「君たちはどう生きるか」をみた感想とメッセージ@台湾



結論(独自意見)

  • 「抽象的」なものの感動を知ろう

  • 「価値」とは「事実」に対して、自分で吹き込んだ「意味」である

  • 「地球儀(球体)」は「多面体の極限」である

オススメの観賞ステップ(独自意見)

  1. 「地球儀」を聴いてみて、歌詞を一旦考えてみる

  2.   気になったポイントや伝えたいことを頭に入れつつ、劇場に足を運ぶ

  3. 上映中は「用意された答え」を探さず、「自分で用意した答え」に焦点当てる

  4. エンドロールでもう一度「地球儀」を聴いてみる

映画自体の感想

1回目は結構謎で「イマイチ?」と思った

台湾でのタイトルは「アオサギと少年」(The boy and the Heron)。
幻想的なシーンやクセの強いキャラや飯が出てくるのがジブリで、それに感動できるのはピュアな少年少女だけかなあと上映中思っていました。
謎な世界観が単純に楽しい年齢ではないのだな、と。
ポップコーンの方が面白いかな、とか。

よくわからない世界観

よくわからない鳥、いかにも真面目そうな主人公。
結局何やったのか?ファンタジーの世界に入ってからはワラワラ?(可愛い)大叔父?積み木?ペリカン?お墓?文学の知識が深くない自分にとってこれは、、、厳しいな。とか思ってたのが、1回目の正直な感想。
宗教がどうとか、大戦がどうとか、メタファーとか。平成末期に生まれ令和を生きるこの20代にはしっくりきていなかった。

用意された"答え"を探してしまう癖

1回目の上映中は俺も寝ずに「答え」を探しました。大叔父は何を探しているの?後継者?積み木で何を伝えたいのか?用意されてる「答え」が存在して、それを見つけた人が「優秀」?
答えを探すように見ても、周辺知識のない自分にとってはイマイチな感想が動くことはなかった。

ただ、米津さんの「地球儀」を聴いてスタンスとして少し違うのかなあと思った。というか気づいた

米津玄師さん「地球儀」を聴いてから足を運ぼう

個人的には誰のどんな考察よりも、この曲が一番参考になるかと思う。

2番のサビは個人的に好き

「この道が続くのは続けと願ったから」

地球儀

「そう決めているから」が結論。
映画の中で主人公の母親が亡くなるシーンがあって、映画の中で少しづつ主人公が変化して新しい母親を受け入れるシーンがある。

塔の中で気持ちが変化した、というよりも
塔の中で母親の小さい頃の姿である火美に会って、「次の道に曲がることを決断するようになっていった。」という印象だった。

道が続くのは願ったから。「=そう決断した」

その決断もすぐにではなく、映画の中で3シーンほどのグラデーションを用意し少しづつそう決断しようと前に進んでいる描写があるが、それは見てもらってからの方がいいかな。

何か感情を抱く時に自分たちは「自分が願っている・そう決めている」んだと感じた。というか元々そう認識で生きていたがすごく自分と同じ
これが割と結論だと思ってて、こんな風に解釈している。

「君たちはどう生きるか」= 「何を決めるか」

2番以降の歌詞がメインだと思った

小さな自分の正しい願いから始まるもの
ひとつ寂しさを抱え僕は道を曲がる

地球儀

どんな過去や自分があっても、「願う・決断する」ことが前進だと。

今までの日々に寂しさが募る瞬間もあって、自分で決めた道の先に誰も見当たらないことがあっても、「自分で答えを用意して、自分で進み始めよう」と思って道を曲がったのだと。

映画の中で主人公がそう決断するシーンがいくつかあって、この歌詞へのリンクが非常に強い気がしてならないなあと思う。

具体と抽象に対する持論

今作はの他のジブリ作品よりも抽象度が高いので、賛否両論があるのはわかる。ただ、その「両論」があることは制作陣(主に宮崎さん)にとって非常に納得・想定内だと思う。それもあり、「具体」と「抽象」に視点を移しつつ、話したい。かなり大事だと思うから。

(「どう生きるか」なんてタイトルの時点で抽象度を上げるぞ!って宣言なんよね笑)

聞いてる側は「具体的」な方がわかりやすい

そもそも人は抽象的なものと具体的なものどちらを好み、面白いと思うのか?具体性が素晴らしい作品を並べていく。

  • 具体:進撃の巨人・ターミネーター・MARVEL作品等々、、(ほぼ全てのエンタメ)

  • 抽象:君たちはどう生きるか

「具体性」が素晴らしい作品には、伏線、アクション、ミステリーなど、捉えるポイントは違えど、結局「一つの物語」に落ち着くように構成されている。進撃の巨人の結末は結局一つしかないし、伏線の意味は一つに帰結するようになっている。

→よって万人が同じ尺度で受け取れため、ヒットしやすいし、人は「わかりやすい、面白い」と思う

一方で抽象的な作品には「何これ?」って感情しか残らない。といったケースも発生することがしばしば。

価値を揃えることができるのが「具体性」の強みで、
価値を揃えることを避けているのが「抽象性」の特徴

と考えることができる。ならやっぱり具体的な作品の方がヒットするし、
「お金になる・売れる」となるのは必然だよね?
ここまで理解したら、次。ここからが大事

「抽象」的なものについて考えるメリット

結論、メリットは

  • その人自身の決断能力の復活

  • 数値と単位(意味)の違いを理解できるようになる

  • 答えを与えられずとも自分が創造できるようになる

→「じぶんらしさ」への理解が深まる

今作で提示された作品「君たちはどう生きるか」が敢えて抽象性に溢れているのはなぜなんだろう?と感じたと思う。

理由は上記の通り、
「抽象性の強み」とは、答えが与えられず自分で創造する性格を持つもの
なので、

「その人自身の決断能力」「創造能力」が芽生えていなかったら、
「何これ?何が面白いの?」と感じてしまう。

まあ、ここも多分宮崎さんは想定内だと思う。

今回作は抽象性をテーマに、「抽象的なものを考える」「自分の決断を下せ」というメッセージを感じてならない。
それは与えられるものではなく、自分で動かないと得られないもの。

