ここまでで、私の言ったことを少しまとめてみます。
(1)社会全体が巨大な変化の時期を迎えている。
(2)そのため、従来の価値観が全体として明らかに破綻しつつある。
(3)変化している価値観を特定するために若者の嗜好を観察すると、価値の中心に「自分の気持ち」を置いていることが分かる。
(4)「自分の気持ち」が第一なのは、既存の価値観では、幸福が追求できないことが明らかだからだ。
(5)彼らや私たちの価値観変化の中心には、私たちを幸せにできない「科学」と「経済」への信頼の喪失があることが分かる。

ではもう少し、具体的に「科学や経済に対する不信感・無関心」を説明してみましょう。

私たちは昔のように「科学の力は、何もかも可能にする」なんて考えていません。
科学の力で人類は月へ行ったが、実際に行ってしまうと特にいいことがないというのがバレてしまいました。
月に行くには、ものすごい苦労や労力や経済力がかかる。とにかく大変です。それなのに、月にも火星にも、いや科学の力で行けそうなどこにも、ウサギも宇宙人も宝物も特別の鉱物や宝石も何もない。
絶対零度でできることも真空でできることも、特別すごいことは一つもないと分かってしまった。これからどんなに科学が発達して、銀河の外まで行ったって大したことはないと、みんな薄々感づいてしまったのです。
コンピューターも、人工知能だとか言われていたころはよかった。
しかしそれが実生活の中に入ってくると、銀行のキャッシュコーナーだったり、ファジー機能付き炊飯器だったり、ぱっとしません。
会社のOA化も、部署ごとにバラバラで互換性がなかったり、突然統一するとか言われて前のデータが使えなくなったり。だいたい新しく導入されるシステムに遅れないように勉強しなければならず、どうしてもメーカーに騙されている気になってしまいます。
コード接続や試行錯誤やシステムクラッシュ、不意のハングアップ、意味不明のエラーメッセージにとられる時間を考えると、本当に効率が上がったかどうかすら怪しいもんです。
家で自分用のパソコンを買って仕事に役立てようとしても、こんな時にだけ鼻の利くシステムが、ファイルのフォーマットの違いを言い立てる。
マシンやソフトをバージョンアップしてもバージョンアップしても、そのたびにお金も払い、時間もかけ苦労したはずなのに、使いきれない。
コンピューターなんか買わないで全部手でやった方がよかったのでは、という気持ちがいつも心をよぎってしまいます(決して私は愚痴っているわけではありません)。

医学の力も先が見えました。
ガンやエイズの特効薬が見つからない、というレベルの問題だけではありません。
たとえばアトピーや花粉症、成人病など現代病と呼ばれる病気がクローズアップされています。しかもそれは予防とか体質という名目で、個人の責任に戻されてしまうことが多い。
不老不死とまで言わなくても、せめて寿命が尽きるまで元気に暮らさせてくれると思っていた医学も、当てにはできないようなのです。

これらはみんな「科学の発達」が限界まで来たということではなく、「科学を使って私たちが幸福になること」が限界まで来た、ということなのです。
言い換えれば「もう科学に夢を持てなくなった」「もっと科学的になろう、合理的になろう、文明を発展させようという気持ちが消えてしまった」ということです。
熱烈な恋からいつの間にか冷めてしまうように、私たちの心はいつの間にか科学から離れてしまったのです。

支援していただけるなんてチョー嬉しいんですけど^^笑