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僕の全てを話そう。


後悔しない生き方とは。


4歳でサッカーと出会い。

12歳で親元を離れて今年で8年。


サッカーのない生活になって約1年半が経った。


瀧波優月のプロフィール

2003年4月6日生まれ。福井県出身。
4歳の頃、幼稚園でサッカーに出会う。

【小学生】
敦賀市少年サッカースポーツ少年団に所属

【中学生】
セレッソ大阪西U-15に所属
実家を飛び出し、親元を離れ関西へ

【高校生】
鹿島学園高校サッカー部に所属
高3の夏にヘルニアを発症、その年の冬に手術

【大学生】
京都産業大学に入学
腰の状態が良くならず、15年ぶりにサッカーのない生活がスタート。インターンや教育系イベントを開催、ビジネスと教育に興味を持つ

【現在】
様々な経験を経て、大学2年の春にトレーニングを再開。2023年9月からはドイツでプレー


バス乗り場で長蛇の列に並び、急斜面のキャンパスを登って、遅刻ギリギリで講義を受ける。

川沿いを綺麗に彩る桜も、小児科に来る幼児の鳴き声も、居酒屋に集まる学生も。


そんな何気ない日常は終わりを迎えそうだ。


僕は今回ある決断をした。

それはサッカー現役復帰、そしてプロサッカー選手への再挑戦。


サッカーから離れたこれまでの大学生活。

僕は自分なりに危機感を持って生きてきた。


企業で働き、イベントを作り、旅をして、いろんな人のお話を聞きに行った。

そこでビジネスや教育、政治や世の中の仕組みなどサッカー以外の世界をたくさん知った。


とにかく今できることは何なのか、自分なりにできることはやったつもりだ。


でも出た結論は「やっぱりサッカー」

自分はやっぱりサッカーが好きだった。


怪我をきっかけに離れていたサッカー。

でもいつしか、怪我を言い訳にして自分の思いを殺しているように感じていた。


「もっと違う世界で成功できる」

「プロサッカー選手になれる可能性は低い」

「どこのチームでやるの?」

「いまさら大学のサッカー部に入部できるの?」

「サッカー選手は儲からない」

「このタイミングで戻るのはもったいない」

「身体と技術が心配」


周りの人からはいろいろ言われた。

でも正直自分はそんなこと関係ない。


「自分はサッカーがしたい」

これしか最後には残らなかった。


自分にとってサッカー選手よりいい仕事はこの世の中にないと思った。

その仕事に就ける可能性がほんの少し、ほんの少しだけでもあるのであれば、今は目指すべき。


僕はサッカーから離れていた期間を無駄だとは一切思っていない。

たくさんの出会いがあり、自分の価値観がとてつもなく広がった。


将来やりたいこともたくさん見つかった。

そして何より、サッカー選手になりたい理由が増えた。


この期間の出会いや学びは今後の人生に大きな影響を与えてくれるはず。

というより自分が絶対に活かす。


まずは自分が覚悟を決めて生き様で見せる。

そして将来は多くの子供達にきっかけや選択肢を作ってあげられるような人間になる。


そしてこんな無謀な決断にも、笑わずに応援してくれる人はたくさんいる。

そんな方々に結果で恩返しができるように。


「後悔なく生きる」


いつかは死ぬ、生きたいように生きろ。

サッカー人生を賭けて、僕は戦ってきます。

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