コンテンツの消費の仕方

巷は沼で溢れています。
漫画や、小説や、映画、ドラマ、アニメなんていう、大きなお話から、当然とある作品、はたまた、キャラクター。
沼というのは大小問わず、其処彼処に手ぐすねを引いて待っています。

この中でもドラマ、映画、アニメといった動きのある、そして、決まった時間のなかで見るものは、多分に私たちの日常を侵食してきます。

そう。
私はこの動画という侵食力の強いもののなかでも、一際強烈なものに絡め取られていました。
その名を定額動画視聴サービスといいます。
私の仕事を終えてからの時間は悉く、この魔物に平らげられました。

変えると即、U-NEXT。
昨日寝落ちして、途中だった海外ドラマをパラパラ、少し気分転換にアニメを。そして、気合を入れて映画を。

もちろん言い訳なのは重々承知です。
理想の(コンテンツのある)世界という続き物を書いていましたが、なんと2ヶ月も間が空いてしまっています。

でも、言い訳ながら、なぜこんなに間が空いてしまったのか、なぜ、こんなに定額動画視聴サービスから逃れ難いのか。
そんな下らないことをついて、書きたいと思います。

シンプルに考えてみましょう。
なぜ、U-NEXTを帰ってすぐつけてしまうのか。
なぜ、時間の浪費を分かっていてやめられないのか。

何も考えず答えを出してみましょう。
それはいっぱいみるものがあるから。

単純ですね。
みたいものがいっぱいあって、それが続けてすぐ見ることができる。
しかも、終わるとシリーズものや、出演者、監督つながりで別の作品が次々とでてくる。
シンプルですか、とても分かりやすい答えです。

しかし、どうやら、私は違うような気がしてきました。
いえ、正確にいうなら、理由は、これだけでは無い。
もっと大きな問題がある、と。

現時点での私の答えは、幸せだから、でした。
好きなものをいっぱい見られて?
尽きることなく見られて?

いえ、そういう理性で捉えられる幸せではありません。
ある意味伊藤計劃のハーモニーのような、ハクスリーのすばらしい新世界のような。
そんな停滞した、そして何より「自分の存在しないと」幸福感からでした。

わたしにとって、コンテンツを「楽しむ」とは、人の思考を、考え方を、ものの見方を楽しむことでした。
この映画を撮った人は、なぜ、このシーンを入れたんだろう。なぜ、このキャラクターは登場しなければならなかったんだろう。なぜ、この評論ではSF映画を青春映画として見ているんだろう。
そういう「なぜ」、つまり、人の考え方を想像していくことが、楽しむことでした。

当然その先の、自分だったらどう考えるか、見るか。そういった、他人の考え方をブロックにして、自分らしく積み上げていく、時には壊して見る。
そんな楽しみもしていました。

しかし、U-NEXTを初めて、そういう楽しみが徐々に出来なくなっていきました。
顕著だったのは、ドラマを途中で飛ばし始めたことです。
これは自分に合っている。これは今の気分にちょうどいい。
そういう「消費」の形に落ち着いていったのです。暖かいお風呂に入って、温くなっていくような感覚でした。
少しづつ周りと同じになっていく感覚。
ひたすら平坦で緩やかな坂を下る感覚。

そこには、ある意味自分というものを無くしていく作業のような感覚すらありました。

わたしは、ドゲトゲしいもの=他人の思考を取り込み、分解して、消化する、そんな苦行から微温湯に、溶け込んでいました。

当たり前ですが、ものをかく、なんてコストのかかる高いものをしようなんて気はさらさら起きませんでした。
と、まるで、U-NEXTが悪者みたいに書いてしまいましたが、そんなことは、まったくありません。
完全に資質の問題で、根本が根源が圧倒的に怠惰なわたし、ということではあるのですが。

しかし、困ってしまいました。
かるーく、他所に責任のありかをなすりつけようとしたはずなのに…

とりあえず、帰ってU-NEXTで何見るか決めよっと。

#コンテンツ会議 #コラム

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