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ミュンヘン・ザルツブルク 初!ほぼひとり旅


#わたしの旅行記
旅程:10月7日~12日、現地3泊。この旅行記を、海外旅行へ行きたいものの、なんとなくきっかけがなく行きそびれていらっしゃる方々へ贈ります。

出発の朝。すでに荷物を空港あてに送っていた私は、手持ちバッグのみの軽装で妻とともに成田空港へ向かっていた。荷物は軽装なので軽やかなはずだったが、妻が心配そうに「緊張してる?」と顔を覗く。どうやら口数が少ない私の様子にいつもとの違いを感じ取ったようだった。私の感覚ではそんなことも無いと思ってはいたが、そうか、まあ普段と違う雰囲気が出ていたのだろう。それが緊張というものだね。

 8月8日、新宿のとあるレストランで40年以上前に卒業した大学の同級生6人で久しぶりのランチ会。高層階、6人でちょうどいい広さの角の窓際の席で、眺めがとても良く、開放感抜群の気持ちいい場所だった。食事中、ランチ会の幹事をしてくれたA君が、「言ってなかったけど10月にヨーロッパに一人旅してくる」と言った。もう2月に予約してあったのだと言う。ほかの5人は皆、口々に「いいじゃんか」などと共にはしゃいだ。フランクフルト、ニュルンベルク、プラハ、ミュンヘン、ザルツブルクなどに行く予定だという。そこで、じゃあチューリッヒのC子にも会えるんじゃないか、という話になり、是非是非会って来いよ大学卒業以来会ってないだろ。などと話が盛り上がってランチ会は終了した。

 ところが、その後、A君から思いもよらない提案が、「B(私)、お前も行かないか?」と。

私には思ってもみなかった提案だった。純粋に旅行を楽しんでもらえたら良かったし、C子に会えたらなお楽しいじゃん、と思っていただけだった。

後から聞いたが、ランチ会メンバーのD子がとても喜んでC子との再会にも背中を押してくれたのだという。A君もそんな流れを受け入れてC子の予定を確認(会わないともラインでつながってはいた)、晴れて再会出来る見通しが立ったということだった。

そして、旅のお誘いという思いがけない提案が私にも。

それからA君に正式に行くと伝えたのは4日後の12日土曜日だった。その間、一人旅の不安も大きかったし、妻にも了解を取らないといけないし、などなど、思考をフル回転させていた。

無事妻も了解してくれた後はA君のリードの通りに安い航空券を求めて探し申し込みを。宿はA君がすでに自分用に取っていたホテルのホームページを開いて直接予約、主要な電車もバスも確定出来るところは予約し、準備を重ねた。15年前に買ったスーツケースがやっと2度目の登場機会が来た。航空会社、ドイツの電車、バス、宿、その他いくつものアプリをスマホにも入れた。今の世の中、すこぶる便利だなあと、改めて感心もし、その気になれば日本にいながらにしてなんでも準備出来ちゃうんだ、これまで一度もやろうとしてなかっただけで、実は私にでも出来るレベルのことなんだと知った。当然大方のアプリはドイツ語と英語だけだったが、翻訳機能を使えば、ちょっとおかしな日本語訳もあるけど、まずちんぷんかんぷんということは無かった。電車なども路線を調べるのに使う日本のアプリと同じで、発駅、着駅、日時、などを入れればすぐに調べることが出来、切符も買える。細かいところとしては、指定として取るか、自由席にして乗った時に空いている席を探すのかや、高齢者向けの割引があるのか、フリーパスがお得か、などは確かにあるけれど。また、発車時刻によって金額がかなり違っていたのも日本との違いだった(同じ路線を3社くらいの電車が走っていて所要時間もまちまちなので、ってことかな)。ホテルも直接予約し、支払いはクレカで完了。後で知ったが、最近のツアーには航空チケット、宿代、主要な移動電車代、などのみ設定されていて他はすべて自前で、というほぼ個人旅行、というものも商品としてあるのですね。(私の知識不足か)

 それからは英会話の練習を欠かさなかった。空港でのチェックイン、飛行機内でのやりとり、ホテルでの会話、ネットで見ればいくつでも出てくる定番の英会話を覚えようとした。でも悲しいかな還暦越えの私は、一度聞いた言葉は即、頭からこぼれ落ちて自分のものにするまでには至らなかった。英会話の講師をしている後輩が、日本人はとかく全部を一気に話そうとする傾向がある、ひとつずつ進めればいいんだよ、分からなければ聞き返せばいいんだよ、と言われてすごく安心した。旅行の行程表も作った。これは国内旅行を含めていつも作っている。予定行程を作り、当日の変更などを含めて帰ってきてから結果行程を作って、両方を保存しておく。これがいわば私の癖みたいなものだった。これがあると、旅行をイメージ出来るし、その時にこれが必要だね、などと頭に浮かんできたりもするので。

