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【古代】源頼光(948年〜1021年)頼光四天王の活躍!



 源頼光は清和源氏の祖、源経基を祖父とし、父は源満仲である。父満仲の地盤である摂津国多田の地を継承し、摂津源氏を名乗る。異母弟に河内源氏の源頼信がおり、この頼信は1028年に平忠常の乱を平定していることで有名だ。
そんな偉大な弟を持つ兄、頼光はどんな人物であったのであろうか?
有名な話として、『大江山の酒呑童子討伐』がある。
源頼光には四天王がいた。まず、渡辺綱、鬼の腕を切り落とした逸話がある。次は坂田金時、いわゆる金太郎のモデルだ。3人目は碓井貞光、金太郎を足柄山で見出し、連れて帰った人物で、彼自身大蛇を倒すなど剛の者である。最後は卜部季武、坂上田村麻呂の子孫とされている。
これら四天王と源頼光が立ち上がった事件が『大江山酒呑童子討伐』である。
一条天皇の時代(藤原道長の全盛期)、京都大江山の鬼(実際は盗賊たち)たちが、都に降りてきて子供の誘拐、強盗など悪さを働いていた。その頭目が酒呑童子であった。都の人々は正体の分からない、これら山の民を鬼と呼んで恐れていた。都の人々から、頼光のところに酒呑童子ら鬼たちの討伐の依頼がくる。頼光は二つ返事で承諾し、たった5人で山を登る。

翌朝、血だらけの頼光一行が山を降りてくる。都の人々は口々に手当てを急げと慌てるが、頼光一行は無傷だった。頼光は「全て返り血です。鬼の死骸がそのままですので片付けてもらえますか?」と言うと、そのまま朝廷に報告に行ってしまった。人々が大江山に登るとそこには鬼の死骸で凄惨な状況であった。なかには生首のままカブトにかぶりついているものもある。

頼光はこんな話が残るほど強かった。しかし彼自身は権力者藤原道長と頼通を主君とし、いわゆる摂関家の家司として主君の警備に徹した。武士は未だ社会的地位を確立しておらず、受領として経済的基盤を得るために摂関家に取り入る必要があった。
それでも、藤原頼光という剛の者が、4人の剛の者を連れて酒呑童子という鬼と戦った話は興味深い。人はそれぞれ何者かでありたいし、目立ちたい、認められたい、出世したいと思うもの。しかし、人はそれぞれ役割を与えられていることも事実だと思う。主役、脇役、まとめ役、はみ出し役、表と裏、様々だ。ただ大切な事は自分は自分にとって主役であり、中心であるという気持ちを失わず、与えれた役に誠心誠意向き合うことだと思う。


歴史を学ぶ意義を考えると、未来への道しるべになるからだと言えると思います。日本人は豊かな自然と厳しい自然の狭間で日本人の日本人らしさたる心情を獲得してきました。その日本人がどのような歴史を歩んで今があるのかを知ることは、自分たちが何者なのかを知ることにも繋がると思います。