見出し画像

noteという特殊な場所

何かを作って公にするとき、躊躇する大きな要因となるのがネガティブな反応への懸念だ。

「他人など気にするな」

あまりに正論だが、私はそんなに強くない。

noteにはネガティブな反応がないので書きやすい。

フォントやメインカラーなど、デザイン面でかなり工夫が施されているし、戦略も明確。その話は加藤さん深津さんが語っているのを聞くとおもしろい。

コミティアと文フリが混ざった雰囲気

いちユーザーとして感じるのが、展示会的雰囲気がここにはある。「クリエイターのため」と打ち出しているからだろう、コミティアや文フリなどの匂いがする。

何かを作って公にすることは、自分の信頼性を懸けることに等しい。失敗すれば、今まで築き上げてきたものや、これから約束されたものを失うかもしれない。

どんなものでも「あんなの俺だってできるよ」と言えるし、思うのは簡単だ。鑑賞者でいた方がよっぽど楽で安全だ。

noteはクリエイターであることが「前提」の場所。そのため、作る苦しみを知ってる人たちばかりなのだ。基本的に、みんなリスペクトがある。「あんなの簡単にできる」と言えない雰囲気があるのだ。

お金の匂い

noteはサービス開始初期から「有料記事」や投げ銭的な「サポート」など経済が導入されていた。

有料記事にして、あえて間口を狭くすることで、炎上を防げるという話も聞いた。多くの人は、お金を払ってまで批判しようとは思わないからだ。

また、noteは出版社と提携したり、「お仕事依頼」ボタンがついたりと、作品で仕事を得る機会を応援するスタンスが強い。プロフェッショナルになれるチャンスがゴロゴロ転がっているし、百戦錬磨のプロも普通にいる。

これまで数多のブログサービスが生まれてきたけれど、noteがそれらと異なるのはお金の匂いがする点だろう。

作ったものや、クレジットに応じてお金が支払われるプラットフォーム。だからこそ、逆説的にエッセイや小説的な文章が書ける。

これらのジャンルは自意識が反映されるため、冷笑されがちだ。読んで得る情報が圧倒的に少なく、自己陶酔しているように見えるからだろう。

でも、noteはお金の匂いがするから、自意識系コンテンツが逆に書きやすい。「商品になりえる」からだ。

この言い訳ができるから、てらいなくクオリティをあげることに集中できる。クリエイターだと自認できるほどの才能はない。でもnoteは「何かを作りたい」「作る技術を伸ばしたい」という思いの受け皿になってくれる。

私のような自意識過剰な人種にとって、口実はいい動機づけだ。

無料だからこそ意味があるnote

ちゃぶ台を返すような話だが、私は無料公開しかしないと決めている。

その理由は、noteは私にとって実験室だからだ。

できるだけ多くの人に見てもらわないと、実験の精度が落ちてしまう。

実際、仕事とnoteが組み合わさってできるものはいくつかある。

母を亡くした少女の頭の中(note)
母を亡くした子どもは「母の日」をどう過ごすのか?(Buzzfeed)

noteで最初に書いたものを、ブラッシュアップさせて仕事のものにしたり、

ある日突然、シングルファザーになって(Buzzfeed)
晩婚家庭に生まれて(note)
坂本龍一 死を垣間見てわかったことは意外なことだった(Buzzfeed)
母を早くに亡くすということ。残された父と娘はこう生きる(BuzzFeed)

取材がきっかけで生まれた問題意識を、noteで固めて(これはどうしようもなかった)他の記事でも展開したりもした。

先日公開した燃え殻さんの『ボクたちはみんな大人になれなかった』に関するnoteも、実験をいくつかつめこんだ。

・書評は体裁としてありふれているので、違うやり方で書籍の紹介をしてみたかった
・登場人物が3人以上の場合はどう書き分けるか? 
・性描写のキモくないライン
・「刺激か安心か」の問題設定の反応
・長さ(5000字ほど)

など、あげればキリがない(ケイクス編集部にも相談したものの、やっぱりnoteで公開するべきだと思った)。燃え殻さんの文章に手を引いてもらって、新しいものが見えた。

noteは数字も建前も気にせず、遊ぶように書くことができる。

メディアにいるからこそ、取材させてもらえる。下駄を履かせてもらいながら仕事をしており、恩恵は多い。でも、仕事に追われているだけでは、ただでさえできることの少ない文章表現が拡がらない。私はそれが怖い。

取材相手も「自分のクレジット」を背負っている人がほとんどだ。相手に本音を、真理を語って欲しいと考えた時、メディアの顔しか持っていないと、嘘をついているようでうまく相槌が打てない。なんだかフェアじゃない気がしてしまうのだ。

だから私は、個人としての実験室を持っていたい。

とはいえ、気がついたら朝になっていて、ボロボロになりながら仕事に向かうので馬鹿みたいだなとは思う。

私が作家志望の方々に実生活の方へゆく事をおすすめするのは、その両立しえないような生活を両立させようとぎりぎりの所まで努力する事がわたとえそれが敗北に終わろうとも小説家としての意志の力を鍛える上に、又芸術と生活との困難な問題をぎりぎりまで味わうために決して無駄ではないと思うからである。――『小説読本』

これは、官僚として働きながら『仮面の告白』を書き上げた三島由紀夫の言葉だ。

私が書いているのは小説とは言えないが、いつかこんなことが言えたらいい。先人はいつも偉大だ。

この記事が参加している募集

noteでよかったこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?