準備中、A君からのアドバイスとして即実行したのはペットボトル。飲みかけのペットボトルは保安検査を通過できないが、中身がカラのボトルだけならOK。外国では自販機などほぼ無いので、ペットボトルに水を入れて持ち歩くのに、ボトルを持参するといい、ということだった。また中東での乗り継ぎが3時間以上あったが、そこでのシャワー利用でとても身体がリラックス出来てお勧めと言われて、結局ラウンジを利用できるカードを申し込んだ。そして飛行機内の座席は通路側を取った。外貨両替も手数料安めのところを選んで数万円分を用意した。細かなところまで準備してこれでいけそうだ、という気持ちまで持って行き、出発の日を迎えたのだった。

 成田には出発の17:00より3時間弱前に着いた。そこで遅い昼食を取った。これから存分にソーセージを食べるだろうから今は和食にしようと、結局うどんにした。空港の食事処は気のせいか街中よりも高額な気がした。外国人であふれていたそこは、すでに海外の値段だったのか。

食事後、第一ターミナル北ウイングで事前に配送しておいたスーツケースを受け取り、航空会社のカウンターに並んだ。すでにスマホでチェックインを済ませていたので、その列に並び、結構時間がかかりそうだと気をもみながら待ったが、思った以上にスムーズに順番がきた。いよいよ初めての英会話のスタート。Passportという単語を聴き取り、手渡す。まあ当たり前か。次にbaggageが聴こえたので荷物を載せる。そうして無事乗り継ぎ分も含めた紙のチケットを受け取り終了。荷物の重量は14キロ。行きは35キロまでOKとのことだったので、何だ軽いじゃん。

友人A君は先にドイツ入りしていたのだが、制限30キロで少しオーバーしたらしい。現地で私と一緒に飲もうと、ガラス瓶じゃないワインとウイスキー、おつまみなども持参していた。これが思惑通り現地では重宝した。私は、そのちょっとしたところが足りていない新米の旅人だったなあ。

保安検査場で妻と分かれて中へ。中に入ると、即ラウンジを探した。着くと5人ほどの列が出来ていた。こりゃどうしようか、とも思ったが、まあ時間もあるし待つか、と決めるとさほどの時間もかからず中に入ることが出来た。急遽作ったラウンジが利用できるカードの初利用だ。窓側の一人席に案内され、荷物を置いて飲み物コーナーへ向かう。ビールでもと思い紙コップをセットしてボタンを押す、・・・ところが・・・出ない。困っていると外国人がその隣のボタンだよと教えてくれた!とっさの言葉がサンキュウ、しか出ない!

しばし休憩して搭乗ゲートへ。いよいよ出発です。

中東の航空会社なので、機内放送はアラビア語と英語、ただ日本発の飛行機だからCAさんには日本人もいたし放送も日本語でもあった。やはりちょっと安心。

機内で持参したスリッパに履き替えて、出発後は座席にある画面の操作をしばし、日本のドラマもあったので、視聴してみたりした。

食事は2回出た。どういうわけか私には食事ワゴンが来る前に手持ちで食事が配られた。名前を言われ、イエスと。どうやら特別食らしかった。そこで気が付いた。航空会社のホームページで食事の設定もあったので、事前に選んでいたのだ。そこのプルダウンメニューには、とても細かく分かれたベジタリアン、ビーガン用の食事が並んでいた。私は特に何も制限等ないので、日本語訳で「当たり障りのない食事」という項目を選んだのだった。実はそれがベジタリアン用の中での話だったのだと気が付いた。要するに何も選ばなければごく普通の食事がサーブされたということのよう。なんだ、と思いながらもしかし、その後の食事のサーブシーンでやりとりを聞いていたら、何と何が選べるのか全く聞き取れなかった。よくある英会話のシーンでは肉か魚か、ビーフかチキンかなどの例ばかりだが、実際の機内では同じチキンで料理法が異なるものから選ぶ、などだったようで。チキンは聞き取れるが、その後が分からなかった。でも隣の外国人は普通に回答していた。当たり前だけど。

食事が一巡すると今度は飲み物だ。ここは聞き取れたよ。Red Wine,please。で、Is this free?と聞いたら、吹き出すように笑って、YesだかSureだか返してきた。当たり前か。

そのあとまた飲み物を聞かれてコーヒーを。例題ではコーヒーまでだが、実際はコーヒーと言った次にミルクは?砂糖は?などと質問が続く。やっぱネットでの例題だけではうまくいかないかあ。

