優しい看護師でいるためには強くならなければならないこの時代に憂いを感じる

看護師の業務をしているはずなのに
なぜ、業務のみこなしている看護師と
看護を感じる看護師に分かれるのか?

どうもこんばんわ、わたしです。

先日、10年来の同期のおる部署にお助けマンに行ってきました。
「帰れない」と撃沈してたスタッフも
「喉が乾いた」ってかぴかぴになったおじいちゃんも
みんな笑顔で前向きになりました!
おじいちゃんの口もピッカピカー!

「ありがとう、これで早く帰れそう!」
「ありがとう、口すっきりしたよ!」

感謝されるためにやっている訳ではないけど、
一人でも余裕があるスタッフがいるだけで、こんなにも空気が変わるのかと思うと、わたしはやっぱりこの立ち位置がやりがいあるなぁってここ数年ずっと思ってた。

派遣や応援って、まだまだ風当りが強い面もあると思う。
私がフリーを始めた7年前。
「困っているところを手伝いにいく」
自分に合ってると思っていたけど応援なんて働き方は全く認知されていなくて。
実際に私が応援で行った先の地元民が集まる研修で、
「そういう働き方はどうかとおもう」と看護部長直々の挨拶でまっすぐ目を見て言われたこともある。
賛否両論あるのは覚悟している。
そのうえで思うけど、人それぞれ自分に合った働き方があると思う。

もちろん

長く地に足をつけ一か所で働くことで、自信をもって指導に当たったり自分の看護ができるメリットは大きい。
わたしはちょろちょろしていたので、そこは弱い部分だと自覚はしている。
強くならないと、自信がないと、即行動に移せない=自分の看護ができないことが多いんだって、新しい分野にチャレンジしたこの二年で痛感した。

でも、たくさんの部署に行き、たくさんの看護を知り、たくさんの看護師に出会ったことで得たものは大きい。
そもそもわたしがこんなにアグレッシブにたくさんの分野を勉強するようになったのも、救急を教えてくれた恩師の影響が大きい。
そして、またゼロからのスタートを経験したことで人の痛みもわかるようになった。

「できなかったことがないから、できない人の気持ちがわからない」

といった人がいたけど、かっこよくもなんともない。
世の中知らないことはたくさんあって、それを知らない時点で残念だもの。
知らないことがあるから、不安になる。
不安が大きい人は、計り知れないほどたくさんの選択肢を持っている人なんだなって思う。

10年、20年先の病院のことを考えると、効率重視なのか人間性重視なのかで随分患者層や病院の在り方が変わるんじゃないかと予想してる。
在宅メインで、スタッフを選べる時代が、くるんじゃないかなーとか。

穏やかな人が職を追われ、
強い人が生き残る
そんな構図もいつまで続くのやら。

志を持った素敵な看護師さんが
看護のない業務重視の人たちに潰されて
やめてしまったり自殺してしまったり
「看護師なんかやるんじゃなかった」
って思ったり

そんなの悲しいなって気持ちが大きくなった。

「弱かった」じゃない
ただ優しいだけなんだよなーって。

やりたい看護を目指すには、
心の強さが大事なことを学んだ。
自信がないと強くあるのは難しかった。
そこまで行く前に心折れちゃう人たくさんいると思う。

そういう業務や、回せっていう職場のプレッシャーに追われて、
本来持っている優しさ発揮できない看護師さんや
いずれなるであろう素敵な看護師さんの卵を守りたいなーって最近強く思う。

自分は決して立派なもんじゃないけど
今までつらかったこと嬉しかったこと乗り越えてきたこと、たくさん経験してきたから。

出会った全ての人からもらったたくさんの経験全部糧にして
看護師から少し離れた目線で医療を見てみようと思っています。

今まで病院で行っていた1対1の関わりから、
ゆくゆくは1対∞を対象にして、
世界を癒していきたいと思います。

もはや医療もビジネス。

気持ちのない、業務しかできないいじわるな看護師なんて
いつかロボットに仕事とられてしまえ。
もう看護師という資格を一つで分類できる時代は終わったと思ってる。
どうして一つで収まってるのかが私にはわからない。
こんなにスタンスが違うのに。

あなたの優しい気持ちは、ちゃんと商売道具になるんだよ?
優しい、丁寧な対応は、絶対に相手に伝わってる。
それを、伝えたいんだ。

そういう看護が評価される社会をつくるにはどうしたらいいか、
最近そんなことばかり、考えてる。