撮ることよりも作ること。
明けましておめでとうございます。
自分側はそうでもないのに妻側は親族が多いので、新年初日は妻の実家で大集合、翌日の今日は妻のお母さんの実家で大集合。
子どもも20人近くいて、小2の少年と長々キャッチボールをして、そのハイレベルさに脱帽でした。
こうして家族のコミュニティにひたりながら、これまで僕は「撮る側目線」で全てを見ていたように思うけど、リビングに貼られたり置かれたりの家族写真を見て、仏間の天井近くに並ぶ先祖代々の遺影を見て、
まさしく「撮る」より「残す」だなあと、まだそれほど深く考えれてないけど、とにかく撮ることより残すことに今年のキーがあるような気がしてきています。
ここで言う「残す」というのは、いかに「モノで届けれる」か。
僕たちは年間の9割を撮る、それを納品するために編集する、という作業に費やしているけども、
これを見直すべきかもしれない。
発想の転換というのは大好きで、いやいやそれはないだろう、ということも、いざ実行してみると半年後にはなんで今までやってなかったんだろう、と思い知らされることは多々あります。
自分の性格上、めちゃくちゃ撮ってめちゃくちゃ多い数をお届けしたい、という固定観念が強いけど、
そこをなんとか弱めて、1割だった「作る」を3,4割に持っていけたら。
断腸の思いになりそうだけど、撮る人が急激に増えた今、撮る人を選ぶ時代は過ぎた気がしていて、「何が届けられるか」というところに、分かりやすさがある気がします、というか、ありますね。
撮る技術は当然持つべきとして、作る技術、届ける技術を養いたい。写真を撮ることが好きすぎるあまり、おろそかにしていた部分です。
しかし、写真を撮ることよりさらに、写真で誰かに喜んでもらえることが好きで、嬉しいんだ。この初心を忘れてはならない。
よし、舵を切ろう。
なつかしい、noteを書くことで書きながら方向性が決まってくやつ。
ハイウエストの息子、父にも母にもあんま似てないと思ってたけど、父(自分)の実家で写真を見ていると、わりと小さい頃の自分に似てる気がした。
ハイウエストの自分。
3日と4日、特に予定がないのでどこか遠くへ行こうかと話してるけど、どうなるやら。
滋賀の田村神社という厄払いで有名らしい神社へ行くことになりそうな。
たまりにたまった編集を2時で切り上げて、なんだかんだ1時間くらいかかってしまったnoteでした。
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