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「銀河鉄道の夜 ブルカニロ博士編」

2021年が終わろうとする頃、宮沢賢治の

「銀河鉄道の夜」に初期形ブルカニロ博士篇

というのがあると初めて知った。

人生を半世紀以上生きてきても

知らないことはたくさんあるものだと思う。

すべてを知る必要はないと思うし、人それぞれ

精神の成長に応じて知覚できることを

知っていくのだと思う。

「銀河鉄道の夜」は、宮沢賢治がいくつもの

推敲を重ねて、4つの形の原稿を残し、

死後に出版された本である。

初期形の第三次稿の終わりのほうに

ブルカニロ博士という人物が登場する。

一般に広く読まれているのは最終形の

物語で、わたしもこれまでは最終形しか

知らなかった。

今年に入って、ますむらひろし氏の漫画本で

初期形(ブルカニロ博士篇)を読むことになった。

漫画と言っても、台詞が原作に忠実に

語られているし、絵によって想像力が助けられ、

理解しやすく、わたしは活字だけで読むよりも

感情も臨場感をもって体験することができた。

活字だけでは難しかった。

ジョバンニは、人のさいわいのために

一体どうしたらいいのだろうと、自分以外の

人を思いやる心を持つ反面、自分の身に直接に

降りかかる現実的なこととなると、悲しみに陥ったり、

疎外感を感じて孤独になったりする様子が

特に漫画を読んで理解できた。

途中下車する人がいて、天の十字架の方へ

向かっていった人がいて、そして友人の

カンパネルラが消えた場所は天国だったのか。

わたしは、天国というものは絶対的な

ものではなくて、それぞれがここが天国だ

と思う場所が天国なのではと思った。

そして、わたしたちが思いつく天国というのも

また通過点で、さらにもっと高く高く、

源に戻るまで、いったいどれだけかかる

のだろうと思ってみたりすると

途方もない距離を感じる。

また、物語の中の蠍が印象的だった。

蠍は、自分は小動物を食しておきながら、

イタチから逃れてイタチの食糧にならずに

井戸に落ちて命を落とし、こんな無駄死にを

するのだったら、どうしてイタチに自分の

体をくれてやらなかったのだろうと後悔する。

その後、空に上って自らの体を燃やし続けて

夜の闇を照らし続けるという件があった。

今、エリザベス・ハイチさんの「イニシエーション」

という本を再読しているが、この本に

「蠍座は、大いなる転換点をもたらす。これまで

本能や衝動のために使われていた神なる

創造力に、霊性を与えなければならない。

今こそ、この神なる創造力は他者のために

ささげられる。それは個としての自分を

超越するということだ。」

この内容は、まさにこの物語の蠍が

示してくれたことなのではと思った。

この本は、答え合わせのようなめぐり合わせだった。

自己を超越するには、その前に、自己を

確立している必要があると思うし、わたしは

まだ蠍のようにはなれない。

また、もしわたしが蠍だったなら、次の人生で、

自分の体を燃やすこと以外にもっと楽な方法で

良いことをするだろうとか、

イタチはもしかして蠍の自分よりも

美味しいものにありつけたかもと

楽な考え方をしただろうなどと思いついた。

また蠍の件でもう一つ気づいたことは、

人は自分の罪に気づいていないもので、

罪という言葉は重く響くけれど、あえて

罪という言葉を使うとして、例えばお肉を

食べるということは他の尊い生き物の生命を

奪っているということで(すべての肉食が悪いと

言いたいわけではない)、それ以外にも、

自分の言動や態度がそのつもりがなくても

人に良くない影響を与えてしまっている

というようなことがないか、無自覚のままに

なっている自分の心の中のしこりのようなものに

気づかない限り、次へ進むことはできない

ように思った。

カンパネルラが消えた後に現れたブルカニロ博士が

ジョバンニに伝えた言葉が興味深く、

この部分がなければ、本当はこの物語は

成り立たないのではないかと思われた。

また、博士の話を聞きながらジョバンニが

見たイメージは、ミヒャエル・エンデの

「モモ」の、時の花が現れては消えるあの

シーンを思い起こさせた。

ブルカニロ博士篇のことを知ったのは

「草舟あんとす号」さんという書店からお迎えした

こちらの画集がきっかけで、日香里さんの絵と

石倉和香子さんの詩も一遍、収められている。

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その後、こちらのアマゾンで購入した漫画で

物語に再び親しむことになった。

最終形と初期形(ブルカニロ博士篇)の両方が

掲載されていて、比べて読むことができて、

より理解が深まってよかった。

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銀河鉄道の乗客の中で、唐草模様の切符を手していた

ジョバンニだけが、こちらの三次元世界に戻ることに

なる。臨死体験というのとは違うけれど、あちらの

世界を垣間見て後のジョバンニは、もう銀河鉄道に

乗る前のジョバンニではないのだろう。

銀河鉄道での体験とブロカニロ博士との会話の中で

彼の中で何かが変化したものと思われる。

物語の余韻の中でそのように思った。

物語はここで終わりだけれど、

お母さんの元に帰って、また学校に通いながら

仕事にも行き、同じ生活に戻ったように

見えても、きっと心持ちに強さや確かさが加わり、

真の優しさを表現できるようになるなど、

取り巻く世界がもう一段明るいものに

変化したのではないかと、わたしは明るい方に

想像してみたりする。

今回初めてジョバンニの気持ちがよくわかって

感情移入しやすかったということも、

感想を書いてみたいと思う理由なのであった。

(タイトルの上の絵は、わたしが

8年ぐらい前に描いたパステルアートで

今よりもっと初心者の時の絵です。)






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