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「ローマ人の物語」

第5巻
ポンペイウスはイタリア本土から執政官ともども逃亡する。ガリアとイタリア本土を手中にしたカエサルだが、「クリンテス」関係にあるギリシア、小アジア、北アフリカ、スペインを背景に当初はポンペイウスの方が軍事力は上であった。地中海も彼の支配下。
ギリシアに上陸したカエサルは、食糧不足、後続隊の上陸不可等の困難な状況下で時に敗れるも、前48年8月9日、「ファルサスの会戦」でポンペイウスに勝つ。兵力不足を兵士の質とカエサルの独創になる戦術で勝った。敗走したポンペイウスは、エジプトに逃れるも現住化したローマ人に暗殺される。当時のエジプトは少年王とその姉クレオパトラが対立する構図であった。その後、小アジア、北アフリカの反攻勢力を一掃、更にはスペインに逃れたポンペイウス残党にも勝利し、パックス・ロマーナの完成を見る。
カエサルは、終身独裁官になり、元老院を、属州出身者を増員する形で骨抜きにする。
塩野は、彼の業績として多くのことを挙げているが、多少例示すれば、国家改造、ユリウス暦採用、属州再編、帝国支配地域の明確化、市民集会の骨抜き、市民権の広範な付与、敗者のローマ人への寛容政策、解放奴隷の登用、司法改革、植民政策、首都再開発等。
本質的には、カエサルの施策は、従来の元老院支配のローマ統治がこのままでは不可能になっており、広大なローマ世界を統治するには一元的な政治体制が必要であるとの認識から出発していると解される。市民集会の骨抜きもその意味合いで理解される。
前44年3月15日、暗殺された。背景には、反カエサル派(キケロ等)に根強い帝王化することへの強い警戒心・反発があり、それを一気に高めることになったのが、アントニウス(元の部下、その時の執政官)がカエサルに王冠を模した冠をささげる行為を大衆の目の前でしたことを塩野は挙げている。ローマ人には伝統的に王政アレルギーがあったのだ。暗殺実行者のマルクス・ブルータス、カシウスは、カエサル支持者でもあり政権内で有力な地位を占めていた。

カエサル暗殺の実行者は14人(内、カエサル派の人間5人)。首謀者は、カシウスとブルータス。14人の共通点は、王政への反対。処遇への不満や将来への不安。デキウス・ブルータスは、カエサルの遺書に自分の名が出ていることで後悔?「ブルータス、お前もか」のブルータスは、デキウスの方ではないかという説が有力。
刺殺者が反対した王政と、カエサルの指向した帝政との違い。
オクタヴイアヌスの登場;彼はカエサルの妹の孫。カエサルは大伯父。遺言ではカエサルの名前を継ぎ、相続者、即ちカイサルの後継者として実質的に指名されていた(当時、彼は18歳の若者)。カエサル死後の第一人者は、アントニウス。キケロやブルータスは市民、兵士の怒りを恐れて南に逃亡。「国家の父」という称号を持つカエサルの暗殺は、「父殺し」としてローマ市民が暗殺者たちに向けて投げかけた憎悪と悲しみと怒りの呼称であった。
アントニウス(カエサル武将。護民官に)は、オクタヴイアヌスへの警戒から暗殺者と接近。彼らを属州総督としてその逃亡を公式の赴任として助ける。カエサルの軍勢の帰国とオクタヴイアヌスの傘下へ。脅威を感じたアントニウスは北イタリアを攻めてデキウスを殺すが、やがて進攻したオクタヴイアヌスとの間に妥協(第二次三頭政治)。三頭の合意は、反カエサル派の抹消・「処罰者名簿」による裁判なしの処罰(筆頭はキケロ。逃亡後自死)、マルクス・ブルータス、カシウスの撃破(ギリシア侵攻後2人は自死)。
オクタヴィアヌスの恋。人妻を奪う形で結婚。2代目皇帝は、妻の連れ子ティベリウス。
東方に居を構えたアントニウスは、クレオパトラと結婚。オリエントの統治権を妻に譲渡するがローマ人の怒りを買う。彼のパルティア攻撃は敗戦となる。ローマ人の妻オクタヴィア(オクタヴィアヌスの姉)を離婚し、オクタヴィアヌスとの溝が深まる。
やがて、二頭体制は終わりをつげ、ローマの国益に反すとしてアントニウス征討が決まる。
紀元前31年、ギリシアでの会戦はアントニウスの敗戦となり、逃れてきた地で彼は殺される。征討軍の名目上の相手はエジプト王朝。エジプト軍は負け、クレオパトラは毒蛇にかまれる形での自死をする。塩野描くクレオパトラは、美人で教養あるも知性がない女。ギリシア人の創設になるプトレマイオス朝は300年で滅亡する。
カエサルとクレオパトラとの間の子供はオクタヴィアヌスによって殺される。帝国に二人の後継者は不要であるからだ。アントニウスとの間の子供はローマに送られ平凡な生涯を送る。前30年、アウグストゥスと名前を改め皇帝として誕生する。

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