食べてコーヒー飲んで、ビデオを見て、うつらうつらしながら、時折隣の席の外国人がトイレに立つ際に、自分も立ち上がって、彼が帰ってくるまで通路に立って、屈伸をしたり身体を動かしてエコノミークラス症候群に注意したりもした。やはり自分がトイレに行く時を考えるとA君アドバイスの通路側の席にして良かったな。

日本から11時間あまりで乗り継ぎ地へ到着。

後からA君に聞いたが、空港の出入国では、機械でパスポートを読み取り、顔認証をしてゲートをくぐる、というパターンが最近多い。その際に人のいるカウンターへはよらずに済む。そうなるとパスポートにハンコが押されないのだという。事実私のパスポートには日本の出国が無く、ミュンヘンでの入国と出国のみのハンコしか無い。帰りもそうだった。なんだか残念だな。

乗り継ぎ地ではそこへ入国する訳ではないので、保安検査を再度受けて出国を待つことになる。再出発まで3時間30分あるので即ラウンジを探して入ったが、ここは大変混雑していた。中に入るとすぐにシャワー室へ直行。受付でノートに名前を書かされ、30分後にまた来い、という。機内で食事がすでに2回出ていたので、さしてお腹もすかず、水を飲みながら一服して時間を待った。15分ほどで状況を見ようと受付に行くと、ちょうど空いたようで順番を先にしてすぐに入れてくれた。中にはタオル洗面など一通りが備えてあった。服を脱いで奥のシャワー室へ。どでかいシャワーヘッドでさぞかしたっぷりお湯が出るだろうと思わせるが、ほんとにちょろちょろとしか出ない。あのシャワーヘッドの3割しか使ってないね。おまけに排水が悪くてお湯が床にたまり始めた、あと少しでシャワー室からあふれて着替えスペースに流れ出るぞと。

シャワーの後は歯を磨いて、またラウンジへ。水とサラダを少し食べてトイレへ行ってから搭乗口へ。ここのトイレは男子用小便器がなく、個室のみだったね。

搭乗口がまた遠くて一番端っこに。空港ってとても歩かされるところだよね。やはり時間的余裕が必須だね。今回の飛行機はすべてボーイング787が予定されていたが、乗り継ぎ地からミュンヘンまでは機材変更で少し古い機種だった。まあ仕方ないけど、良くあることらしい。

ここからは6時間15分。食事は1回(朝食になるのか?)。機内ではずっとうつらうつらしていた。西に行くから夜が長いんだよね。(よく、ヨーロッパ旅行では、行きの時差ぼけはさほどでもなく、帰りがきついことが多い、などと言われているようだが、私はどちらもさほどでもなかった。年齢的に体内時計が古くなってきているか・・・??)

日本を出発して20時間あまり。ようやく目的地ミュンヘンへ予定より少し早く着いた!!出発も到着もほぼ予定通りで助かったあ。

さあて、いよいよ入国審査。ユーロ圏内の人用とそれ以外用と分かれていた。それ以外用が圧倒的に長い列。待っている途中、腰に拳銃を下げている(と見えた)係員が一人増えて、私の前のアラブ人から後の人がその列へ行く事に。ラッキー!。ところがそのアラブ人の夫婦かな、すごく質問されて指紋も取られ泊まるところを聞かれ、その証明もさせられ、随分と長くかかった。やっと私の番。パスポートを手渡し、さてどんなことを聞かれるの?  しかし一切何も聞かれず終了。E君もそんな感じと言っていたが、本当にそうだった。会話の実践シーンもなくスーツケースを受け取りロビーへ。

ついにやってきました。初のドイツはミュンヘンです!!!

さてさて、ここからどこへ行けばいいの私?

空港からミュンヘン中央駅、そこからザルツブルクへ行ってE君と落ち合う予定。ミュンヘン中央駅までは電車やバスがあるが、スーツケースがあるので、バスにして日本で事前にチケットを購入していた。スマホのeチケット。

まずは乗り場探し。とにかく地図を見て場所を探そうと思って外へ出て、まあとりあえず一服と灰皿のあるところで一息入れていたら、なんとネットでバスチケットを買う際に画面で見たデザインそのもののバスが来るではないか!見るとバス停らしきものもその先にある。急いでそこへ走り、スマホの画面を運転手のおっちゃんに見せたら、おっちゃん、画面をピッってスキャンしてOKと言う。やったあ!  というわけで無事バスにも乗車。

