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寂しい夜ってあるよね

特殊清掃の密着取材を行った時に出会った孤独死の現場で、忘れられない部屋がある。
その頃はコロナ騒動の真っ只中で、誰もが孤独死と隣り合わせだったから、余計に身近に感じて、脳裏に刻まれたのかもしれない。

特別、ひどい状態の部屋だったわけではない。
むしろゴミは綺麗にまとめられ、まるで死期を悟っていたかのように片付けられていた。

近隣からの「匂いに対する苦情」が原因で発見されたのが信じられないくらい死臭はわずかで、害虫も見当たらない。

今までに見てきたどの現場よりも綺麗で、グロテスクではなかった。
それなのに、そこに入った時、今までに出会ったどの部屋よりも猛烈なエネルギーを感じたのだ。
むわっとした蒸気の中に、孤独が溶け、液体になり、そしてその液体が蒸発して部屋中に充満しているような気配を感じた。
じっとりとした湿気をあびるたび、それはまるでそこに住んでいた誰かの孤独が、身体中に張り付いていくようだった。

その部屋に住んでいたのは、高齢者の女性。一人暮らしだったという。
ワンルームの古びたアパートの一室。部屋の奥にある布団の上に、彼女の溶けた跡があった。
死因は、餓死だったらしい。その証拠に、布団の上に溶けた脂肪は、一般的なものと比べて控えめだった。溢れるだけの水分が、体に残っていなかったのだ。

冷蔵庫も、空っぽだった。米びつには数粒の米。
シンクの中には随分前に開けられたであろう、パックのご飯の抜け殻が重ねられていた。

彼女は、動けなくなるギリギリまで丁寧に暮らしていたようだった。
週に一度のデイサービスに持っていく手提げカバンの中には、几帳面に折り畳まれた替えの服が入れてあったし。キッチンのシンクに重ねられていたちらしの裏を使ったメモ帳には、近所のスーパーやかかりつけの医師の電話番号が、綺麗な字でメモ書きされていた。

机に向かって置かれている椅子の背もたれに、ピンク色のカーディガンがかけてある。
いつもここに座っていたのだろうなと想像していると、ふとその机の上に、三冊束ねられたノートが目に入った。
そっと開いてみるとそれは彼女の日記帳で、何年も前から欠かさず、毎日一行ずつ、日々が記録されているものだった。

「おはようございます。今日も頑張ります。体をよくしたい。バナナ半分」「おはようございます。今日も頑張ります。体をよくしたいです。菓子パンとバナナ半分」
何日も何日も、同じような文言と食べたものが記録されていて、それはおそらく彼女が布団から動けなくなる頃まで続いていた。
これを毎日、ひとりでここに座って書いていたのかと想像して、胸を締め付けられる感覚に襲われる。

取材のための写真を撮りながら何ページがめくった時、一日だけ、少し長く文章が書かれていた日があった。数ヶ月前、彼女の家族が何年かぶりに会いにきた日の日記だった。
「お墓参りをした帰り、海に行き、観光地へ連れて行ってもらった。楽しかったです。本当に楽しかったです。また会いたい。体を良くしたいです」
気づけば、「体を良くしたい」という文言はこの日を境に書かれているものだった。

ピンク色のカーディガンを着て、1人で机に向かう小さな背中を想像する。
ぎゅっと胸が縮んで、タイムスリップして、今すぐに彼女を抱きしめたい気持ちに駆られた。とても自分勝手で傲慢な想像だけど、それで彼女を救えたのではないかと、そんなふうに思えてならなかったのだ。

部屋中に漂う孤独の正体が、その時に分かった。
だって彼女は孤独死を選んだわけじゃない。デイサービスに持っていく服を選んで詰めこみながら、いつかまた会えるはずの家族のことを思って、自分の体が良くなることを祈っていたのだから。どれもが憶測でしかないし、こうして言葉にするのも躊躇うくらいに、私には何も分かりようがないのだけれど。

家に帰り、シャワーを浴びても、身体中に染み込んだ寂しさは消えなかった。対して汚れていないのに、着ていた服を洗濯して、髪の毛を洗い、持っていたお香に火をつけ、体中に煙をあびたあと、ようやく少しだけ気持ちが落ち着いて、そして思い出した。

ああ、そうか。また忘れていた。私たちの人生の時間が、限られているってこと。
当たり前のことなのに、当たり前すぎて、私たちはいつもそれを忘れてしまう。

忘れてしまうから、自分を傷つけるだけの恋をダラダラと続けたり、「そのうち」と言い訳して、会いたい人に会いたいとも伝えないまま、各々だらしない時間を過ごすのだ。

夜の街でポツリポツリと灯っているあかりのそのいくつかに、きっとあの部屋と同じ孤独や寂しさがつまった空間があって。そしてそこでは、誰かが声も出さずに泣いているのだと思う。

それはあなたかもしれないし、あなたの親友かもしれないし、恋人、家族、それとも会社の上司かもしれないけれど。とにかく私はその人たちが、ちゃんと誰かに抱きしめられて欲しいなって思う。
それは物理的な意味だけじゃなくて、言葉にできない寂しさを感じた時に届く何げないラインとか、「久しぶり」って電話とか。そういうものでも良いから、とにかく誰かのあたたかさを感じていてほしいと切に願うのだ。

いろんな恋愛コラムで散々自立について書いてきたから、こんなことを書くと矛盾してしまいそうだけど、だけどはっきり言ってしまえば、私たちは絶対に、ひとりでは生きていけない。

誰かに頼り、頼られ、甘え、依存し合ってようやく立っていられる。それが人間という生き物だ。弱くてずるい、私たちの本質だ。

そこをどうか忘れずに、本当に苦しい時は誰かに「助けて」と伝える勇気を持って欲しいし、「助けて」と伝えられたら、どうか抱きしめてあげてほしい。

眠れない夜は、誰にだってある。
大切なのはその夜に、いかに助けを求められるかだ。

どうか、ひとりで抱え込まないで。
生きづらい世の中だもの。どうしようもないもの同士、どうか抱きしめ合って生きていこう。

yuzuka

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