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2024年、ゆらゆらぴよん|2024.1.2

あけましておめでとうございます🎍
初詣は実家近くの杭全神社に行ってきました。

2024年1月1日夜の杭全神社

おみくじは半凶だったので神社にしっかり括りつけて厄は全部置いてきました。
ということで2023年の振り返りと2024年にむけて!
文章だけだと目が疲れちゃうので、(需要ないのはしってる)わたしの2023年の写真つきです。

◇◇◇

2023年、とっとこハム太郎

2023年は、色んなことをやってみた1年だった。こんな場所がほしい、これをやってみたい、みたいな理想とワクワクを、幼児的万能感のような感覚(自分たちならなんでもできるんじゃないかと思っていた)のもと、形にしようと動き回っていた。

そうすると、8月くらいまでにはエネルギーを使い果たし9月から12月にかけては正直、全然元気がなかった。
解剖実習が始まったっていうのもあるけど、
テンション高めで動き回りすぎて、うまくいかないと認めたときに急に燃料切れしたんだろう。

動き回るのも、小さな子どもがボールプールを走り回るように足がズボズボハマったり、お兄ちゃんの所に行こうとしたのに違うことに気をとられてそっちに必死だったり、非効率で手さぐりで、転びまくりだった。
あ〜それか、ハムスターが走り回ってぐるぐるしてる感じかなあ。
よく分からずケージ内を猛ダッシュで走り回り、壁にぶつかり、回し車で前に進むわけじゃないのにぐるぐる回し、たまに回し車といっしょに自分ごと回る…。
とても楽しいけれど、シンプルに体力を使うかんじ。

ここ3、4ヶ月は、それに疲れてぐでんとのびて、押し寄せる現実と問いをなんとかするためにベッドに寝転び、ずっとモヤモヤの向くままネットサーフィンし、突発的に思ったことをノートに書いていた。
図書館で読めもしないのに本を借りるだけ借りた。

ちなみに2023年のラインナップと思ったことメモ☟


なんだかしばらくは視界が狭まっていて、
自分のうまくいかなさとモヤモヤでせいいっぱいだった。
どこかのイベントとかに行っても全然周りも見えてないし、なんにも入ってこないし、ただでさえ話すのは苦手なのにさらに閉じていた。
もともともあるけど、あまりにコミュ障で無愛想すぎた。

香川『コーヒーサロン 皇帝』にて


だから新年、このままなんかナナメ下向きながら迎えるのかなあ…とか思ってたら、
全然そんなことなかった。

日付けが変わった瞬間に、今年の目標が決まり、急に視界に光がさしてぼわ〜と白くなってひらけて、
昨年いろいろあったけど楽しかった〜今年も楽しも〜!ぴよーん!ってなってた。

ぴよーん


なんて、単純なんだ、自分。

ほかの動物だったら年が変わる瞬間なんて、なんの変わり映えもない日々の一部でしかないだろう。
ほかの国だったらまだカウントダウン待ちだ。
なんでも特別な意味をつけて好きなように思い込むことが、人生を楽しみ幸せに生きる秘訣なのかもしれない。というかそれが人生なんだろうか。

全力でモラトリアムを延ばし続けている22歳だけど、大学院に行かない現役だったらもう次は就職の歳だった。幼児的万能感とか言ってる場合じゃない。
(万能感を持つことを否定しているわけではないです。それがないと達成できないこともたくさんあるはず。)
その上ちゃんと失敗して沈んで思春期みたいになり迷って考えて、と子どもの成長を大学生になってからなぞっている自分にあきれつつ、前に進んでいるのかもしれない、と自分を肯定してみる。

就職する同級生たちは、モラトリアムを乗り越えたんだろうか。モラトリアムを乗り越える感覚がまだ分からなくて、知りたい。
乗り越えた先にまた違う景色があるんだろうか。それとも、乗り越える時間の足りないままゆるっと“おとな”になるんだろうか。

2024年、ゆらゆらぴよん

2024年は、“何でも楽しむ”そしてそれを“表現する”ということを、存分にやってみたい。

キャンプででっかいシャボン玉づくり🫧
結局、好きな人たちと純粋に楽しもうと思って
企画する時が一番楽しかったな。

何でも存分に楽しむ、ってシンプルで当たり前だけどとても奥深いんじゃないかと思っている。

これまでは目的意識や理想が強いのもあって、ほかのものが全然見えてなかった。
「これを知りたいからここに行く」とか、「こうなんじゃないかと思って確かめに行く」みたいなのが強くて、
何か遠くのものを見てしまって、自分で周りの色んな面白さや可能性を視界から外してしまっていたと思う。