乗客は私を入れて4人だけ。アウトバーンをガンガン走る。アウトバーンて速度無制限と聞いてたけど120キロの文字が。一応制限があるんだね。(後で聞いたら制限しているところもあるとのこと)高速降りてもうすぐミュンヘン中央駅、というところで問題発生!!通る予定だった道にポリツァイが。しばしおっちゃん、ポリツァイと会話。どうやらこの道からは駅に行けないとのこと。おっちゃん、ほかの道を探って行くも、またもダメ。苦笑いしながら、なんと来た道を引き返し始めた。どんどん駅から遠ざかっていく。おいおいまさか空港まで戻る気?などと思っていたら、途中でやっと駅方向へ。でもだいぶ西の方だけど・・・。そしてようやく予定と違う方向から駅までたどり着けた。予定は40分程度だったが、倍の時間がかかりましたとさ。おっちゃん、何事も無かったかのようにドアを開けた。

後でそうかと思ったのが、イスラエルとハマスの争いのことだった。私がミュンヘンに到着した日が、ハマスが攻撃を始めた日だった。日本にいるとテレビのニュースとしか受け止めないことが、ヨーロッパでは、おおげさかもしれないが自国の問題として受け止められている、ということのようだった。

おお、これがミュンヘン中央駅か。この日は日曜日、大勢の人が街に繰り出し、道のいたるところでタバコタバコ。室内はすべて禁煙だが街中はタバコだらけ。私もそこで一服して駅へ向かう。

大きな駅だ。

30番線くらいホームが並んでいる。改札は無く、入り口から少し行けばそのままホームだ。中から駅舎の入り口方向を見た時、昔の上野駅みたいだと思った。もちろんずっと大きいが。

ミュンヘンの朝は寒かった。シャツ1枚だったので、何か上に着ようと、駅のちょっと奥のところで荷物を開けて薄いダウンジャケットを引っ張り出し羽織った。これでよし。

さあ、まずは時刻を調べよう。DBのアプリを開き、調べる。あと少しで出発する電車があるが、慌てずその次の電車でいいやと思い、切符売り場へ。窓口でザルツブルクまで一人、と言ったつもり。スマホの画面を見せてこの時間の電車で、が通じた。国鉄以外にも運行会社が2つあるんだね。それのどちらかの電車だった。26ユーロと言われ、over65と言ったら24ユーロになった。特に証明書の提示は求められなかった。

出発まで30分位ある。切符を見るとなんだかよく分からない、時間も乗り場も書いてないような。心配になって切符売り場と別のインフォメーションへ。切符を見せると発車時刻と乗り場を教えてくれた。売り場で言われた内容と同じだったので安心して乗り場を探した。9番線だったかな。一番端にあるホームだった。出発まで20分位あって車内はガラガラ。もう少しぶらぶらしてからにしようと思っていると団体さん方が列をなしてこちらに向かってくる。こりゃ大変と思いすぐに乗車した。あっという間に人だらけになった。隣には同じ年齢位のドイツ人のおばさまが。近くではハングルが飛び交っていた。当然ですが韓国からも多くの人が旅行におでかけなのですね。

電車は結構スピードを出して突き進んだ。途中街から離れると、そこは一面緑豊かな牧草地の景色がずっとずっと続いた。どこまで行ってもマザー牧場だった。

一度車内でトイレに行った。入っているのかどうかが見ても分からない。少し待っていて、一旦自席へ戻り、次に停車した駅から再出発後にまた行ってみた。さっきとは違うランプだったので、やはりさっきは入っていたのだと思った。

11:42着予定が12分遅れてザルツブルク到着!

ホームでA君が待っていてくれた。ここで一人旅第一弾は終了した。あとは旅慣れた友人におんぶにだっこだね。

そりゃそうと電車内では一度も車掌が来なかった。切符を見せるシーンもなく、これ無賃乗車出来ちゃうねと思ったっけ。

駅前で写真を撮ってもらい、まずは写真を妻に送ったら、顔が全然違うと言われた。成田での無口な表情と変わって笑顔だらけの顔だったそうな。

ホテルでの初チェックイン。名前を言って、確認してもらいOK。その後何かフロント嬢が言ってる。??と思っていると横でA君が駐車場のこと言ってる、とフォローしてくれた。彼女のcarの言葉が聞き取れず???だった。ドイツ人の英語は早口だ!!

12時位なのにもう部屋に入ることが出来た。空いていればOKなんだね。良かったよ。

早速、荷物を置いて街に繰り出す。

とここで、私はいよいよ待ちに待ったザルツだよとワクワクしていたが、実はA君に事件が起きていた。A君の飛行機乗り換えがぎりぎりになって、自分はなんとか乗れたが荷物が後便になってしまったのだ。前の日にザルツに着いていたA君は、着の身着のままで一夜を過ごしたという。荷物がいつ届くかも連絡をして確認したが、私が着いた段階でもまだ到着していなかった。フロントにも伝えてあって、フロントからも航空会社へ連絡してもらうなどしたが、はっきりと到着時刻は知らされないままだった。A君は荷物という大きな心配ごとを抱えながら、私というもうひとつの荷物を抱えて半日観光に出ることになってしまったのだった。

