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音楽を聴くヒマがないくらい耳を使う

すでに知ってる人も多い、音声メディアがとってもアツイ。
目を使って映像、文字を見るのではなく、
耳を使って声を聞く、音で情報を集め、学習をする。
(僕はvoicyとyoutube)

しかも我が生業の写真とものすごく相性がよくって、
夜な夜な写真の編集をしながらずっと音声を聞いている。
いつからか、ひとりのときはもう音声しか聞いていない。

料理をしながら、ジョギングしながら、編集をしながら。
(ご飯を作るときはだいたい子守り兼なので、イヤホン片耳で音声を聞き、もう片方で子どもの声を聞いて、っていうのをやってたけどなんだか寂しいヤツなのでそれはもうしない)


すごいもので、音声が耳に入ってきていても、目で見ている写真とはぶつからない。早ければ1,2秒に1枚、一晩で数千枚の写真をセレクト、編集していくんだけど、ぶつかる気配もない。


これが、目で文字を書いたり読んだりするときには完全にぶつかって、音声が全く入ってこない。つまり頭に「文字」を出し入れするのは1回線しかない、とうことなんだな。

何度もいっちゃうけど、その点写真編集はすこぶる相性がいいわけです。
動画編集なら音も大事だからそうもいかないんだろう。
このへんがこの数ヶ月での画期的な発見。
目と耳、2回線でタスクをこなせるのはとってもいい。


それと同時に”音声メモ”にも火がついた。音声というインプットの仕方を習得したので、インプットが増えた分、アウトプットも増やすことができる。そうだ、音声メモだ!

自分が今すべきこと、考えること、この内容について掘り下げる、こんな企画はどうだろう、ここはこう思っている、写真業界に対するアレコレ、iPhoneのメモ帳アプリに”Voice”というフォルダを作って、ひたすら音声メモを繰り返している。

これもまた写真を編集しながらできるし、スタッフが撮ってきた写真のヨシアシを細かく分析して評価することや、女性スタッフがしてくれるセレクトのヨシアシ、考え方の確立を、しっかり記録していくのに重宝する。

少し前までは内容ひとつごとにひとつのメモにしていたけど、薄い内容、思ったより掘り下げれなかった内容が邪魔になってしまうことが気になり、最近は

「ごがつここのかメモ、かいぎょう、かぎかっこ、ポスティングについて、かぎかっことじる」

”5月9日メモ
「ポスティングについて」”

というふうに、その日のメモは全て同じひとつのメモに入れていくことにしたら、なかなか愛おしくなった。カギカッコでタイトルをつけていくと分かりやすくていい。多いときで5,000文字以上いくことがあって、これは移動が多い日だった。

と、最近のマイブームを書いてみたわけですが、ある程度インプットができてメモ帳にアウトプットができてきたときに、行き詰まりを感じました。

さらに、noteに書くつもりでメモをためているというのに、いざパソコンに向かうと「こんな内容恥ずかしいワ!」となる。結局、自己満足レベルでしかない。

行き詰まりを感じたのは、おそらくこれまでの自分、最近の自分、のことをある程度放出できたからだと思う。自分のことが整理できた気がして、気持ちはいい。でも、このインしたことを全然アウトできていない感は、なかなか情けなくてもどかしい。あれ、なに?この何も生まれてない感じ。

要は、頭の中に入れて入れて入れて、それを書いて書いて書いて、やっているのはそれだけで結局実行が少ないからだ。そう、入れたモノは出して、出したモノは実行して、が大事。なんだと思う。(先日、意識して実行を優先したら気持ちが晴れた。)

当たり前のことを長々とごめんなさい。

株式会社フーシャ
山中優

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