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日々短文雑記:日々短文雑記ってなんだろう.

 日々短文雑記ってなんだろうか.
日常の中にあることを短く雑に記したものなのだろうけど、結局のところ質量の感じられる内容を書こうとしてしまうし、普段よりも手を抜いて書くものの、なんだか体裁を気にしている自分がかたわらにいるのが常だったりする.

面白エピソードを書く場では無い.

 日々短文雑記は日常の出来事を書く場として捉えることが相応ではあるものの、色んな意味での面白エピソードを書く場ではないと思う.
どちらかと言えば大したことのない雑談を文章化するのに近い気がするし、読み手のことなど全く気にしなくても良いラフな場だと思っている.

友情を越える酒の存在感ってなんだろうか.

 酒を飲まないと話せない本音ってなんだろうか.
酒を飲んでいる時は人に対するガードというか壁というか、自他に対するハードルが一気に下がるのはわかるし、その効果を利用して本音をぶっちゃける感覚はわかる.
でもそれってシラフの時は絶対に言わない・言いたくないことも言ってしまったりするし、やっぱりガードが下がっている状態を本当の意味で有意義に利用できる人は居ないんじゃないかと思う.

 真剣な悩みを相談するときに酒を欲する人がいるけど、結局それってなんなのだろうか.
真剣な相談をする時は相手を選んで話をするし、そこにはそれなりの信頼があるはずなのに、勇気以外の力とか励ましとして酒を飲もうとするのは、相談する相手を“消去法で選んだ感”がある.
信頼とか友情とか、何でもいいけどそれなりの理由を並べて選んだ相手なのだから、酒の力なんか借りなくても良いはずなのに、やっぱり酔うことを選んじゃう気持ちってなんだろうか.

知らない人との雑談が一番しんどい.

 雑談って面白くなかったりしょうもない内容でも関係性によって許されたりする類の“おしゃべり”だと思う.
面白くなくても友達だから聞こうとしたり、自分の話す内容が面白くないと薄々わかっていても自分に対する相手の友情的な何かに依存して話を続けたりする.
結局雑談は雑談でしかないのだけれど、「雑談しても辛くない関係性」には最低以上の友情とか何かがあるのは確かで、互いに「この人との雑談なら“まだ”耐えられる」とか「この人となら雑談したい」と思っているということだから、きっとどこかで依存という名の利用をし合えるぐらいには、高くもなく低くもない親密度があるんだと思う.

日々短文雑記ってなんだろう.

 結局のところ日々短文雑記ってなんだろうか.
それなりの関係性を築いた相手とか、酒がなくても本音で話せる相手とか、悩みを相談できるぐらいには信頼してるけどやっぱり酒が欲しくなる相手とか、好きなあの人とか、嫌いなあいつとか、家族とか、ストーリーを見るだけの相手とかかな.

そんなありふれた日常が日々で、それに対するアバウトな心の動きとか思考が雑記で、心が動いたとしても短く切り取れてしまう短いセンテンス感が文字通り短文なんだろうか.

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