アドルフ・フィッシャー「明治日本印象記」


興味深い内容が随所にあるので以下、幾つか取り上げておこう。

著者(1856-1914)はオーストリアの美術研究家。特に東アジへの関心が強い。  近代化の教師として招聘した外国人とは異なり、自らの関心で何回も日本を訪れ、日清戦争前後の日本の状況をよく観察し、記録したものが本書である。
1869年の、アメリカ横断鉄道全線開通、スエズ運河完成が「世界周遊ブーム」を引き起こし、その波が日本にも押し寄せた。→アーサー・クロウ(英人)、イザベラ・バード(英人)。フィッシャーもその一員。

本人には、アジア蔑視の視点が感じられない。本書中にもいくつか蔑視と思われる表現や意見もあるが、当時の欧州人の見方からすれば彼はマイナーの存在の外国人であろう。
同時に、日本の近代化を嫌悪すべきものとしては捉えていない。つまり、異国趣味、欧州に亡くなったものを見つけて喜ぶ・・・といった視点で日本に関心を抱いているわけではないことに留意。訳者は、その理由を日本の民衆から受けた好印象に求める。

 本書の内容を概観するために、目次を示す。
日本の温泉場と天竜下り。桜花の季節の日本――奈良・法隆寺。浄土宗総本山――知恩院の祭り。日本旅館の不都合な戸。日本の芸術――過去と現在。京都の葬祭場――マルゲリータ。聖なる伊瀬へ――熱田の扇作り、伊勢音頭の特別公開。失敗に終わった富士登山。大夫の道行き――美女の祭り。七夕まつり。壮士芝居見物。歴史劇「一谷」。
京都の能楽堂。相撲。松島・金華山。北海道――日本の先住民族アイヌ。室蘭・札幌。
日本のキリスト教徒その将来。日本人の愛情問題。洛北と岐阜の風物。蓮華咲く頃の日本――鎌倉・江の島・不忍池。日本の詩歌。日本から香港へ。

キリスト教が日本で普及されるのではないかという言論の根拠として、「封建制度のため盲目的服従が習い性になった民族」、「愛国心と同様に宗教心が完全に未発達な民族」、「革命を経ずして徹底的変化を受け入れた民族」という点が挙げられているが、その表現が気になる。日本人として身に覚えのある指摘とも言えるが、反論の余地も十分ありうる議論、つまり、学術的議論ではなく経験的・体験的議論であることに注意して読む必要があろう。
このことは本書に限らず、およそこの種の外国人の眼で書かれた当該国への批判には注して読む必要があろう。

 362ページには、アジアでの一獲千金を夢見て来日したドイツ商人の述懐があり、金銭的満足は得られたが、文化的刺激は皆無であると嘆く。日本女性との間の子供は欧州で教育させると言う。一方で、女は日本に残し娘だけを連れて帰国するもの外国人も。明治という時期の日本社会の断面を表している一つの事象とみるべきであろう。
   

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