人は知的好奇心の道具じゃない

7月に、尊敬する人に「人は知的好奇心の道具じゃない」と言われたことを思い出す。
自分としてはそんなつもりもなくて、もっと仲良くなりたいと思っていた。(そもそもヘタすぎる。)
でもたぶん無意識的なのが余計に、だったんだろうと思う。
これまで質問を多くしがちのコミュニケーションだったので、数ヶ月はやり方が分からなくなっていて、外での口数もだいぶ減っていた。

おそらくこういう時、自己開示や自分の考えを話しながら質問する、というのが順当なんだろう。わたしをそこから阻むのは、基本的に自分の考えが常にまとまっていないということと、自分が何を言っても受け入れてくれる、と分かっている相手以外への自己開示が怖いという感情かなと思う。

だから、純粋に楽しいとか、いいなと思っていることの方が多いのに全然リアクションできなかったり、自分の身を守るように何も言わなかったり、文句や批評を言ってしまっていることが多い。

でもまとまらなくても、自分をさらけ出す必要もないのかもしれない。

目の前のことに対してその時感じたことを、中途半端なまま言語化して、疑問に思ったことをそのまま口に出してみる。
思ったことを行動にうつしたり、アイデアを考えたりする。
それを急にするのは難しいから、普段からノートに書き留めたり、本を読んだり勉強したりする。
“何でも楽しむ”というのはその過程すべてなのかなと思う。

なぜ勉強するのか?

これを目標にすることに至ったのは、
「なぜ勉強するのか?」という問いだった。
これまで、受験勉強しかしたことがなくて、勉強というものがどういうものか、あんまりよく分かってなかった。

2023年で出た今のところの結論は、
「世界と自分の見え方の視点を増やすため」だった。
また、その過程が“生きる”という営みなのかなとも思った。

勉強は“何でも楽しむ”ために必要だということを、最近感じている。
知識、経験の積み重ねは自分の感じることをより鮮明にしてくれる。

私にとって一番難しいのはそれを“表現する”ことだ。楽しむことはやろうと思えばそこそこできるとは思うけれど、如何せん言葉が出てくるのが遅いし、素直になれない。
そこでもやっぱり勉強が必要で、勉強は言語化を助けてくれる。ちょうどいい時にちょうどいい本が、図書館でたくさん借りた本の中に入り込んでいて、これ!!ってなることは時々ある。あの感覚を増やしたい。

恋人や特に親しい人には、そのまま自然体を出せばいいのに、と言われることが多い。
コミュニケーションの方法として、文章はまだとっつきやすいので(それでも公開するとなると気軽にはできないのと、1往復以上になると考え直すのに時間がかかるのが問題だけど)、すこしずつ慣れていけたらいいなと思う。

時の流れにゆらゆら

あとひとつ、“タイミング”を掴むのが苦手だと、こちらも尊敬する先輩から指摘された。
その通りだと思う。それにわたしが人にご迷惑をおかけしてるのはたいてい時間、タイミングだ。

わたしのこれまた尊敬する人も、“よばれた”という表現をする。
「どうしてその寺に行こうと思ったの?」と聞くと、「よばれた」と。
多分本当に、それ以上でもそれ以下でもなく、そういうタイミングだったんだろう。

遅刻しない、とか提出期限に余裕を持つ、とかを目標にするのは正直厳しい。(ごめんなさい、改善しないととは思ってます。)

けど、これを今しないといけないタイミング、時の流れ、時代の流れ、というものはあるというのはとても分かる。
なので、今年は“タイミング”もキーワードにしたい。

大阪・中崎町の路地裏で

2024年は、ゆらゆらと、特に目的を持ちすぎずに来たるべきタイミングでその場を楽しみ、考え、勉強し、ぴよんと自然体で表現できるようになりたい。

あと、せっかくこの学年に学外でも学内でも友だちが増えたので本当に進級したい…。

moonlit準備風景

◇◇◇

来週から毎週試験&再試験ラッシュというのに、1日かけてこれを書いている。
けど、書きたいという、それこそタイミングを逃すと下書きが溜まっていってしまうだけなんだよなあ。
でもこれを書き終われば勉強するべきタイミングだろうからがんばる!(いつまで続くかな〜といつも言われるけど😇)
勉強をする理由もできたことだし。

これまでは、何度も何度も読み返して、点の位置とか一つ一つの表現とか気にしながら書いた文章しか投稿できていなかったけど、
今回は思ったこと垂れ流しで一方通行で書ききることができた。
次からのハードルが少し下がるので、これもいい一歩だったんじゃないかと思う。
マガジンのところに『たれ流しメモちゃんたち』を作ったので、これまでよりは気軽に書けるかな。

昨年に引き続き各方面にご迷惑をおかけするかもしれませんが、
2024年も何卒よろしくお願いします。

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