心を自在に使えるために

〈この記事は2020年6月に私の教室の会員の皆様に向けて書いた記事です〉

『心を自在に使えるために』

3ヶ月近くの、教室でのリアルの稽古自粛期間が明けて、ようやく全教室の稽古が出来るようになりました。引き続き換気や手洗い消毒の徹底、ソーシャルディスタンスを保つなど、もろもろの制限がある状況ではありますが、感染予防対策をしっかりした上で、まずは教室で皆さんとお会いできるだけでも有り難いと感じております。自粛中の氣の滞りを解消できるように、また皆さんと稽古に励んでまいりたいと思います。引き続きよろしくお願いします。

この3ヶ月近くの間、皆さんには主にオンラインで心身統一合氣道をお伝えしてきました。私自身も、オンライン稽古に受講者の立場で参加してまいりました。指導者は、藤平信一会長です。緊急事態宣言後は、毎週、場合によっては週2回ほど、会長の指導を受ける機会がありました。これは、今までにまったくなかったことです。平常時においては、大阪の指導員は、2ヶ月に一度の指導員講習会で会長から直接指導を受ける機会があります。これと比較することで、自粛期間中の会長稽古の頻度の高さがご理解いただけるのではないでしょうか。

藤平信一会長は、組織の長という立場ながら、今回全国に広がったZoomを用いてのオンライン稽古を、一番最初に行い、実験を繰り返し、我々全国の指導者に範を示しました。教室に集まること自体が制限されるという、前代未聞の事態に下を向きそうになる我々に、明確に、具体的に、生き延びる策を実践してみせながら、我々の背中を押しました。
「出来ないことに心をとらわれず、出来ることに全力を尽くすこと。これが『氣を出す』ということだ」
このことを、言葉で伝えるだけでなく、強力に自身の行動で示されたこと、素直に尊敬します。

その会長の教えから、今回は心身統一合氣道の根幹となる部分を、改めて皆さんと共有したいと思います。

●「心が身体を動かす」
●「氣」が出ている時、心を自在に使える(心の働きが活発になる)
●「氣」は、出すことで新たに入ってきて、交流する
●「心身統一」とは「天地と一体であること」、つまり「氣が出ている」ことである

順を追って説明します。

●「心が身体を動かす」

実は数年前までは、「氣の原理」とは、この言葉のことでした。藤平光一先生は中村天風先生に師事して、この言葉の通りであることを悟ります。中村天風先生も藤平光一先生も、当時の医療で治せない病を抱えながら、きれいに克服するという経験をされています。その中で悟ったことが、「心が身体を動かす」。身体に現れた病を作ったのも治すのも、一番大切なのは自身の心である。この場合の「心」とは、自覚できる心(顕在意識)だけでなく、無自覚な心(潜在意識)を含めてのことです。潜在意識まで含めた「心」が変われば、その現れである「身体」も変わってしまいます。

「思考は現実化する」という本がヒットしましたが、多くの人々がこのことを実感しているのではないでしょうか。何事も思った通りになる、そんなことあるわけがない、と思う人もいると思いますが、自覚していない「潜在意識」レベルも含めて考えると、私は「心が身体を動かす」は、一つの真理であると考えています。「想い」があるから、見聞きする情報や出会う人、行動が変わるわけで、それはつまり起こる出来事が変わっていくのだと思います。ですから、潜在意識も含めた自分の「心」、これをいかにコントロール出来るかによって、人生そのものが大きく変わることと信じています。

●『氣」が出ている時、心を自在に使える(心の働きが活発になる)

上記の「心が身体を動かす」を実践しようとした時、どうにもしっくり来ないことがあります。たとえば、本当はうまくいかないと思っていることでも、「大丈夫、大丈夫」とか「出来ると思えば出来るんだ」、というように、どこか無理をしてそのように考えている感覚。「プラス思考の罠」というやつです。

中村天風先生の教えは「積極的精神」といって、心をプラスに保つことです。しかし、これに違和感を持つ方がいるのは、上記のような「プラス思考の罠」の状態に陥っている人を知っているからではないでしょうか。あるいは、心を病んでいる人に、「積極的精神が大事だ」と説いても、「わかっていても出来ないんだ」というのが本音なのではないか。私自身の経験でも、その通りだと思います。
これは、「氣が滞っている」ところに大きな原因があります。「氣が出ている時、心を自在に使える」ということは、「氣が滞っていると、心を自在に使えない(心の働きが鈍くなる)」ということです。
「氣」→「心」→「体」 
敢えて分けると、この順番に影響を及ぼします。「心」を積極的にしたいと思っても、「氣の滞り」がある状態では、心を自在に使えませんので、無理があります。この場合、まず、「氣の滞りを解消する」ことが優先されます。

