過程を知る

爬虫類を飼っている。
彼らの餌は生きたコオロギや鼠(ネズミ)で、
私は「餌」である「コオロギ」と「鼠」も、ちゃっかり繁殖させている。

育てて、子どもを産ませて食べさせる。
この話をすると、たいていの人は顔をしかめる。

「生きたままの鼠をあげるの?」
「可哀想だって思わないの?」

正確には、私の家では「生き餌」を与えない。
これは私のポリシーで、鼠に関しては必ず安楽死をさせてから与えているのだ。

生きたままだと長く苦しむから、「脊髄脱臼」という最も苦痛のない方法で「鼠を殺す」。

正直、生きたまま与えた方が、精神衛生的には良いであろう。
いくら「餌」だとはいえ、毛のはえた生き物を自らの手で「屠殺」し、
痙攣して失禁するさまをみるのは、辛い。

最初は自分の手で「処理しよう」と努力したが、あまりにも辛いため
今はパートナーに頼んでいる。

私は動物が好きだから、鼠にだって愛着がある。
だからこそ、この「行為」には慣れない。一生かけたって、罪悪感からはのがれられないのだ。

これは「可哀想」な話だろうか。「むごい」話だろうか。
爬虫類が嫌われる原因は、どうやらこの「餌」のイメージが大きいらしい。

「ライオン」だって可愛いバンビを食べるし、
「サメ」は「ニモ」を食べるけど、「かっこいい」のに。

「弱肉強食」の自然界。弱い動物は強い動物に捕食される。私たちはその過程を、見ていないだけだ。嫌悪感からは目を背けて、綺麗な部分を持て囃す。

爬虫類を飼うには、その現実を直視しなくてはならないから。だから「気持ち悪い」のだろうか。

私はふと、「過程」について、思いを馳せてみるのだ。

幼い頃から、「過程」を知らなければ納得できなかった。戦争も、犯罪も、法律も、はたまたそこにある絵画も。

どうしてこうなったのか。今、どうしてその状態でそこにあるのか。調べて頷かなければ、体の奥が疼いた。

私はカトリックの幼小中高一貫校に通っていて、学校の図書室には、戦争関連のジャーナリストが取材した記事を集めた月刊誌のようなものが置かれていた。

血の赤や、涙の透明や、泥の灰色、灰に塗れた街の白に、飛び出た脂肪の黄色。
その雑誌はいつもグロテスクで鮮明な写真でカラフルに彩られていて、当時の私は、直視することもできなかった。

だけどその月刊誌が「子どもに見せるべきではない」という保護者からの抗議が理由で撤退させられることが分かった時、得体の知れない気持ち悪さを覚えたのだ。

「子どもだから見るべきではない。知るべきではない」「世界の綺麗な部分だけ。素晴らしい景色や絵の入った本だけを読みなさい」

その不自然さに、どうしても納得できなかった。

だってあの時開いたあの月刊誌に写る写真の中で、片足の取れた「誰か」を見つめていたのは、私よりもずっとずっと幼い「子ども」だったから。

あの写真は、フィクションじゃないでしょう。
何かの結果で巻き起こった「戦争」で、あの「見せるべきではない」場所にいる誰かが、今も存在するのに。

「不適切だ」って排除するのが、正しいことなの?「子どもだから」知るべきではないの?
それって目を瞑って、視線を逸らしてるだけじゃない。

そんな人が「世界を平和に」なんて。説得力のかけらもない。

今となっては、その保護者からの抗議にも、少しは納得できる。
感受性の豊かな子どもに、どんな理由であれ「グロテスクな写真」を
見せつけることは、良い影響に繋がるとは考え難い。

だけど図書室の片隅におかれた本について
「悲しくて刺激の強い写真だから、簡単には見ないこと。
だけど、あれが現実なの」と言って聞かせるシスターの気持ちを考えると、
私は今でも、胸がしめつけられるのだ。

物事には必ず「過程」があって、その結果に、今がある。過程がない結果は存在しない。

「戦争」にも、「犯罪」にも、「歌舞伎町で泣いている裸足の女の子」にも、爬虫類にあげるために製造された「冷凍マウス」にも。

カラフルで鮮明で、ぱんぱんに詰め込まれた「過程」がある。

知りたくないとか、関係ないとか。
大勢の人がその段階で踏みとどまる限り、きっとこの世界は、良くならない。

「良くならない」って、具体的になんだとか、言葉足らずだとか思うかも知れないけど。

だけどあえてそのまま言う。このままじゃ、よくならない。

戦争もなくならないし、女の子は泣いたままだ。

「過程を知ること」
どうしてそうなったのか。その人の立場になって考えること。現実を直視して、ショックをうけること。

大人になった私達だから受け止められる「衝撃」を感じること。
それって、この世界を良くするための、最も基本的で、大切なことなんじゃないかな。

中学生の頃、あの雑誌を開いてその「衝撃」を受けたある女の子は、戦争について調べ、正義と悪について勉強し、人の心理について片っ端から調べた。
それでも分からなかった「なぜ人は人を傷つけるのか」を突き詰め、「犯罪心理学」を学ぶ。辿り着いた先は「精神科」だった。

その女の子が、世界を良くする「ピース」になれたのかは、分からない。だけど精神科で関わった人たちを、確かに笑顔にした。

小さなことかもしれない。
だけどひとつずつ。

何かの「過程」を知って、変えようと思うこと。

それだけで貴方の見る世界も、少しは変わるのかもしれない。

爬虫類の「生き餌」で受けた衝撃が何に繋がったかって話は、また今度。

Yuzuka

#過程 #コラム

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yuzuka

いろんなメディアで連載したり、対談したり、記事を書いたりしたのち、peek a booの編集長になりました。(https://peek-a-boo.love/)言葉のお仕事ください→yuzuka.yuzuki.mari@gmail.com ☆@yuzuka_tecpizza
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