ホテルから川沿いに歩いて街へ。目の前にあるすべての街並みが異世界だった。これまで写真でしか見たことの無いヨーロッパらしい石造りの重厚さと同時に歴史の重み、それがそこらじゅうすべてに存在していた。

人もそれなりに多かったが、日本人には会わなかった。

まず最初はミラベル庭園に行った。映画サウンドオブミュージックのロケ地だそうで、ドはドーナツのド、と歌っているおばちゃま方もいた(英語でだけど)。

歩いても歩いても歴史的建造物に彩られたこの街、目に映るものすべてにため息が出る。ザルツブルク祝祭大劇場にも圧倒された。日本でも明治時代に作られた銀行などに重厚な建物が多々あって、今では貴重な文化遺産として残っているところもあるが、こちらは、それが日常の世界に今でも当たり前に佇んでいる。

そして、すでに昼過ぎなのでA君が調べていたレストランに行く事に。

2階に通されて、さて、まずはビールでしょ!A君曰く、こちらのビールはグラスのここまで注がないといけないという印が付いているそうな。  うんあった。 泡がそれよりも下になってはいけないんだとか。ビールに関しては、ミュンヘンでもさらに厳密な規定があると知った。

食事は、どでかいシュニッツェル。ほかポテトなどなど。薄いけど、結構食べ応えがあったね。お腹いっぱいに膨れた。日本に帰ってから即、自分でも作ってみた。美味しかった、と思う。

その後は、モーツアルトに会いに行った。生家にも。生家前では観光客が写真を撮っているシーンはあまり見かけなかった。それでも土産物屋さんではモーツアルト関連だらけ。

残念ながらホ-エンザルツブルク城には行かず、旅の疲れが出ないようにホテルへ一旦戻ることにした。それより前にモーツアルト広場で、私の足が悲鳴を上げた。脛もふくらはぎもその横も、同時につってしまった。どちらにむけても痛くて、しばし休む羽目に。ここへきて旅行の疲れが出たかも。さらに結果的にザルツブルクには旅行初日の半日しかいられないスケジュールにしてしまったのが影響したか。余裕ある日程の大切さを思い知ることになった。

まだ日が落ちる前にホテルに戻り、少し休んで暗くなってから夕食に、今度は駅方向へ向かうことに。夜出かける少し前にA君の待望の荷物が届いた。良かったね。ホッとしたよね、私もね。

駅に近いところでレストランに入った。今度はビールではなくワインを頼んだ。そしてソーセージも。A君は気疲れが出たのか、あまり食欲が無いと言って飲み物のみ頼んだが、何の手違いか同じものが2杯来てしまった。店のお兄ちゃんがそう注文されたと言い張る。言葉不足のあるあるかもね。

私も同様にやはり疲れからかワインも一杯でやめ、また宿に戻った。宿に戻ってA君の部屋で軽くやって、早めにお開き、シャワーを浴びて、泥のように即寝落ちした。

2日目。

私たちは10:00発のミュンヘン行きの切符をスマホで購入していたので、比較的ゆっくり出来たのだが、早めに目が覚めた。シャワーを浴びて外で一服。9時前にA君と待ち合わせた。チェックアウトのためにカードキーをフロントへ出したら、お嬢さんがニコっと微笑む。んでチェックアウトを、と思って待っていたら、もうそれでOKだった。なんとまあ簡単なこと。

スーツケースをゴロゴロと押して駅まで10分弱。駅前のスーパーSPAR?で朝食を仕入れて電車内で食べようと。サンドイッチと飲み物、A君が水が安いよというので私も買った。電車に乗り込むとテーブルのある4人席が空いている。席がリザーブされている場合は、A君曰く窓に貼ってある透明のケースに紙が入っているのだそう。なければ座ってOKとのことだったので、早速座って朝食を取った。そこで、さっき買った水を飲んでひとこと、あれっ?と。なんだこりゃ、と言うので見ると、アルコールが5%入っていた。焼酎の水割りかあ!。そんなハプニングが面白い。

食事を終えて一息ついていると、人が来て、この席、という。よく見ると背もたれの横に小さい液晶画面があって、予約席について表示されていたのだった。A君もその形式は知っていたのだが、窓に古いスタイルのケースが貼ってあったので、この車両はまだ古いやり方なのだと思ったそう。改めてよく見ると多くの席はリザーブされていたのだった。なんとか2席空いているところを見つけて座り直した。でもちゃっかりそれまでに食事を終えていたのでした。ラッキー。