抽象度の高いテーマに対して自分なりの答えをぶつけられること。を宮崎さんも大事にしているのかなあと感じた。

気づいたと思うが、そもそも上記のような「隠れたメッセージを感じた」ですら自分の意見なので、対立意見があるべきだとも思うが。

単位と数値について

単位と数値

1と10ではどちらが大きいか?という質問に対してもちろん「10が大きいです」という答えになるのは正しいことだと思う。当然。数学で言うと絶対値などと言われる。ここでは「数値」と呼ぶこととする。

では1と10どちらが大事か?という質問に対してはどうか?  これは「単位による」が正解。「この数値が何を表しているか」とも言える。

数値は「事実」であり、単位は「意味」である

少し別角度から言うと、

数値は「不変」であり、単位は「可変」である

物事に対する「事実」は変えられないが、それに与える「意味」は変えられる。

映画の中でも主人公は「母親の死」を受け入れられない瞬間や悲しい瞬間は変えられないことに気づいた、気付かされた。(アオサギに。)

その中で母親の死を「受け入れ」て、次の母親を受け入れることで、プラスの方向に「意味」を与えていった。

与えられた数値(=事実・不変なもの)を自分で意味付け(=解釈・可変なもの)することがこの映画のコアなのかと思う。

お金と芸術

  • お金:具体性を特徴とするもの

  • 芸術:抽象性を特徴とするもの

始皇帝が始めた貨幣制度は「価値の統一」を可能にした。よって商売が発展し、経済の初めの一歩としての革命だった。
具体度の高いストーリーを含むエンタメはわかりやすい。進撃の巨人のストーリは誰が見ても同じで、結末は似たような意見が生まれる。読者によってわかりやすい。と思う。

でも宮崎さんはその具体性に溢れた芸術が少し嫌なのかなと感じる。「天空の城」「もののけ姫」「となりのトトロ」、、具体的なイメージをそろえ、お金になる芸術は具体性のもので溢れてしまい、「答え」を用意することが正しいものになってしまいつつあるのかも。

「君たちはどう生きるか」は、答えを自分で考え自分で決断することの価値を伝えているのかなと思った。

進撃の巨人との比較

自分の好きなエンタメ・芸術作品を比べてみる

進撃の巨人は「具体」

綿密な伏線や結末、トラウマシーン等具体的に面白いシーンの多い進撃の巨人。面白いと思うし、実際世間からも評価されやすい作品だと思う。だいたい誰でもわかるストーリーだし、自分の意見なんてものはなくても楽しめる。もちろん自分も好き。ただ、抽象的な芸術としての「深みや余地」は少ないのかもしれない。そもそも、そんな物を必要とする人間も少ないとは思う。

具体性:「答えが用意」され、それを細かいディティールで「捉える」こと。

君たちはどう生きるかは「抽象」

映画のタイトルやシーンまで、いろいろな解釈の「余地」を残し、答えを観客に委ねている、「君たちはどう生きるか」

起こった事実に対して、自分だけの単位づけ、解釈をすることを求める「抽象性」の芸術だと感じる。

読み手としてもエネルギーが必要な作品かもしれないし、賛否が分かれるのもわかる。だが、
抽象性→具体性の移動は簡単だが、具体性→抽象性への移動は比較的難しい。なぜなら抽象性は「価値が揃わない」「伝わらない」から。

抽象性:「答えを創造」し、自分や新たな「意見・解釈を想像」すること。

具体か抽象か。どちらがいいと言うものではないが、事実として難易度は異なる。経済の分野では「具体性」を操る力が評価されるし強いと思う。しかし、芸術のでは「抽象性」が強みを発揮できる。

両方の眼鏡をかけて事実を捉え直すことも大事なのかもと感じる

結論をもう一度振り返る

今作では「抽象性」をテーマに「決断」を自分で決めることに焦点が当たっているのかなと感じた。

売れるもの=具体的でわかりやすいもの と言う世界から一歩外に出た「抽象的な世界」を知ることによって、
日常の「事実」や「過去」を自分だけの定規で捉え直すことができるようになる。そうすることで、プラスの方向へのエネルギーが湧いてくるのではないかなと感じる。

類似した思想

ニーチェ「実存主義」

ニーチェの実存主義とは、「私たちはどのように生きるべきか」という問いに対して、人間は既存の「価値」を破壊し、新たな「価値」を作り出す「超人」となるべきだという思想。

ニーチェ・超人思想

つまり、「今与えられている事実」に基づく「既存の価値」に対して、新たな価値、つまり「自分の定規でしか測れない価値」を持つべきだ。

ということだと思う。

「地球儀(球体)」は「多面体の極限」。人の数だけの価値観がある。米津さんは、「事実」という角のある普遍のものを、多くの視点や解釈を持たせ、多面的に捉えることこそが、抽象性の面白さであり、その究極を「地球儀」捉えているのかもしれない。自分はそう感じる

殴り書きで書いてみた。事実を正しく捉えて自分なりの解釈・決断を踏まえて「数値」に「単位」(自分なりの価値)を与えていこうと思う。以上です。最後までお付き合いありがとうございました。


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