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【17】「ものすごくつまらない記事」の書き方を4通り、説明する。

文豪トルストイの「アンナ・カレーニナ」の書き出しはこうだ。

「幸せな家族はどれもみな同じようにみえるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある。」
(アンナ・カレーニナ トルストイ 光文社古典新訳文庫)

世界一有名な書き出しに倣うとすれば、記事についても似たようなことが言えるかもしれない。

すなわち、
「ものすごくつまらない記事はどれも同じように見えるが、面白い記事にはそれぞれの面白さの形がある。」と。


幸せな家族の話はバリエーションが乏しく、大して面白くない。

一方で、不幸な家族の話は「ナニワ金融道」や「闇金ウシジマくん」などでネタにされている通り、それぞれ興味深いエピソードがある。

新聞やSNSで「幸せな話」より「不幸な話」のほうが圧倒的に多いのは、それにバリエーションがあり、面白いという理由があるのだ。

「面白い記事」同士は似ていないが、「つまらない記事」はどれもよく似ている。

この事実は、重要な示唆を含む。

つまり、世の中には「文章を面白くするには、どうしたらよいか」と悩む人も多いが、「面白さ」は、それぞれなので、「これについて書けば面白い」という法則が存在しないと言えるのだ。

実は、このことは600年も前にすでに明らかにされている。

歴史の教科書にすら出てくる、「猿楽(能)」を芸術の域に高めた世阿弥(ぜあみ)は、能の秘伝書「風姿花伝」を著した。

その中で世阿弥は、
「花がある」
「花々しい」
などの言葉から想像できるように、能を見たときの感動を「花」という言葉を使って表現している。

この口伝において能の花の何たるかを知るということについて。まず例えば、花が咲くのを見たときの感動をもって、能の美的感動を「花」とたとえるに至った理由を理解せねばならぬ。
(風姿花伝・三道 世阿弥 角川ソフィア文庫)

そしてここからが重要なのだが、世阿弥は、「花」と「面白さ」そして「珍しさ」が同じであると言っている。

いったい、花と言った場合、あらゆる草木において、四季の時々で咲くものであるから、ちょうどその季節にあたって新鮮な感動を呼ぶので、賞翫するのである。
申楽の場合でも、観客が心の中で新鮮な魅力を感じることが、そのまま面白いということなのである。「花」と「面白さ」と「めずらしさ」と、この三つは同じことなのである。

世阿弥ほど、コンテンツの本質を鋭く言語化した人物は居ないだろう。
そして世阿弥の主張から、なぜ「面白い文章」がそれぞれなのかがわかる。


それは要するに、「面白さ」=「めずらしさ」だからだ。

読者を惹きつけてやまないコンテンツは、要するに「新しい」「珍しい」「驚かされる」から、花があるとみなされるのである。


だから「面白いコンテンツはどう作ればいいですか?」
に対しての回答は、世阿弥の主張以上の話はない。

定型はない、むしろ定型はおもしろくないので、新しいものを目指しなさい、ということになる。

つまりライターに求められるのは「人と違うことを書く」ことであり、皆が興味のある(マーケットの大きい)領域で「珍しい」ことを書けば、人気記事を書ける。


なお、個人的には、この「風姿花伝」は、最古のコンテンツ分析に関する書籍であり、現在でも十分、コンテンツメーカーには役に立つ内容を含んでいる。
「ライター」を志すのであれば、ぜひ読んでおくべきだ。

その反面、「つまらない記事」は皆似ている。

定型的な構成、同じようなテーマ、使い古された議論、どこかで見た主張。退屈な結論……。
読者が「花」がないなあ……と、認識する所以は、そこにある。

具体的には以下だ。


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