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僕は文字が嫌いだ。

少年時代、僕は毎日と言っても良いほど駄菓子屋へ通っていた。
母からもらった小銭を握り締め、家から一つ奥の筋にある道をトボトボと
友達と忍者ゴッっこをしながら向かっていた

公園の近くにあったその駄菓子屋は、終日子供たちで溢れかえっており
特に月曜日になると、自転車が置けないくらいだ。

そう、小学生にとって月曜日は最悪な一週間の始まりでもあり
待ちに待ったヒーローに会える日でもあった。

月曜日は少年ジャンプの納入日だ。

ただ、僕はそんなこと一切興味がなかった。

なぜなら、漫画を読む気になれないからだ。
いや、読む気になれないというようり、読めないからだ。

昔から、絵本を選ぶときでも文字の多いものは好まず
ミッケやウォーリーを探せを見つけては遊んでいた。

僕にとって絵本は読む物ではなく、遊ぶもの。だった

今まで読み切った本は、国語の授業で扱う本以外ほとんどない気がする。
あっても二、三冊??
文字を見るだけで、やる気が失せて仕舞う。

そのせいか、国語の偏差値は驚くほど低く
漢字の読み書きも全然できない
日本男児としてはあるまじき事態だ。

秀吉が生きていた時代だったら
おそらく島流は確チャンだっただろう。笑

ただ、今僕は自分で言うのも烏滸がましいが
コミュニケーション能力は結構ある方だと思う。

スタバのお兄さんを四年間やっていただけあって、
人とコミュニケーション取るのはかなりの得意分野だ。

僕にとって会話は言葉を届けると言うよりも、伝えると言う意識がかなり強いと思う。


それは今まで、言葉以上に
〝伝える〟というコミュニケーションを色んな方法で試していたからだと思う。
文字が読めないと言うハンデを、映画や写真、音楽、世界観、絵で読み取っては

自分も同様の方法や、それを駆使した伝え方でコミュニケーションをとってきた。

歌詞から 恋心の移り変わりを学んだり
映画で ストーリの湾曲や迫力の伝え方を学んだり
写真で 言葉で表せない雰囲気やその裏にある関係性を読み解いたり
空間で あらゆる居心地のしくみを読み取ったり

色んな表現を学び取ってきた。

そして僕も、表現者として発散している。
文字が読めないからこそ、率直に感じ取れたことも多くあった。

そんな僕が最近、言葉の奥深さに惹かれるようになった。
そう言うとかっこいいが、素直に言うと
自分の思いを示したり、言語で探り合う風景に嫉妬してしまった。

本の話や、自分の考え、哲学を語っている若者を見たとき
僕からしてみれば、目の前でドイツ人が話してる様に見えてしまう。

自分が会話に出るときに、いつも不安で。

その不安は考えからくるものではなく
僕の知ってる言葉のボキャブラリーが耐えてくれるかと言う問題。

でも、実際今書いていても割とかけてる???よね?笑

ま、そんな事はさておき

これからもっと言語で自分を伝えたい。
そして何より、素の僕をもっと知ってほしい。と思ったからだ。
だからnoteを始めた。

自分は割と完璧主義者まがいなところがあって
自分のできないところを見られるのが好きじゃない。

けど、ノートでは素直な気持ちや思いを赤裸々に書いていきたいと思う。

文字が嫌いなことも大事な自分のパーソナルだ。笑
裸を見られたような気分だが、皆さんここまで見てくださって本当にありがとう。

これからは、自分の私生活で思ったこと。
色々な世界をつまみ食いしてきた建築学生から見た
街や建物、人の事
そして僕のルーツ これからどうなっていきたいか
時には哲学的なことも乗っけるかもしれません!

三日坊主も僕のパーソナルな部分なので、うまく交わして
継続力を仲間入りできるようにゆるく頑張りたいと思います笑

交互お楽しみに!

あ、今絶賛コロナ療養中でホテルからお送りしております。笑

皆さんもお身体にはお気をつけて!!
おやすみなさい!

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