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ラベリングできる人間に嫉妬をしている。


私は寝ることがたまらなく好きだ。
恋人も「たしかに、澄はよく寝ているイメージがある」と言っている。

なぜ寝ることが好きなのか、
他の誰かよりも好きが大きいのか、
インターネットで調べてみることにした。

そんなことをしなくても、好きなら好きでいいじゃんと思われるかもしれないが、
調べずにはいられなかった。

調べた結果、やはり
「寝るのが好きな人」という部類はいるらしく、
ストレスを忘れるため、などの考察がなされていた。

さっきも書いたように、
好きなら好きでいいじゃんと思うのだが、
調べずにはいられなかった理由。

それは、誰か他の人に
自分をラベリングしてもらいたかったからなのかもしれないと、自分では考えている。

ラベリング。
ものを分類した時、それに名前をつけること。

本来の意味とは少しずれるのかな?
私は心理学を学んだときに
上記のように習い記憶した覚えがある。


私は、ラベリングを自分自身にすることが苦手である。
その一方で、ラベリングをできる人間が嫌いである。

同級生や先輩に、自分をラベリングできる人がいる。
その人たちが自分について、「こういうところがあって、だから私は〜なんだ」とか言って分析している姿を見ると、妬ましくなる。

なってしまう。

なんでだろうとふと考えて、
私もラベリングをして自分のことを周りに一言で伝えたいのかなと思うことがある。

嫉妬をするということは、
自分もそうなりたいという思いが隠れているからだと私は考えている。


時々、「嫉妬は悪だ。してはいけない」という人がいる。
でも私は、全然問題ないと思う。
たしかに、嫉妬をして相手を攻撃することは良くない。許されない。
でも嫉妬を嫉妬と認識し、そこから自分がどうなりたいのか分析するにはもってこいの大切の感情だと思っている。

だから、嫉妬、思う存分すればいいと思う。

話は逸れたが、

私はもしかして、ラベリングしてそれを同級生や先輩との会話に挟み込みたいのかもしれない。

それもなぜなんだろうと探ってみて、
自分の輪郭がどこかぼやけているように
私は認識しているからかもしれないことに行き着いた。

自分がどんな人間なのか、相手に伝えたい。
でも、自分にどんなラベルを貼ればいいのか分かっていないから、伝えられない。

そこにジレンマを感じているのかもしれない。

だからとにかく私は今、
ラベリングできる人間が苦手だ。


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