二年前の日記 1/6

2018/01/06

 朝、起き抜けのニュースで星野仙一氏の訃報を知る。ショック。もの凄いショックを受けている。下手をすると親が死んだとき以上の衝撃ではないか。親のときは事前に心の準備も覚悟も出来ていたからそれほど大きな動揺もなかったのだが、星野氏の場合は突然である。書きたいことはイロイロあるのだが、上手くまとまらない。何も手につかない。自分でも驚くほどに動揺している。回復するには今日一日くらいはかかるだろう。何はともあれ、ご家族にはお悔やみ申し上げる。


 そんな星野氏の訃報に動揺する心を、別の角度からさらに動揺させたのが、大相撲の立行司、第40代式守伊之助である。去年の12月16日、巡業先の沖縄のホテルで酒に酔い、10代の若い行司にキスをしたり胸を触ったりしたのだという。何しとんねんオッサン。

 式守伊之助は行司の大名跡であり、木村庄之助よりは一段格が落ちるが、それでも相撲界を代表する一人であるのは間違いない。それがまあよりにもよって部下にセクハラである。別に大罪を犯せという訳ではないが、何ともみみっちい。

 立行司は軍配を差し違えたときには切腹するという覚悟を示すために、腰に短刀を帯びている。こういう場合には使わないのか。相撲協会は処分を検討しているらしいが、何とも恥ずかしくみっともないと思う次第。


 大阪市のウェブサイトに、「(救急車の)隊員の男性三名の方が病院に搬送後、数メートル離れた自販機で飲み物を三名とも購入されていました」「勤務中のこのような行動はありなのでしょうか?」と市民から質問が寄せられたという。これに対する大阪市の回答はこうであった。

「出場した救急隊員から聞き取りを行いましたところ、救急車内での血液付着が多く、その拭取りと消毒に労力と時間を要したとのことであり、そのような活動を勘案した場合、次の出場に備え水分補給を行う必要があったと考えます」

 大阪市の中の人も大変である。本心を言えば「知るかボケ」で済ませたかったであろうに。まあ世の中には想像を絶する馬鹿がいる。想像力も理解力もないのに誰彼構わずマウントを取りに行く厄介なヤツがいるのだ。自覚のない馬鹿ほど腹立たしいものはない。

 とはいえ公共サービスは馬鹿が利用することも前提である。馬鹿だから相手にしないという訳にも行かない。その結果、相手をしてもらった馬鹿が増長する。困った悪循環もあったものだ。こういう馬鹿に関わるコストを何とか削減できないものだろうか。それだけでも大阪市の仕事が随分効率的になるのではないかと思うのだが。


 3日、中国の習近平主席は河北省に置かれた人民解放軍の中部戦区を視察し、数千人の兵士を前に「苦難も死も」恐れてはならないと演説したのだそうな。

 これってどうなんだろう。人民解放軍の兵士は習主席を尊敬しているのだろうか。この演説に感動しているのだろうか。彼がそれこそヒトラーのようなカリスマ性を持った人物ならば周辺国としては慌てふためくべき演説なのだろうが、習主席が中国内部でどの様に扱われているのかが見えてこないので、何とも言いようがない。権力を持っているのは間違いない。だがそれと、習主席のためなら人民解放軍が一枚岩に結束するかどうかは別の話である。この辺がイマイチよくわからないのだ。

 とはいえ国家主席である。何も言わん訳には行かないのだろう。イロイロ辛いところなのかも知れない。


※ 星野さんが亡くなったのが2年前でしたか。もっと前のような気がしていました。
 救急隊員や消防士や警察官や自衛隊員のやる事なす事噛み付く馬鹿は居なくなりませんね。いまでも時折目にします。何で相手が人間であると理解できないんでしょうか。不思議でなりません。

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