斎藤一の会津残留を選択に関する考察

はじめに

「斎藤一の会津残留を選択する解釈について」
私は、今まで一くんがなぜ新撰組でいることより会津に残ることを選んだのかをイマイチ咀嚼出来ていなかったのですがようやっと咀嚼できたので個人的な解釈を備忘録として残しておきます。ありがとう朗読劇😭


事前情報

斎藤一の会津残留について

彼が最後は新撰組の恩義より会津への恩義を優先した理由が謎だった。
もしかしたら全ての発売したゲームをプレイして繋ぎ合わせれば分かってたのかもしれないが私はいまいち咀嚼しきれていなかった。

話の流れ

斎藤は最後、新撰組への恩義と会津公への恩義のどちらを取るかで悩むこととなる。
新撰組は会津に所属するので基本的に新撰組に貢献することは会津のためになるが最後の土地では、会津の土地を捨て仙台で決起を図ることになり会津の土地を捨てることになるのが嫌で、母成峠で最後まで会津藩士として戦うこととなった

恩義

新撰組の恩義→左利きの自分を受け入れてくれた、脱藩した自分をまた武士として受け入れてくれた
会津公への恩義→名もなき無名浪士たちを新撰組として登用し、面倒を見てくれた

個人的な解釈の謎

斎藤が実際所属していたのは新撰組であり土方近藤の下である。また元々試衛館時代からの付き合いでもあるため、ここのメンバーに受け入れてもらう恩義のほうが大きい気がするのだが、何故か最後だけ突然一つ上の大枠の組織を優先したことが彼の性格からしても腑に落ちていなかった。

今回の朗読劇総集編にて

斎藤一像(気が付いたこと)

彼はそもそも武士として生きていたが左利きという意味のわからない理由で批判されたり、真剣で勝負しろと言われたから勝負して殺したら殺人の罪で脱藩させられた。
武士ではなくなり腰に刀をささなくなって自身が武士でなくなることと、武士として支えるものがなくなることはアイデンティティの喪失であった。
そんな折に浪士組として京で名乗りをあげた新撰組に合流する。(試衛館時代に付き合いがあったのであの人たちならと思って訪れる)

また、最後の会津に残るか残らないかの部分だが、
実際には、会津公松平の「強い新撰組は会津を捨て、仙台へ迎い再起を図れ、会津の母成峠で残った会津藩士と大鳥でなるべく足止めをする」という命に対して、「恩義のある会津を捨てたくはないので自分が行きます」と返した。

新たな解釈

あれだけ新撰組や土方のために身を粉にして密偵なども含め行ってきたにも関わらず、尚且つ自身を受け入れてくれたのは新撰組なのに、何故最後だけ突然会津への恩義を優先したのかわからなかった。

だが本日の公演で改めて、そもそも彼は武士であり、仕えるものがいることの誇りや面子の概念を持ち合わせていた。
また、会津を捨てるとはつまり松平は降伏し捕まるということである。近藤が直前に斬首されたことも含め、会津を捨ててより北の見知らぬ大地で見知らぬもののために戦うことは、たとえ松平の命であっても腑に落ちなかったのではないか。むしろ松平のために会津を守り残した新撰組たちが有利となるよう礎となることの方が彼にとってはとてもしっくりくることだったのではないかと理解した。この流れで考えると会津に残ることに違和感はない。
(そしてその代わり大鳥は北上できた)

彼にとっての武士の道は「逃げずに戦い続けること、新撰組と共にどこまでも」ではなく「恩義をもたらしてくれたものに恩返しをし続けること」だったのだなと感じた。

実際戦い終わったあと斎藤は会津藩士として降伏して捕虜みたいな感じで捉えられてた。当時はなんで会津で生き残れたのに副長の元に駆けつけないのか疑問だったが、だから北には行けなかったということが改めてわかった。

また、松平も斬首を避けることができて安心したみたいなことも独白していて彼の思考の裏付けのようなものができた。

終わりに

お恥ずかしながら黎明録などあまりに昔にプレイしすぎて忘れてる部分もあり、こうして一本にして独白も含めて語ってくれては斎藤一の理解がとても深まって本当によかった。

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