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意識低くない系大学生の休学日記:1 (2022年1月23日)

今日も何かを書こうと思う。

昨日の日記はいろんな人に見てもらえたみたいだった。休学というキーワードに引っかかっているのか、大学外の人に見てもらえているようだ。コロナ禍の現在において「休学」は一種のバズワードなのかもしれない。アナリティクスとかは確認してないけどそうな気がする。

それに伴ってタイトルを変更することにした。

「意識低くない系大学生の休学日記」

ダウンロード (3)

多分これを見たときに大体の人はそう思う。しかし、これで俺は良いと思っている。

意識が高くもなく、極端に低くもない人間だからこそのタイトルだ。この日記では”普通”の大学生が人生に足掻く姿が記録されていくのだろうと思う。

正しく言えば、まだ休学はしていないのだけど。これで土壇場になって休学申請を日酔ったら笑えるな。

そのまんまでセンスがないなと思うかもしれないが、SEO的にはこれが一番だと思う。ロングテールキーワードの一種だろう。

僕はタイトルにこだわりがある。創作物然り、商材然り。読んだ時の音が気持ちいいか、興味を引けるか、内容に合致しているか。それらは数字を取れるかどうかに直結している、ということを身をもって知っているから尚更である。

そこから派生して私の目標の話でもしよう。

私の目標として「ライターになって金を稼ぐ」というものがある。夢ではない。既に片足以上は突っ込んでいるから。

”数字を取る”ということに対する目線が抜け落ちている奴は社会的に淘汰されていくと思っているから、「金を稼ぐ」という目標を立てている。

小銭を稼ぐ程度でいいのであれば、気の利いた中学生ならできることだ。スタートが遅れているとはいえ、大学生の俺なら、それぐらいは当然に出来ないとお話にならない。

どんな名文でも、金を生まないと基本的には見向きもされないし、挙句の果てには”執筆者”としての信頼が落ちる。出版社にしろなんにしろ今の日本は資本主義で回っている以上、数字の取れない奴に仕事は回らないし、首が切られていく。そして、一度落ちた信頼は中々取り返せない。

私が目指している”作家”や”シナリオライター”はその傾向が特に強い。せっかく新人賞や商業作でデビューしても、鳴かず飛ばずで消えていく人がが半分以上を占める。大体は誰にも気づかれることなく消えていく。


閑話休題。


昨日の日記を読み返してみた。

一人称がガンガン登場するし、案の定バラバラになっている。というか、今日の日記もここまでで何回か変わってしまっている。

一人称が頻繁に登場するのには、心理学的にはいろんな意味があったはずだ。

・精神的疾患を抱えている(精神が不安定など)

・他者へのアピール(主張したいことがある、モテたい、など)

他はよく覚えていない。多分、大したことないのだろう。

多分これらは間違っていない。僕が精神的不安を抱えているのは、こんな日記を書いている時点で明白だし、後者も身に覚えがある。

特に私の周りで観測したものとしては、高校時代の友人が好きな女性に対して、「俺」という一人称を頻繁に使っているという姿。

「俺」を使うことで、男らしさを無意識化でアピールしようとしているのだろうと思うが、実際にはどこまで効果があることやら。

私は大学で社会学を専攻している。その過程で社会心理学も多少履修しており、結構興味のある分野だったりする。

社会心理学や心理学の話はまた別の記事で詳しく何か書きたいと思っている。結構楽しいので、皆も勉強してみよう。

話を戻す。

心理学の本を読んだり、解説しているサイトや動画を見漁るのは僕の趣味の一つだ。メン〇リストD〇iGoとか、世間では死ぬほど叩かれているけれど、たまに動画を見たりしている。

ただ、彼には僕も言いたいことがある。

著作の中に参考文献リストが載っていないのはどういうことなんだ。

いっつも放送では○○大学の研究では~って言ってるじゃないか。ソースがあるのであればちゃんと載せてくれ。間違っているかどうかの確認も一苦労じゃないか。

というか、本当は覚えてないんじゃないのか?

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(伝説の打ち切り漫画ライトウィングより抜粋)

↑彼はこんな感じで視聴者や読者を軽んじているような気がしてならない。

自己啓発本とか読んでるやつのマス層はそんなの気にしちゃいないのかもしれない。だから騙されるのだと思う。情弱は養分というのがハッキリとわかる。


話を戻そう。一人称の話の続きだ。


一人称が頻繁に変わってしまうのを病気だと思っていた時期があったのだが、調べてみるとそういうわけじゃないらしい。

人や話題に合わせて使い分けるのは、人間心理的には自然なことで特に問題はないそうだ。

とはいえ、私の変わり方は異常かもしれない。ちょっと怖くなってきた。実は俺が気づいていないだけで、多重人格だったりするのだろうか。

多重人格というと「俺つば」を思い出す。

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元は18禁のPC恋愛アドベンチャーである。アニメ化もしていた。

主人公が多重人格(壮大なネタバレ)。コメディが面白いのも特徴だが、シリアスシーンもしっかりと心に響く仕上がりとなっている。これ以上詳しくは書かない。俺が作品レビューをすると長くなるし、日記だからな。

ライターは王雀孫先生。「俺ガイル」で有名な渡航先生からは師匠と呼ばれていたりするらしい。俺ガイル初期は王先生の文体が移っているそう。


閑話休題。


日記のはずなのに今日の話題がほとんど出てきていない。今日は大したことがなかった。

サムネのラーメンは昼に家族と食べに行った。

「東京とんこつ とんとら」のとんこつチャーシュー大盛である。

ん?

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※微妙に違う。

海苔トッピングまでしていたら終わりだった。


閑話休題。


気が付いたら結構な時間書いているのでこれで終わりにしようと思う。

軽く読み直してみると、もう少し含蓄のある話をしてもいいんじゃないかと思えてきた。結局、話題の取捨選択が上手くできてないしね。

本当は作家の話がもう少ししたかった。

なぜか、周囲で物語シリーズの話題がよく挙がっているから西尾維新とかね。

西尾維新というと、最近MF文庫Jから出た作品が西尾フォロワーだったらしい。

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西尾フォロワー(デビューもしていない自分が言うのは極めて失礼な物言いなのは承知している)が令和の新人賞を受賞するなんて、時代が一周回った感じがある。

さがら先生が「既存作品の影響を受けている」と講評を書いているのが印象的だった。読んでみたいと思っていながら、まだ買ってない。あとでアマゾンでポチっととこう。

というか去年のMF新人賞の作品たちの新作が出るのが遅くない?チヨダクとか待ってるんだか??ていうか去年のは全然話題にも挙がってなかったよね???

これだからラノベ業界は世知辛いわ。

話を戻そう。

10年以上前からラノベを読んでいる人には理解してもらえると思うが、西尾が流行っていた時代には彼のフォロワーがネットや新人賞に溢れたという話が有名である。そして、それらが大体破滅の道をたどっていたという話も。

有名といってもワナビ界隈だけかもしれないが。

とはいえ、MFの講評文は作家を目指す前から毎年のように読んできているが、作家先生方の哲学や創作に対する思考が見えるので興味深い。

ためになった。

ん?

ダウンロード (5)

※今回はまぁまぁ合ってる。

(終わり)

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