今回は検札が来て切符を確認して回っていた。途中警察も乗り込んできて、私たちの横の客にパスポートの提示を求めていた。それが終わるとA君がパスポートを見せたが、何事も無くOK。次は私、と思ったらそのまま行ってしまった。なんだ、我々は関係なかったのね。(これも紛争の影響か)

ザルツからミュンヘンまで1時間30分ほど。私の行きの電車よりも早いこの電車は、時速156キロを出していた。速いねえ。ドイツの電車はすべて線路幅の広い広軌と言われるものだった。東京ではJR小田急東急などは狭い狭軌で、京急京成都営などが広軌だ、新幹線も。やはり広軌のほうが安定すると思うけどねえ。知らんけど。

予定より少し遅れてミュンヘンOst駅に到着。やはり中央駅よりはこじんまりとした駅だった。その時にはチューリッヒに住むC子はもうホテルに着いていた。我々もホテルへ向かう。A君は実に40数年ぶりの再会で、ハグだね、などと話しながら。

そしてやっとA君とC子の劇的な?再会のシーン、とはならず、当たり前のようにごく自然に、普通に言葉を交わしていたよ。そんなもんだね。私は4年前に日本で会っていたけれど、それでも4年ぶりだし。

再会後、すぐにチェックイン。ここのチェックインでは用紙へのサインを3か所求められた。ザルツでは何もなかったのに、国によって違うのかねえ。

部屋に入って、荷物を簡単に整理したあと、早速外へ。まずはミュンヘン中央駅まで出よう。DBではなく、Sバーンで行くのか??この辺が私にはまだ分からないところだが、二人がどうしようか、色々考えてくれている。ホテル前にSバーンの駅(停留所?)があって、ちょうど来たので乗った。で切符を車内で買おうとしたら機械が壊れていた。ほかのところにある機械でと探している最中にOst駅に着いた、どうしようか、降りちゃえ。ということで3人の無賃乗車犯が!!。  笑ってごまかして良いですか?

Ost駅からSバーンを乗り継いで中央駅へ。私は昨日来ているので、ここはもう慣れたところ、って思えちゃうところが恐ろしい。

そこからマリエン広場、旧市庁舎、ヴィクトアリエンマルクト、バイエルン国立歌劇場、などなど。方向も何も分からないまま二人について歩いた。二人が先導する中、私は迷子になる寸前まで写真を撮ったり撮ったり撮ったり。二人が気にかけてくれながらミュンヘンの街並みを歩いた。ザルツに比べると街全体が大きいので、あちこちにすんごい建物が並んでる。市庁舎はすごかったね(写真)。ちょうど14時にその前にいた時、みんな塔のところに並んで、上を見上げている。塔のてっぺんの少し下のところにいるお人形さんたちが踊りだすのを待っているのかと思いきや、日に2度?次は17時だってんで、それまで遅い昼食で市庁舎の地下にあるラーツケラーに入った。ビール飲んで、なんかお肉料理2品ほか頼んで。サーブしてくれたお兄ちゃんが良くしゃべって、でも気が利いて、楽しかった。私はあまり言っていることがわからなかったけど、C子が通訳してくれた。3人で2品しか頼んでいないけど、3人でシェアするんでしょ、と取り皿を3人に出してくれたり。ここはまた来たいな。

ラーツケラーを出ると残念、少し雨模様。それでもまた街を散策。ビールのせいか、ポワンとしていたが、なんだか夢のような一日になった。

バイエルン国立歌劇場では、この日studentなんとかのコンサートがあるらしく、これなら見られるかもよと、チケット売り場へ行ってC子が聞いてくれた。でもすでに完売。Studentと言ってもいわゆる学生ではなくプロ??などなど、らしかった。

正直、今もこの後どこへどう行ったかとか、あまり良く覚えていないところもある。ヨーロッパの空気の中だけど、一緒にいるのは旧友たちだし、なんか不思議な感覚だった。

ここを歩いていることが全く自然で、この街に住んでいるみたいに思えた。(事実、日本へ帰ってきたあと、また行きたいと思った以上に、一定期間住みたい、とも思ったほど。)

遅い昼食だったので、夜はさほどいいかな、とイタリアンの店にワインを飲みに入った。(ドイツにいてイタリアンというのもご愛敬か??)そこでワインを飲みながら、街のこと、これまでの自分たちのこと、など色々な話をした。永年の空白も感じさせないお互いに同級生のままの感覚で話していたね。

ミュンヘン。この街は何度も何度も歩きたい。まだ何も分かっていないな。そんな思いでホテルに戻った。どうやって?Sバーンだったよね?

