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阪田知樹@オペラシティ

先日聴いた藤田真央さんをはじめ、最近の日本の若手ピアニスト達の進化は凄まじい。演奏はもちろん、作曲も即興能力も、さらにはビジュアルまで伴う。ある時点で一部の日本人は、DNAごと進化したのだろう。角野隼斗さんに憧れてピアノを始める次の世代は、さらに凄いことになるはずだ。旧タイプの私は、もう生まれ変わるしか希望がない。と、そう思って産まれてきたことをすっかり忘れ、夢想してしまう。そのくらい、すごい。

すごいと知っている割にはチケット争奪戦に連敗し、ほとんど聴けていない。先日、やっとその中の一人である阪田知樹さんのコンサートに行けた。曲をあまり知らない中級アマチュアには有難い、有名曲を並べたプログラム。

J.S.バッハ/阪田知樹:アダージョBWV564
J.S.バッハ/F.ブゾーニ:シャコンヌBWV1004
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 「熱情」
ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ
ショパン:ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 Op. 58

ご自身で編曲したというバッハのはじめのフレーズを聴いた時、「おお、やっと!」と思った。ピアニストには、「夢を見させる」タイプと「目を覚まさせる」タイプがあり、私は断然後者が好きだ。冷水をぶっかけるように目覚めを促すタイプもいるが、阪田さんは自分と音楽のシンプルで冷静なつながりによって、聴く人の意識を、その人の本来へと導くというタイプだと感じた。内側で奏でられる音楽と表出される音楽がぴったりと無理なく寄り添い、細部まで知り尽くした音からは、黄金の光がこぼれ落ちるようだった。指圧系の音も好き。

しかしこのシンプルなアプローチは王道すぎて、リスクも伴うアプローチなのだ。小技が効かないため、少しでも甘い部分があると途端に白けた感じになる。

「熱情」と最後のショパンのロ短調ソナタには、少しそういう部分を感じた。速弾きが出来るあまり、内側から音楽が湧き上がる自然な動きより一瞬早く、音が先に行ってしまう。音楽と音の隙間が、音楽の精度を僅かに失ってしまった。十分に素晴らしい演奏だったので、好みの問題でしかないと思う。それでもよく知られた曲を弾くことの難しさを思った。

その間のラヴェルは好きだった。大きくふんわりと水分を含んだ優しい手で弾いている、と感じた。もっと神経質なくらい小作りで感傷的、粋で時に皮肉屋な手・・例えば先日聴いた務川慧悟さんのような演奏の方が好みだな、とはじめは感じたが、身を委ねてみれば、ニヒリズムよりも高貴さと優雅さに溢れた、明るい色合いのラヴェルだった。

全曲を冒頭のバッハ2曲のレベルで全てを弾かれていたら、間違いなく追っかけ対象となったであろう。危ないところだった。追っかけは楽しいが、財力と体力と時間とエネルギーを要する。

9月には、サントリーホールでラフマニノフの協奏曲5曲を全曲弾くそうだ。どうしてそんな、阪急交通社のパッケージツアーみたいなことを・・。消化力に自信のない私はチケットを取らなかったが、今後も折りに触れ、聴きに行きたいと思う。