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母はきっと、ちょっぴり死にたかった

患者が望む最後と、家族が望む最後は違う。患者は苦しみたくないが、家族は悲しみたくないのだ、意見が一致するわけない。そして医師が尊重するのは、家族が望む最後なのだ。

がんを患いながら、その生活を綴る写真家、幡野広志さんのnoteが話題だ。

闘病生活を送っている最中、肺炎を患った。死んでしまうかもしれないという状況で、幡野さんは安楽死について考えている。決して「死にたい」と切望しているわけではないが、死を選ぶことができてもいいと病床で綴る。

ふと、ずっと考えていた……それでいて答えの出なかったことを思い出した。

気丈に振る舞っていた母の本音

「もう嫌だよう」

雑音がまざった音の中に喚きが聞こえた。まるで赤ちゃんのように「嫌だ、嫌だ」と泣く。聞いたことのない母の声だった。

母は約3年の闘病生活ののち、他界した。家で治療する中、私は電話で遊んでいるうちに病床の声を録音してしまっていたらしい。

無意識に録られた声を、彼女が他界してから発見した。当時9歳だった私には、唐突に耳へ飛び込んできた言葉を理解できなかった。

ただ、開けてはいけないものを開けた。それだけはわかった。

私の知る母は、病床でさえいつも気丈で強かった。死の間際ですらそうだった。でも、録音されていた声は、そんなイメージとはかけ離れた、か弱く情けないものだった。

娘には見せない「本当の姿」だったのだろう。

がん治療は想像を絶する痛みを伴う。治療のハードさはもちろん、抗がん剤の副作用は心身ともにダメージを与える。 おびただしい口内炎、手足がもげるような関節痛、脱毛、止むことのない吐き気。あげればきりがない。生きているだけで「痛い」のだ。

何かを生産したがった母は、病床で刺繍をはじめた。ベッドにいる時間が長かったので、上達も早かった。小さく単純な絵から、次第に大きな布に細やかな描写を縫い付けるようになっていた。作品をつくり終えては「回復したらお世話になった人たちに配るんだ」と言っていた。しかし、病の進行とともにやめてしまった。

母の死後、作りかけの刺繍も見つけた。数ヶ月前まで、精緻な作品をつくっていた彼女のものとは思えないほど、荒い縫い目だった。

たくましく治療を受けていた母が、刺繍を見て涙を流していた姿を思い出した。その時は、どうしていいのかわからず、「見なかったこと」にしたのを覚えている。子どもは何も知らない方がいい。けれども、乱れた縫線を見た時、鮮明に思い出した。

母は「手が動かない」と嘆いていたのだ。情けなさ、無念さ、死への恐怖……きっとさまざまな感情が渦巻いたことだろう。動かない手を見て、母が何を思ったのか、私は知らない。けれども大人になった私には、わかることがある。

彼女はちょっぴり「死にたい」と思った。

そうでなければ「もう嫌だ」と喚くことはない。

人は、ストーリーを生きてしまう

「幼い娘を遺してこの世を去るのは、さぞ無念だったでしょう」

人は悲痛めいた眼差しで優しい声をしながら、こんな言葉を投げかけてくる。

その度に、「この人はストーリーを生きているんだ」と思う。

生きることこそが喜びであり、正しい。一方で死ぬことは悲しく、避けるべきことだ。こんな前提のもと、ストーリーを作る。

家族を失うことは悲劇である。
人は誰もが生きるべきである。
奇跡は起こると信じるべきだ。
死者は無念さを抱えている。
弱者は救うべきだ。

普通に生活しているだけで、こういったストーリーが刷り込まれていく。無意識のうちに、それが正しいことであるかのように思えてきてしまう。

ストーリー上、死はタブーなのだ。

でも本来、死とは寿命であり、自然なこと。忌むべきことでもないし、避けるべきことでもない。

死の階段を降りる過程は、昨日まで「できていたこと」が「できなくなっていく」時間だ。

上達していくはずだった刺繍が、日に日に荒くなっていく。針に糸が通せず、白い布地に思い描く線を縫い付けられない。

母に感情移入しているわけではない。けれども、ストーリーを生きる人は、生きる苦痛に「もう嫌だ」と嘆く人の姿を想像したことはあるのだろうか。

周りで起きてることはわかるのに、意思表示ができない無力感。激痛に耐える毎日。できていたことができなくなる現実。逃げたいと思うのは自然な感情だ。

とはいえ、母自身もストーリーを生きていたのかもしれない。

死の間際に残した娘あての手紙には「ごめんね、もう長くない」と書いてあった。罪の意識をもっていたのだ。その謝罪文を読んだのは、いつのことだろうか。おそらく小学2年生の冬頃だ。

なんとなく覚えている。闘病中の母が小学校のマラソン大会に応援に来てくれた。校庭を走っている時、自分を見る母を見て「これが最期だ」と心の何処かで思った。私は4位に入賞した。

母に死への罪悪感を芽生えさせたのは、「どうにか生きて欲しい」と願った私でもある。子どもが母を失うのを嫌だと思うのは自然だろう。一方で「どうにか」という思いは、厄介だ。

彼女の痛みを考えず、ストーリーに縛りつけるからだ。加えて、治療にあたった医師や看護師に「ねえ、どうして母を救ってくれなかったの?」という眼差しを向けた。

どんな程度であれ、延命の措置を施すのは遺される側のエゴなのかもしれない。

もちろん、死の淵に立った時「生きたい」と強く願う人もいる。その判断に正解はない。

死は善も悪もない。「生きて欲しい」と願うのも自然なことだと思う。でも、ストーリーに縛られて、持たなくても良い罪悪感なんて母に抱いてほしくなかった。

家族を失うという絶望的な状況を目の前に、人は悲しみで埋め尽くされずにはいられない。しかし、それはどこまでいってもエゴでしかないのだ。

幡野さんが病床で思うように、「死ぬ選択」が悪ではなく、権利として使える日が来るようになればいいと願う。9歳の時、ふいに聞いてしまった母の声はいまだに耳の奥にべったりと残っている。だからこそあの時、どうすれば彼女は気持ちよく息を引き取れたのだろうと考える。

もし、次に誰かの死に立ち会うときは「死なないで」なんて眼差しは向けたくない。息を引き取った際には「どうして」なんて嘆きたくない。難しいだろうが、その時せめて「死ぬ選択」を当人に許すことができれば、送られる側も送る側も、少し前向きに死を受け入れられるかもしれない。

「もう嫌だ」と嘆きながらも、私の前では強くあり続けた母を、せめて労いたいのだ。

Thanks to Kansuke Izawa and Haruka Tsuboi

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