きみは今も何かに抗っているようで安心した」

社会に出たばかりの私は絶望していた。列を乱さないように前ならえをするようで、息が詰まる毎日だった。ツルツルした生活が怖かったし、脳が窮屈だった。彼と話すことが私にとって救いだったことは言うまでもない。

「きみと話していると23歳のあの時の気持ちに戻れる気がするんだ。若返った気分だよ。なんだか懐かしい」

ハッとした。似たようなことを度々聞かされていたからだ。かつて薄汚い居酒屋で語り明かした友人たちは、みんなどこかへ行ってしまった。

ある美術館員が「今はみんな来てくれるのだけど【卒業】していっちゃうんだ」と言っていたのを思い出した。学生だった私にはその言葉の10分の1も理解できていなかった。しかし、28歳となった今、とてもよくわかる。

同級生のFacebookに並ぶのは、毎日の生活。久しぶりに会って話すのは、恋人の話、会社の愚痴、美容の話、結婚の話。すべてが目に見える範囲のものだ。

悪いことじゃない。私も笑いながら会話に混ざる。でもふとした瞬間、「もう難しい話をするのは、ちょっとね」、「あなたは私と違うから」と言ったりする。私はその瞬間、ほんの少し寂しくなる。

彼彼女らは、仕事で活躍しているし、趣味もある。没頭している何かもある。同じ仕事をしていても【卒業】してしまった友人もいるので、職種は関係ないと思う。「夢を追い続ける」という話でもない。一体これはどういうことなんだろう?

「僕」の言葉を借りると、これは「生活」の中に入ることなのかもしれない。結婚して家庭に囲まれると、そこには守らねばならない「生活」があり、それを保つために仕事をこなすようになる。この仕組みの中にいる人を大人と呼ぶ、と「僕」は定義づける。そして同時に「もうあの頃には戻れない。子供のときには、そんなこと、夢にも考えなかったのに」とも回顧する。

もちろん、結婚しても【卒業】していない人もいる。ただ、どうやら私は置いてかれてしまったらしい。

私を「青い」と揶揄する人もいるだろう。羨ましいと言う人もいるだろう。優劣はつけられないと思っている。袂を分かつ。それだけの話だ。

コンペで勝った彼のマンションがそろそろできるらしい。社会に出たばかりの青年が頭の中で描いたものが、人の住まう場所になる。3年とはそれくらいの年月でもある。

彼は、大切な生涯の友人だ。しかしかつてのように気軽に会い、肩を組んで飲み明かすことはもうないのだろう。私は彼が【卒業】したとも思わない。ひとつ言えるのは、彼はますます責任のある仕事をして、どんどん素敵になっていくであろうこと。けれども、あの時とは何かが違う。空気が言っていた。

次に彼と会った時も、私はスピカでいられたらいいなと思う。

そういえば、ハイボールという飲み物が好きになったのは23歳の時だった。

Top Image: PRONorio NAKAYAMA via  Flickr / Creative Commons

追伸:小説のような話を書いてみたくて、物語を作ってみました。現実もまざっていますが。

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