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iPhoneの祭りが終わった日に見たもの

9月25日。今日新しいiPhoneが発売された。iPhoneの発売日といえば世界各国のアップルストアに長蛇の列ができることで有名だ。中には数週間ほど前から店舗の前で「その瞬間」を待つ猛者までいる。

並んでいる最中、豪雨に見舞われると傘を貸してくれたり、ときには店内に避難させてくれる。前日になると祭りの高揚感は高まり、夜食や朝食まで配布してくれる。こういった気遣いがファンの心を掴んで離さない。

テクノロジーが発達した現代であっても、都心の路上で野宿をするのはかなり厳しい。行列仲間は互いに協力し合い当日を迎える。

夜が明ける頃には報道陣がストアの前に集まり、イベントムードがさらに高まる。スタッフがとびきりの笑顔で朝のミーティングをしている。ガラス越しに見る彼らの高揚感が期待をあげる。カウントダウンが始まる――5、4、3、2、1…!!!!!

こうしてハイタッチとともにガラスの箱に1人ずつ入っていく。契約を終えて出てくると、報道陣からフラッシュの嵐。四方八方から「新しいiPhoneどうですか! こっち向いて!」とヒーローのごとく声をかけられる。そして過酷な行列を共に過ごした仲間と喜びを分かちあい、1年後の再会を誓い散っていく……。

普通に考えたら携帯電話1つ買うだけなのに、なぜ修行僧のようなことをするのか?という話ではあるが、祝祭なんてそんなものだろう。雨に打たれるわ、バッテリーは心配だわ、寒いし暑い。でもやっぱり楽しいし、何よりiPhoneが大好きなのだ。

今年、もう祭りはなかった。できなくなったのだ。それは去年のiPhone 6/6 Plusの行列が原因だったのだと思う。転売目的の海外バイヤーたちが、若者やホームレスと思しき人にiPhoneの購入させる事態が多発したのだ。私は表参道に並んでいたのだが、行列は外苑前駅まで続いていた。距離にして約1km。そのほとんどが、これまで私が知っていたiPhoneユーザーではなかった。聞こえてくる声は日本語ではなかったのだ。

青山通りは軽くモラルハザードが起きていた。並んでいる若者たちは、日本のルールやマナーを知らない。割り込みにはじまり、道に広がって寝袋を広げ、食い散らかし、ぺちゃくちゃと会話をしていた。夜通しずっと。隣接する道路には車がとまっており、雇用主が彼らを監視していた。日本語はほぼ通じない。注意してもかき消されてしまう。彼らの人数はケタ違いで、日本人の価値観というか、ルール的なものは完全に上書きされる感じがした。何を言っても無駄――そんな感覚だ。

しかし、並んでいる彼らは悪人には見えなかった。こういう場所で出会うことがなければ、すぐにでも打ち解けられるような人当たりの良さがあった。実際、私も彼らとジョークを言ったり、写真を撮ったり。歩み寄れる瞬間はあった。彼らの顔に悪はなかった

「どうして並んでいるの?」と聞くと「友だちに買ってあげるんだ」と言ってた。国籍はアジア圏が多かった。

オープン後、たんたんと新iPhoneを手に入れた若者たちは、雇用主に釣果を渡し、報酬を得る。そんな取引が白昼堂々繰り広げられていた。その後、密輸を企てたバイヤーたちは空港でiPhoneを没収されたと聞く。このような事態は、日本だけではなくニューヨークでも起き、逮捕者まででる騒動になったという。「iPhoneの行列が、ファンのものでなくなった」と落胆の声がいたるところで聞こえた。

「来年、どうなるんだろう?」と、きっと誰もが思ったはずだ。

懸念は現実となった。今年から販売スタイルは「予約制」となり、並ぶことができるのは「受け取り」だけ。完全に管理限定されたものになった。もちろん行列はできていたが、昨年まで“そこにあった祭り”は過去のものとなった。

これは、当然の流れだと思う。モラルハザードは事故を起こす。殴り合いの喧嘩だって起きかねない緊迫した雰囲気が、昨年の行列にはあった。普通に考えて、終わらせるべきだろう。

私は別にヘイトスピーチをしたいわけではない。そんなことはしたくない。けれども、その時にグローバル社会の影を見た気がした。それがどこの国だとか関係ない。労働力を搾取し、カネになるものを効率的に入手して回す。圧倒的なコマ数の前では、たとえ自分が生まれ育った場所でさえもアウェイになる。そしてその瞬間、自分はかき消される側なんだと悟った。こんなこと、きっと今まで世界中で繰り広げられていたのだろうが、目の当たりにしたショックは大きかった。

外国人排斥デモが行われる秋葉原もここ1年で随分と様変わりした。毎日世界中から観光客が押し寄せては、大金をこの地に落としていく。「外国人は出て行け」よりも「ようこそおいでませ」の方が今は強い。これは別に悪いことではない。しかし、巨大な資本と人数は、思想やモラルを軽く上書きする力を持っていることを示している

そして、若者たちの屈託ない表情を思い出すと、やはり彼らを批判できない気持ちになるのだった。きっと、戦争もこうやって起きているのだろう。実際に動く彼らは何も知らない。ただ与えられたミッションをこなすのだ。善悪とかそういう次元ではなく。


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