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【現代】田中角栄(1918年〜1993年)

田中角栄は1972年から2年間内閣総理大臣を務めた。当時の首相は東大や一橋などの日本の最高学府卒の人間が多い中、田中の最終学歴は中卒だった。田中はいかにして日本のトップに上り詰めたのか、紐解いてみたい。

1918年、大正7年生まれの角栄は戦前戦後、東京で建築会社を起こしていたが、戦後、知り合いの薦めで国政に進出する。1946年の選挙では新潟2区で立候補するも落選した。翌年、日本国憲法下で最初の選挙が行われ、田中は当選する。その後第二次吉田内閣発足の際、GHQの介入で、山崎猛という男が首班になりかけるが、田中が内政干渉であると猛反発したことで、第2次吉田内閣が誕生する。この時、田中は若いながらも政務次官に就いた。

その後、巧みな人心掌握術で若手議員からの絶大な人気を勝ち取り、郵政大臣、大蔵大臣、自民党幹事長など重職を歴任する。

時代は佐藤栄作内閣、7年以上続く長期政権に人々は飽きていた。その頃、一本の電話が佐藤栄作に入る。

「俺や、栄作!元気か!」元首相であり、佐藤栄作の実兄の岸信介からであった。ちなみに、岸信介は戦後A級戦犯となるも、不起訴となる。戦後は、首相となり日米新時代を築き、政界での発言力は絶大であり、昭和の妖怪と呼ばれていた。

「兄さん、どうした?急に電話なんかしてきて?」栄作が答える。

「どうしたやない!次のことはちゃんと考えてあるんか?」そろそろ首相も潮時で、次の首相を考えているのか、という意味だった。

「兄さんに言われなくてもちゃんと考えているよ!」

「何だその言い草は!まさか、お前のとこの田中とか考えているわけじゃなかろうな!うちの福田くんがずっと待っているんだよ!」

「田中!?冗談言うなよ、兄さん、あいつは中卒だぞ!俺たち東大出身とはわけが違う、ありえないよ!」

「そうか、分かっているならいい、早く福田くんに譲ってくれよ」といって岸信介は電話を切った。

その後、佐藤栄作の制作秘書官が首相執務室に駆け込んでくる。どうした?

「田中政務次官が先ほどの会話を隣で聞かれていました!」

「そうか、なら話は早い、田中くんをここに呼ぶように。」

「田中さんは、帰られました。泣いておられました。」

田中は、自宅に帰宅するとすぐに、一本の電話を入れる。相手は盟友大平正芳であった。「大平くん、聞いてくれ、こんなこと言われたんだ!佐藤首相にあれだけ尽くしたのに、結局東大が全てなんだ!くそ、くやしい!」

「田中くん、そうだ、岸も佐藤も福田も東大、彼らは東大が日本の中心だと信じて疑わない」

大平は一橋だった。十分立派だが、東大以外はこの時代、政界では結束した。

「田中くん、僕は田中くんを支持する!頑張ってくれ!」「ありがとう!」

その後、田中は佐藤に呼ばれる。「田中君、昨日のことはそう言うことだから、よろしく頼むよ。そうそう、田中君には、代わりに通産大臣をお願いすることにした。一生懸命励んでくれ。」

当時の通産大臣は、日米繊維交渉が難航し、絶対にまとまらないと言われていた。担当大臣は、それが原因で失策となる、責任を取らされるのだ。佐藤の作戦は田中を通産大臣にし、失点をつけようというものだった。

田中はその夜、大平に電話した。「大平くん、聞いてくれ!…」そしてまた泣きながら、愚痴を言ってすっきりした。

しかし、田中の凄いところは、日米繊維交渉の問題点を洗い出し、妥協点を見つけて、丁寧な交渉を重ね、政府与党や野党もそしてアメリカも納得する内容で日米繊維交渉をまとめてしまったのだ!失点どころが田中の株がうなぎ上りにあがる!田中待望論まで出る始末だった。

岸信介が、弟の佐藤栄作にまた、一本の電話を入れる。

「おい!栄作、どうなってるんだ?田中の人気が上がっているぞ、このままじゃまずいじゃないか!」

「兄さん、分かっている。ちゃんと考えているよ!今度、日米首脳会談がある、そこで、僕の引退と、次の日本のリーダーを紹介しようと思う。世界同時中継だから、世界が注目している。そこで発表すれば、絶対に大丈夫だ!そこで福田くんを紹介する!」

「そうか、それを聞いて安心した。頼むぞ栄作!」

そして、今度の日米首脳会談の随員リストに田中の名前はもちろんなかった。田中は、膝を落とした。ここまで来たのに…くそっ

しかし、佐藤栄作首相に一本の電話が入る。なんとアメリカ大統領ニクソンからだった。

「ハロー、ハウアーユー?ところで、今度の首脳会談の随員リストに田中くんの名前がありませんが?彼は風邪ですか?彼は日米繊維交渉をまとめてくれた、是非寄越してくれ」

佐藤は、田中を呼ぶ。「非常に不本意だが、君をアメリカに連れて行くことにする。」田中はアメリカに行くことになった。

そして、日米首脳会談。世界同時中継で世界が注目していた。田中の席は一番端っこ。両首脳から一番遠いところ。佐藤栄作、通訳、ニクソンと並んでいた。そして福田は一番近いところ、タイミングを見て、佐藤は福田を紹介するつもりだった。

「ここまで来たのに、何か手はないか!?」田中は焦る、そして通訳がトイレに行ったのを見て、田中もトイレに行く。田中は心を決めた。「一生恩に切る!」と言って通訳を投げ飛ばした。通訳はのびた。

そして、世界同時中継、カウントダウン5秒前、4、3、2、1で通訳がいた席に座ったのが田中だった!アナウンサーは、「始まりました、日米首脳会談。左にいるのが佐藤首相、右にいるのがニクソン大統領です。そして、その間にいるのが、、、、田中?田中通産大臣が座っています!佐藤首相は訪米前、次の日本のリーダーを紹介すると発言していました。どうやら田中通産大臣のようです!

国民は歓喜する!国民の田中に対する期待は本物だった。そして、次の自民党総裁選で、田中は福田を相手に圧勝する。こうして田中は首相の座を掴み取った。

まさに、自らの手で逆境を跳ね除け、首相となった瞬間だった。

歴史を学ぶ意義を考えると、未来への道しるべになるからだと言えると思います。日本人は豊かな自然と厳しい自然の狭間で日本人の日本人らしさたる心情を獲得してきました。その日本人がどのような歴史を歩んで今があるのかを知ることは、自分たちが何者なのかを知ることにも繋がると思います。