ホテルではA君の部屋に集合。持参したお酒類を飲みながら、また談笑。A君持参のアルコールがいい仕事をした。これからの旅行では外せないかも。しっかり持ち物リストに入れよっと。

明日は、もうA君が帰る日だ。時間は容赦ないねえ。お休み。

3日目

前の日、バイエルン国立歌劇場横に、市内観光2階建てバスの停留所があったのを見ていた。これに乗って市内観光もいいかも?と話していたので、この日はバス観光となった。市内を回る3コースがあって、まずは一番中心部を走るコースに乗車。オープンになっている2階の席に座りイヤホンで説明を聞きながらの観光だ。日本語もあったので。ミュンヘンでのビール醸造の厳格なしきたりなども知り、歴史もかじりながら約1時間のバス観光。どこを見ても絵になる建物だらけの街並みを走りながらの観光だけど、なんか、良かった。最初にこれで全体を回ってから徒歩であれこれ、という予定を組んでも良かったなぁと思えた。天気もやっと晴れて気持ち良かった。降りてからもう一つ郊外まで行くコースにも乗った。オリンピック公園に行くコースだった。ここではオリンピック公園で一度下車した。このバスチケットはどのコースでもその日一日乗り降り自由だった。

アウトバーンの向こうにBMWの本社がある。車のエンジン、円筒状のシリンダーを模したビルがとても印象的だった。あれこれ見学し、1時間後に来た次のバスで市内に戻ってきた。

そしてA君は一足先に日本へ。A君ありがとう。あっという間だったけど思い切り楽しめたよ。

それからは買い物タイムに。若干のお土産など物色。でも私は基本的にお土産購入に時間をかけることはあまりしない方かなあ。まあどちらもアリだけど。

それから夕食。ソーセージ盛り合わせなどなどとワイン。

途中トイレに立った時、外の席に座っていたので店内へ行って、さてトイレはどこ?と探しながら英語もこれでいいよなと反芻。とそこへ、正面から歩いてくる店員の若い女の子がまだ直接話す距離でもない離れていたところで、こちらを見ながら指を右方向に向けている!トイレはあっちだよ、と言わんばかりに。そうだよね、店内をきょろきょろ歩いているのは、トイレ探しだと相場が決まっているもんね。言葉なんていらない。世界共通だ。ダンケ!

ところで、前日のラーツケラーもそうだったけど、ドイツの料理は口に合ったなあ。どれも美味しくいただけました。そこも大きいよね。ビールは、さすがだった。これがビールというものだよ、ってか。ミュンヘンのビール醸造のかたくなまでに基本を守り抜く厳格さに、ヨーロッパの人々の姿を垣間見ることが出来たと思った。

時間はいくらあっても足りないね、と思いながらホテルへ戻った。初日の足は、もう大丈夫だった。靴が若干大きくて、そのせいで靴の中で足が動いた結果、それをカバーしようと余計な力が入ってしまっていたと思えた。軽くて歩きやすいと思って履いてきた靴だったけど。幸い靴下を2枚履くことでしのげた、と思う。靴選びもポイントだね。翌日はもう帰国です。

4日目 帰る日。

中身が濃かったのか、ミュンヘンを、ザルツブルクを堪能したのか、良く分からない。でもなんだかまた来る、とは確信していた。

空港までDBで移動。便を確認、乗り場も確認してから朝食。昨日まで、日ごろお世話になっている人へのお土産を買っていなかったので、ワインを買おうと思っていた。そのワインを預け荷物に入れるか手持ちにするか、どっちが良いのだろうかと悩んでいたので、航空会社のカウンターへ並びながら、そこの係の人に聞こうとC子が話しかけるとなんとドイツ語が分からない。英語しかだめらしい。ドイツの空港なのにねえ。結局のところ経由地でどう言われるかはミュンヘンでは分からない、ということのようだった。まあしょうがないとあきらめてチェックインをして、セキュリティへ。チェックインもセキュリティも一度経験すると、次はまったく緊張もしないものですね。何か不測の事態があれば別だけど、今思えば、これまで言葉の壁を理由に海外旅行に結果的に行く事をしてこなかった日々が、なんだかもったいなかったなあと。行動を起こしたことによる経験はとても大きいなと改めて思う。

見送りに来てくれたC子とここで分かれて、中の店でアイスワインを購入。このとき、私一人で航空会社の人にここでワインを買って乗り換え時も大丈夫か、と確認した。(つもり)。OKだというので、安心して買ったら、きちんとそれ用の頑丈な袋に入れて渡してくれた。そういうものなのね。(当たり前なのかなあ)。んでさっき聞いた航空会社の人にそれを見せたら、perfect!と言ってくれた。(ホッ)。その後、搭乗までの間にここでもラウンジへ。ミュンヘンのラウンジはとても広く2フロアあった。人もまばらですごくゆったり出来た。先に朝食を摂っていたので、何も食べなかったが、そうかここで食事をすれば無料だったなあと、後で思い返した。

