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高嶋友奈と奉火祭

初めまして。
今回から、説明の長い考察は、noteを使用して解説していきます。

最初は、高嶋友奈に関する考察です。
多分、殆どが高嶋友奈関係になる気がする…。
彼女は、惜しくも西暦最後の交戦で、命を失いました。(実際は生体反応が消失した)

その後、奉火祭で、天の神との和睦を行い、一時の平和が訪れました。

烏丸久美子は、この事を横手茉莉報告すると、以下の言葉を投げました。

ゆうちゃんは、奉火祭を行うまでの時間稼ぎとして死んだんですか?
「勇者史外典 下」(p227)

自分と同じ考えですね…。

今回は、『奉火祭が早く実行されれば、高嶋友奈は生存できたのか』という考察です。

結論から言うと、個人的には不可能と考えています。

まず、奉火祭の説明です。

六人の巫女を犠牲にし、赦しを乞う言葉を天に届ける。人類は敗北を認め、これ以上の攻撃をやめてもらおうという儀式だ。
「勇者史外典 上」(p140)

この奉火祭を受理する条件で、天の神から次の条件を課されました。

人間が四国の外に出ないことと、勇者が戦う力を放棄することを条件に、これ以上人間を攻撃することをやめるという。
「勇者史外典 上」(p149)

この勇者が戦う力は、神から授かったものであり、実質神の力を放棄するという意味です。

勇者とは、土地神から力を授かり、バーテックスに対抗し得る者のことである。
『(小説)乃木若葉は勇者である 上』(p026)

本来なら、勇者システムを手放すことで、神の力を放棄する事ができます。

しかし、高嶋友奈は神の力を完全に放棄する事ができない理由があります。

それは、高嶋友奈が自分の事を話している時です。

神社の境内ってね、かくれんぼにぴったりなんだ。隠れる場所がいっぱいあって。でも、入ったらいけないところに入って、神主さんから怒られたりもしたっけ
『(小説)乃木若葉は勇者である 下』(p170)
だから私にとって、神社とか神主さんってすごく身近で……そのせいで、大社の雰囲気とか、そういうのをみんなより自然に受け入れられてるのかも
『(小説)乃木若葉は勇者である 下』(p170)

上記の2点から、高嶋友奈は神社っ子だとわかります。
この後に上里ひなたが説明してる。

しかし、その後上里ひなたは、『感染呪術』を巫女の教養として教わったことを思い出しました。

内容は

清浄、穢れ、神威、神秘など、そういった目に見えないものは、接触によって人の身に蓄積される。文化人類学では、『感染呪術』と呼ばれる、一度触れ合ったものは離れた後も影響し合うという法則がある。その法則も、接触によって目に見えない何かが人の身に蓄積されるからこそだ。
『(小説)乃木若葉は勇者である 下』(p170)

この『感染呪術』を、高嶋友奈の幼少期の思い出と照らし合わせると、勇者になる前から、彼女の身には神の力が宿っていることがわかります。
これも上里ひなたが説明している。

つまり、高嶋友奈は乃木若葉と同じように、勇者システムを棄てても、彼女自身に宿った神の力は、離れた後も影響し合うという法則がある為、神の力を放棄できないということです。

また、仮に勇者にならなくても、高嶋友奈自身に神の力が残っている時点で、天の神は奉火祭を受理することはないです。


以上です。
もし、今回の内容で誤りの部分などを発見された場合、コメント等でお願いします。
今後の考察や、意見の衝突等を防ぐ事につながります。

ありがとうございました。

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