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伊勢丹とパワースポット

久しぶりに行く新宿伊勢丹は、全部が宝箱のようで、普段は「パワースポット」という言葉に興味がない自分が「ここは…東京のパワースポットだ」とふと思ってしまうようなエネルギーに満ちていた。

久しぶりの伊勢丹で久しぶりの友人に会った。
三人で年に1,2回おしゃべりしてご飯食べて帰る、という仲の友達で、元は私が作っていたマンガ家HPでの交流から仲良くなった、すこし年上の女友達。

友達の旦那さんが去年亡くなったと知ったのは、年末にもらった欠礼はがきでだった。

「哀しみが深く、連絡が遅れてごめん」と書いてあって、目の前が真っ暗になった。旦那さんはまだ40代で、お子さんもいるのに・・・と、旦那さんの無念と友達に降りかかった大変な喪失を思って泣いた。

旦那さんどうして亡くなったの。なにがあったの。

顛末を何も知らないので、聴きたい気持ちはあるけど、まだ乾いていないであろう傷に触れることはどうあってもできない。

「◯◯さん、ご飯行こうよね。気が向いたら。どこでも行くよ。」

とだけ、いつも三人で使ってるLINEトークルームに送った。
そしたら間をおかず、「ご飯行きたいなー!」とその友達が送り返してきてくれた。

そして年が明けてか伊勢丹のカフェでランチ。

なんでもない話して、たくさんドジな話して、たくさんお互いの仕事の大変な話して、笑ってご飯食べて、
「ハンバーグと、トッピング全部のせ」を頼んだのは私だけだったのに、オーダーミスで三人ともトッピング全部のせ、が来て笑ったり、サダハルアオキのミニケーキ6個ワンプレートを「シェアするならケーキを3等分しますか?」と言ってくれる店員さんに「大の大人ですがジャンケンで決めるので大丈夫です」と言って笑われたり。

とにかく家族の話にならないように努めていた。私ももう一人の友達も。
決して、誰かの「本当に辛いこと」にぐいっと踏み込んではいけないということに、気がついたのはいつなのか。
わからないけど、自分がこれまで飲み込まれた辛いことを思い返せば「ねえねえあの時どうだったの?」と言われたくないことだけはとてもよくわかってた。
自分の知りたい気持ちなどどうだっていいのだ。
友人の気持ちが今どうなっているのか、それだけが大事なのだ。

「主人が亡くなってね、色々大変だったんだけどね、ほんとパスワードだけはどうにかしとけばよかったって思ったのよ」

ふと友達が話し始めてくれた。

急に倒れた旦那さんのその日のことを。

「脳内出血で病院に運びこまれて、これはやばいっていう状況で、これからの色んな手続きとか整理の可能性もあるから、パソコンのパスワードを教えておいてもらわないとと思ったんだけど、間に合わなくて。そこからロックとの戦いよ。だからほんとに、親でもなんでも、パスワードを押さえておかないとダメ。保険とか、預金がどこにどれだけあるのかとか、スマホのパスワードとかも全部生きてるうちに「死んだら開けてくれ箱」を作って書いておくべきだよ!みんな」

おお・・・・。
おおお・・・・
金の話だ。パスワードの話だ。

なんてクレバーな友人だろうか。

大事な人が亡くなった、という泣いちゃいそうな話題を、湿っぽくなるしかない話を、そのまま差し出さずに、だれにでも起こりうる「近親者の死の際の金とパスワード問題」として、ライフハックとして話題に出してくれた。

聞く側の私たちにもそんな備えはもちろんなく、「そういえば、私が死んでも、誰もどこになにかあるかわからないわ…今のままでは…」「夫のも全然わかんないわ…」「親のもわからんわ…」とものすごく啓蒙された。

「でしょー?」と友達は困ったような納得したような顔して笑う。

結局4時間もいたカフェ。
その間に持ってきていたちはやふる121首の原稿の手直しをしたり、担当さんに原稿取りにきてもらったり、担当さんの昔いた部署の女のツンデレプレッシャーの話を三人で目を丸くして聞いたり、暮れ行く伊勢丹で別れる頃には私はまた友達2人をとても好きになっていた。

金とパスワードの話に乗せて旦那さんのこと話してくれた友達も、
相手が話したくなるまで根気強く「いつでも聞くよ」という態度だけ見せて いつも通り楽しい話ばかりしてくれた友達も、
まだまだ長く友達でいられると思って、伊勢丹のたくさん宝石が並ぶショーケースの前で別れた。

伊勢丹はパワースポットだ。
冬なのにトルコ石のピアスを買って帰って、今日はわたしの両耳で光ってる。

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