持参したペットボトルにレモン水を入れて、搭乗ゲートへ。予定通り乗ったが、ここで機長からのアナウンス。出発が遅れる、と言っているらしい。結局1時間近く離陸が遅れたね。

この飛行機でもやはり日本人には会わなかった。行きと同様にワインをもらって飲んで、乗り継ぎ地へ。行きよりも長く感じた。寝て起きて寝て起きてを繰り返してもなかなかつかない、って印象だった。なんだろう。良い旅との思いから興奮状態だったのかもしれない。

遅れて到着後、すでに行きで勝手知っているラウンジへ帰りも。行きを上回る人だかりで、何とか入れたものの、もうシャワーの時間もなく、早々に出て、乗り継ぎ便へ。

機内では行きと同じように過ごしてまあまあ快適な空の旅だったと総括出来るかなと。

ほぼ予定通り成田へ到着。またしても荷物はなかなか出てこず閉口したが、なんだかぼーっとしていた自分だった。荷物を取って、ワインも1本だけだし、税関の申告をちゃちゃっとスマホで済ませて、帰国手続き。ここも何事もなく通過。パスポートのハンコ無し。

私のほぼひとり旅がこれで終わった。

スーツケースの発送手続きを済ませて身軽で、今度は到着ロビーのラウンジへ。帰国後も使えるか聞いたがOKだというので、ビールをもらって飲んだ。  んで、家路に。

 家に無事ついても、しばしぼーっと。なんか疲れたと同時に旅の終わりの寂しさ、だね。

 それから、私はがぜん次の旅のことを考え始めた。来年は是非プラハに行きたいと。通っている美容室のオーナーが旅好きでヨーロッパにも良く行っているようで、中でもプラハがお勧めとのこと。今回先乗りしていたA君は私と会う前にプラハにも寄っていた。市全体が世界遺産というのは、プラハだけらしいね。それだけ街並みが美しいのかと今から期待が膨らんで膨らんで。

さらに旅行後、毎日欠かさず英語に触れるようにしている。英会話教室に通うとまでは行かないが、幼児向けの絵本読み聞かせ、ネイティブが毎日使うフレーズ、などのユーチューブ、旅の英会話、物語の読み聞かせ、などなどいくつかのアプリをスマホに入れて毎日聴いたり、一人でしゃべってみたり。

今回のほぼひとり旅の発端をA君が作ってくれた。行きたい、やりたい、と言っていてもなかなか出来ずにいることが多い中、改めて行動に起こすことの大切さをA君から教わりました。

そして今は、スマホという超便利なツールがある。依存する悪い面も持ち合わせているようだけど、使い方さえ誤らなければ、こんなに便利なツールはないよね。

もう先が見える年齢になった今、どうしようか迷ったら行動に起こす、をモットーにしたいと強く思います。無事に帰って来られたことに感謝して。

追伸:今回の旅行でドイツの人々はみんな自信を持って生きているな、と感じた。例えば私たちが電車内で、どうやって行く?とか今はどこ?とか何やら分かっていなさそうな東洋人に見えると、すぐに声をかけてくれる人たちばかりだった。日本ではともすれば、困っていそうだと思ったとしても、簡単に声をかけるまではいかずに済ませてしまうのではないか思う。ドイツの人たちは、何か自分に出来ることがあれば、すぐに行動に移すのだなと思った。それは、大げさに言えば、自分の信念をしっかりと持っているからこそ、今自分が出来ることがあるなら、悩むことなくすっと行動出来て、もしそれが的外れだったとしても、それは関係ない。自分がこう思ったから行動したところまでが自分のテリトリーで、その結果については、自分の思考や行動の範囲外のことだから気にしない。このようなあり方は、自分に自信がないと出来ない行動だろうと思えた。自分をしっかり持っている人は他人へも思いやりを発揮出来るのですね。

私はともすれば、話しかけないでオーラをまとっていることもあると思う。これからはそれを外して、何かあったら遠慮なく話しかけてねオーラにしたいなと思った。そう思って自分を見ると、確かにそのどちらにもなるオーラがあって、それが自分の気持ち次第で動かせるのだと悟った。

そんなことを帰国後していたら、渋谷駅で東南アジア系の男の人に声をかけられた。神保町へ行くのはこの電車でいいのか?という。ちょうど私もそれに乗るところだったので、It’s OK などと言って乗った。私は一つ手前の九段下で降りるので、その時にnext station is Jimbocho. と言って降りた。この話を英会話の講師をしている後輩にしたところ、Perfect と言ってくれた後、次は先にThe をつけようね、と言われた。

少しでも英語を身につけて、来年もまたヨーロッパ、行きます!!

 

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