「氣の滞り」は、いろいろなことが要因となって生まれます。たとえば、会社の上司に注意された時に言われたひと言にすごく腹が立ちながら何も言い返せなかった、とか。そのひと言が頭の中でヘビーローテーションされ、ムカムカが消えない。そんな状態は、「氣の滞り」です。そんな時に、こどもがちょっと言うことを聞かなかったりすると、普段以上に厳しく叱ったり、時には怒鳴ってしまう。そんなことはないでしょうか?
すると今度は、そんな態度をとった自分が嫌になり、そのことでまた心を痛めている。ムカムカが、クヨクヨに、そしてそれが続くことがイライラに…、という感じ。少しの「滞り」が別の「滞り」をくっついて、段々大きくなっていってしまいます。そういう精神状態の時に、大舞台での大仕事を抱えていたとしたら、どうでしょう。うまくいきそうですか?

小さな氣の滞りも、抱えたままでいると、大きな失敗につながります。またこれは、時に大きな病の原因ともなります。そう考えると、普段から「氣の滞り」を解消したり予防することが、いかに重要であるかが理解していただけると思います。

●「氣」は出すことで新たに入ってきて、交流する

そんな小さな氣の滞りが、たとえば友人をお茶を飲みながら関係のない話をしているうちに、氣にならなくなっている。そんな経験はありませんか?あるいは、一生懸命に掃除をしたり、何かの作業に没頭しているうちに、どうでも良くなっていた、とか。

「氣を出す」ことが、「氣の滞り」を解消することに繋がっています。
先程の上司のひと言で言えば、言い返せずに溜めてしまったことが、どんどんその後も尾を引いてしまいました。だからといって、そこで言い返せ!というわけではありません。それが出来ない場面というのは、いくらでもあることですよね。
しかし、その後の自分の中での対処法は、他にもありそうです。たとえば、頭にきたそのひと言をずっと反復するのではなく、それ以外のするべきことの方に心を向けること。上司の注意の中には、自分の変えるべき問題点の指摘も含まれていたはずです。それは、自分のするべきこと、出来ること、です。それを実践することに全力を注ぎ、余計な悪口やイラッとする文句は、煙を吹き消すように、フッと息を吹いて飛ばしてしまいます。これは「息吹の法」という、呼吸法の一つです。それ以外にも、方法はいくらでも、それこそ無限にあるのではないでしょうか。
氣は、出せば出すほど入ってくる。つまり、出ている間は常に外部と交流しています。

その時その時のするべきことに、しっかり心を向けて行動する、これが「氣の滞り」を作らない方法であると言えます。

●「心身統一」とは「天地と一体であること」、つまり「氣が出ている」ことである

心身統一合氣道が目指す、「天地と一体であること」とは、「氣が出ている」ことです。

自分のことばかり考える利己的な状態、自分一人で解決するしかないと狭い考えにとらわれる孤独な状態、などは、周囲とのつながりを失っています。これが、「天地と一体であること」の対極の状態です。
きちんと周囲がみえて感じられていて、部分にとらわれず全体で考えることが出来ること。これが「天地と一体である」時の実感です。

いつでも、この「氣が出ている」状態でいられるようにすること、これこそが心身統一合氣道の究極の目的になります。
いつになったら、この状態に到達出来るのでしょうか?

私自身は、どこかの時点でこれが達成できる、というようには考えていません。常にこれを心がけて、実践し続けること、これが「稽古」です。人間は完璧にはなりえません。こんなことを書いている私自身が、しょっちゅう「氣の滞り」を起こし、それに苛まれて、誰かに救われて、ということを繰り返しています。でもそれが当たり前、とも思っています。

「これで完成」「これで達成」という想いは、実は単なる錯覚で、そう思った瞬間に「氣が切れる」(滞りと同義)のだと思います。

常に最善を目指して努力し続けること、これが出来るから、合氣道も含めた「道」に入ることは面白いのだと思っています。これからもご一緒に「稽古」していきましょう。

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