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僕が思う、妻の好きなところ.

 僕が妻と出会えたことは本当にラッキーなことで、妻との出会いをきっかけに、運命を信じるようになったことは言っておきたい.

 一人の人間として最低限のことさえ重んじることができなかった僕を成長させてくれたのは妻だし、出会って7年ぐらいしか経っていないけど、本当に多くを学ばせてくれた(今後もそうだと思っている).

 妻は本当に素晴らしい人で、何が素晴らしいかと言うと、僕にとって素晴らしい人であることが素晴らしい.
これはもちろん主観的な意見であるけれども、僕を知り、妻を知っている人は全ての人がそう思うはずだ.

中間優善は「歩く毒」.

 僕は簡単に飼い慣らすことのできないタイプだと思う.
性根がひねくれていて、色んなことをこじらせているから.
極度にマイペースで、基本的には放任的であるくせに、自分の思想や感性において反することを見つけたら、弾が切れるまで撃ちまくる.
こんな人間と一緒にいると、言葉の通りに寿命が縮むと思う(ここで言う「一緒にいる」とは、人生を共にするという意味→友人関係においても同じ).

 どんな環境で交流を持った友人でも、やっぱり関係は短命であることが多い.
彼らを見ていると、最初はすごく興味関心を持ってくれるし、一緒にいてくれる.
もちろんこっちもそうしようとする.

しかし、中間優善という名の毒が持つ中毒性や副作用としてのトリップ感に惹かれて集まっている彼らも、いずれは毒気に気づいて距離を取ったり、気分が悪くなって次のアトラクションをパスしようとする.

「類は友を呼ぶ」と言うが、僕は友を呼んだことがない.

 親友と呼べる相手は数人いるけど、それは僕らが類だからそうなった訳ではない.
単純にお互いを尊重し、必要だと思う(または思いたい)気持ちをしっかり行動に反映したからそうなったのだと思っている.

 友を呼ばず、悪い意味での中毒性を人に与える僕は、まさに毒でしかない.
そんな僕とどちらかが死ぬまで一緒に居ようと思う妻は、言ってしまえばどこか異常なのだと思う.
僕は彼女の異常かもしれない感性に死ぬほど惹かれている.

なぜ私なのか

 高校生の時にも聞かれたし、卒業してからも何度か聞かれた.
その都度僕は、「他の人は面白くないから」と言っている.
人生を共に歩む相手が面白くなかったら、死ぬまで一緒にいるのは退屈だと思う.
そんな退屈さを実現しないでいてくれる相手は、僕にとって妻しかいない.
はっきり言ってしまえば、人生単位で考えると僕にとって妻以外の人は退屈だ.

 妻は僕にとって観察する甲斐かいのある相手だし、色んなことを教えてくれるし、あらゆる意味で僕を成長させてくれる.
そんな優良物件を逃すわけがない.
彼女が僕にうんざりして距離を取りたいと言えば、僕は自分の信念に従って尊重するけれど、本音は「逃したくない」である.

人間同士、やっぱりフェロモンって大事なんだと思う.

 なんだか言葉にするのは恥ずかしさも難しさもあるけど、僕をかすフェロモン的な何かが妻から大量に出ていると思う.
妻以上に僕を安心させる人はいないし、酒が回るのも早くなるし、睡眠の質は上がるし、訳がわからないほど溶けてしまう.

 一緒にいるだけで頭と体のコンディションが整い、リバタリアンである僕を感覚的に、さらに深いものにさせる.

眠ることが怖くなる.

 自分にとって得ばかりの彼女に、僕は何をしてあげられるだろうか.
眠ろうとしたとき、もしかすると二度と目を覚ますことはないかもしれないという恐怖と出会ったときは、妻のことばかり考えてしまう.
不老不死は醜いものであると考えているけど、妻と一緒にいられるならば、その醜さと永遠の苦しみを受け入れたいとさえ思う.

 なんだか妻のどこが好きなのか具体的にわからないほど彼女が好きで、矛盾かもしれないけど、深みにはまっていくごとに分からなくなっていく感覚に取り憑かれたまま死んでいくんだと考えると、本当に幸せなことだと思う.

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