見出し画像

現実化の仕組みと、所有しているという幻想

この間の記事でも書きましたが、専業主婦の私は、自分に直接お金が入ってきたら罪悪感なく自分が納得いくようにお金が使えるのになぁって思っていて、少し前になんとか自分が楽しいと思うことをやってお金が入ってくるということを現実化出来ないかなって考えていたら守護霊様に怒られました。
そもそも楽しい事をやる事とお金が入ってくるということは全く関係性がない。
純粋に楽しむということを大切にしなさいと。
働くこととお金が入ってくることも、働いたからお金をもらっていると思っているけど、本当は関係ないそうです。
宇宙から恵みをもらう時、働いてお金をもらうという形で恵みをもらっているように見せられていることもあれば、誰かから何かをもらうという形の時もあったり、親からの援助という形だったり。
だから、同じように働いてお金をもらっていても、収入はあるのになぜかいつも出費が発生してカツカツの生活の人もいます。
それは自分が今これだけ受け取れますという恵みを、この現実世界に違和感がないようにいろんなストーリーで形になって私達の前に表現されているからだそうです。
そして所有するという考えも違うそうです。
私達は所有していると思っているけれど、本当は何も所有していないそうです。
それは目の前に映し出されている不確かな物質を所有していると思い込んでいて、それを所有し続けることをコントロール出来ていると思っているけど、どれだけ注意を払っていても、無くなる時には無くなるし、ずっとある時はあるし、落として無くしたり、災害で壊れたり、売らないといけなくなったり、これもいろんなストーリーで存在し続けたり無くなったりを現実世界で表現しています。
私達はこの現実世界に映し出されているものに対して所有するという意識を持ってしまったので、足りなくなるかもという不安や恐怖が生まれ、足りないという現実を作ってしまうことにもなりました。
となりの家の庭のバラは、私の家の庭のバラじゃないけど、美しい花は見ることが出来るし香りも楽しめます。
勝手に境界線を決めているだけで、目の前に見える世界は全部自分の世界なのです。
だからといって全部自分の世界だから、となりの家の庭のバラを自分が好きなチューリップに植え替えたりしないでくださいね(笑)
現実化の本体は見えない領域なので、現実世界で変えようとするのではなく、バラじゃなくてチューリップだったらもっといいのになぁって思って、その思考が現実化に成功したら、ある日となりの人が「実は最近チューリップにハマっちゃってね~」と言って、バラをチューリップに植え替えてくれるかもしれません。
例えば東京に住んでいる人が北海道の◯◯ラーメンが食べたいと思ったとします。
食べたいと思った時点で、そのラーメンを食べた時の匂いや湯気やスープの旨味や麺の感じを想像していると思います。もうその口になってしまったーってよく言いますよね。
この時点で見えない領域ではもうこの現実が発生しています。
後は宇宙のシステムが現実世界に形にする為にいろんなストーリーを作成します。
仕事で急に北海道に出張になってラーメンを食べることが出来た、たまたま通りかかった商業施設のイベントにそのラーメン店が出店していた、東京にそのラーメン店が出店することになった、商店街のくじ引きで北海道旅行が当たってラーメンを食べることが出来た、など。
今の私達は、このストーリー作成中にストーリーを妨害する意識を発生させがちで、自ら達成する為に努力しようとしたり、がんばらないといけないと思い込んでいたり、無理かもと不安になったり、そういうエネルギーがストーリー作成に影響を与えてしまい、なかなか現実化しなかったり、苦しい現実になったりするようです。
最近、些細なことで、これ食べたいなぁとか、こんな感じのがやりたいなぁとか、ここに行ってみたいなぁとか、思って数日後にその現実がやってくるということがいっぱい起こるようになってきました。
まだ大きな事は、今までのこうしないと出来ないとか古い意識が邪魔をしているみたいでなかなか現実化しません。
でも、昨日なんか府に落ちたというか、小さいことだけど現実化出来ているのをちょっと実感してきて、あれ?あれ?もしかして、もしかして、これ本当かも?ってなっています。
この実感を積み重ねていけば、大きな事も現実化していける気がしてきました。

そしてこの世界は不確かな仮想現実ですが、その現実を味わった時の感情や、人と人との心の繋がりやあたたかさ、それは本物で大切な宝物で、この身体を脱いだ時に残るものが本物なんだと思います。
これからもっとその大切な宝物を感じる為に、魂が望む現実を体験していきたいです。




アトピーと花粉症の症状から解放された私の体験を本にしました。

ペンネームを「きらきらキノコ」にしたのは、キノコの本体である微生物のおかげで森は存在出来ているのだそうで、この美しい地球の自然も私達の身体も微生物との共存で、おかげさまで生きることが出来ていること、その感謝を込めて。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?